高槻成紀のホームページ

「晴行雨筆」の日々から生まれるもの

いつでもどこでも高槻先生 沖田

2015-03-07 20:18:23 | つながり
沖田(仲尾)章子
 卒業して、20年…も月日がたちました。10年以上お会いできていません。
でも、高槻先生と電話でお話ししていると、それが1年振りでも「こんなことがあったよ。」「こんなものをみつけたよ。」調査から今さっき帰ったばかりの先生と、数日振りにお話ししている、そんな気持ちになります。
 先生と山を歩くと、「おっ」と先生がみつける木の実や花、昆虫、骨、フン…かわいい!?いとしいものにたくさん出会うことができます。急に地面に腹ばいになって写真を撮ったり、木の枝でほじほじしたりして、びっくりすることも多々ありました。先生と行動を共にすると、研究室で、調査で、そして、ご家族…素敵な人々に出会うことができます。出会った人々、動植物、景色、大切な大切な宝物です。


1991年3月 東北大学生物学科年度末パーティで演奏. 左手前今栄(ヴォーカル)、左後藤、中央沖田、右高槻

 植物生態研時代(そのころ、先生は今の私よりお若かった…)、卒業研究もご指導いただきました。「これ役に立つよ」英語の論文を数冊、笑顔でぽんっと渡していただき、セミナーでは質問ビシバシで、私は冷や汗たらたらでした。でも、青葉山のフィールドを何度も一緒に歩いていただき、教育実習で留守にしたときは、木の実の数を数えていただいたりしました。先生は、金華山の朝食で毎日出る納豆が苦手だったり、運転がハードで生物系の車はへこみが多かったり、宿泊所の畳に小さな赤いダニがぞろぞろ、それをたどると先生のフィールドコートだったり、いつでもどこでも誰にでも自然体のたかつき先生です。
 そして、先生からのお手紙やメモ、コメントなど、自然体の文字で、たくさんの温かい大切な言葉をいただきました。美しくも難解なたかつき文字、その読解能力(英語の論文の読解は苦手でしたが)は、歴代の研究室の学生の中で1、2の実力を争うと自負しています。
(1992年 東北大学卒業)


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