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高槻成紀さんとの絆:日本の「動物と植物の相互作用」研究事始め

2015-03-07 10:07:57 | つながり
湯本 貴和
 固着生活をおくる被子植物にとって、自分の遺伝子を空間的に広げる場面がふたつある。花を咲かせ花粉を受渡しする送粉と、果実をつけ種子を蒔く種子散布である。ふだんは地味な植物が華やいでみえるときであり、人々の注目をあつめるときである。なぜ、植物は、送粉と種子散布のときだけ目立つのか?多くの花や果実は、なぜ鮮やかな色やかぐわしい香りをもっているのか?
 これら問いに答えるには、植物の生活のなかでの動物の役割を考える必要がある。いったん定着すると、自分では動くことのできない植物は、さまざまな動物に食われる危険にさらされている一方で、動物を巧みに利用する術をもっている。植物のいくつかの性質は、関わりあいのある動物に対する適応、あるいは動物との共進化として理解できるものである。
 今でこそ、日本生態学会で「動物と植物の相互作用」は口頭発表もポスターも数多くある大きなひとつのセクションであるが、わたしが大学院で花と昆虫の研究を始めた頃は、日本でこの分野を志しているひとは指折り数えるくらいであった。当時でも欧米では多くの研究者がこのテーマに取り組み、おもに中南米熱帯に出かけて、興味深い論文を次々に発表していた。樹木の花はおもに樹冠に咲くので林冠生物学の一分野としても、花と送粉者の関係が新しいトピックであった。冒頭にも書いたように、少し考えてみれば「動物と植物の相互作用」にまつわる研究テーマはいくらでもある。この日本列島の自然を手始めに、東アジア、東南アジアとフィールドを拡げていけば、将来、とてつもなく魅力的な分野になるだろうということは容易に想像できた。しかし、30年前は動物学と植物学との間の壁がいまでは信じられないくらい厚く、それを跨いで研究を始めることは何か特別のことのようだったと記憶する。学際的な研究の重要性ということが最近よく語られるが、「動物と植物の相互作用」の研究は、それ自体がプチ学際だったのである。
 概して、植物系の研究者の動物に関する知識よりも、動物系の研究者の植物に関する知識のレベルが高かった。少なからずの陸上動物は植物を餌にしている、あるいは住処の重要な要素であるので、野外で動物を研究するためには、ある程度の植物の知識が必要だからだ。逆に植物の研究者は動物を知らなくてもまったく問題にならないと思われていた時代だった。当時、まだ入域が困難だった中国・雲南省にいった著名な植物分類学の先生がいて、その報告会で貴重なサルの写真を見せてくださった。「そのサルはなんですか?」という霊長類研究者の問いに、「サルはサルです。」と先生が屈託なくきわめて明快に答えられていたのを思い出す。
 そんななかで日本各地に何人かの先達がいた。大阪市立自然史博物館でイチジク-イチジクコバチ関係やドングリ-シギゾウムシ関係の研究の草分けであった岡本素治さん、東京大学小石川植物園でツレサギソウ属というラン科植物の送粉過程を研究されていた井上健さん、それに当時、東北大学でシカとシカに喰われる植物の研究をされていた高槻成紀さんだった。どんな具合に高槻さんと初めてお目にかかったかはよく覚えていない。しかし、生態学会でもっとこの分野に注目してもらおうということで、高槻さんと自由集会などを数回にわたって企画した。そのうちに上田恵介さんも加わって自由集会を続け、築地書館から『種子散布』の2冊本も出版した。日本植物学会や種生物学会でも、共同で企画を行なった。この頃のおつきあいは、一回り以上の年齢差があるにしても学問的同志ともいうべきものであり、いまでも高槻さんとは心の絆というものを感じている。
 それから日本における「動物と植物の相互作用」の研究は、飛躍的に進展した。対象も種子散布、送粉、被食防御から、種子食害やアリ植物に至るまで、専門化が進んだ。フィールドワークに加えて、分子系統解析や化学分析も標準装備となった。日本列島だけでなく、東南アジアやアフリカにも調査地域が広がり、長期に海外に滞在する大学院生も増えた。多くの大学院生が高槻さんとの自由集会などの企画に参加し、それぞれの研究を開花させていった。
 わたしはいまでも初めてのフィールドに行き、花や果実を観察して、どんな動物がやってくるかと待つ、あのワクワクする気持ちがたまらなく好きである。花の形態や色彩などから、予想どおりの昆虫や鳥がやってきたときの喜び、予想もしなかった動物がやってきたときの驚き、結局、それがいままで研究を続けてきた一番の原動力だったような気がする。いまはなかなか花や果実の前に座って一日中見ている時間はとれないが、定年後には、またゆっくりといろいろな場所でいろいろな花や果実を観察できればいいなと思っている。
 高槻さん、長い間お疲れさまでした。これからもお忙しいことでしょうが、また学問を楽しんでください。
(京都大学霊長類研究所)

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