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「晴行雨筆」の日々から生まれるもの

あの頃は楽しかったです! 黒沢

2015-03-07 20:09:05 | つながり
黒沢 高秀
 昔、テレビに『野生の王国』という番組がありました。白黒テレビの時代でしたが、毎回食い入るように見た記憶があります。身近にいる昆虫たちの飼育とこの番組が、私が生物学を志した原点となっています。その後植物に転向し、東北大の生物学科に入りましたが、大型動物も昆虫も研究室がないと言われており、迂闊にも、高槻さんが哺乳類に軸足のある研究者と理解したのは院生になってからでした。懐の深い高槻さんや高槻研の皆さんは、別講座の私を温かく迎え、金華山や五葉山でのシカの調査に何度も連れて行ってくださいました。シカの姿や痕跡を追って一日中歩き回ったり、炎天下でシカの糞を拾ったり数えたり…。あぁ、これが哺乳類の研究かと、ちょっと憧れの世界に足を踏み入れた気分になったものです。地元から調査に参加した人がとっておきの場所に案内してくれてのキノコ狩り、夜飲ながらの生き物談義など、朝から日が暮れるまで植物を採集して夜中まで酒を飲みながら標本を押している植物分類学の調査(私はこちらも好きですが)とは異なる、生態学の調査の雰囲気も少し味合わせて頂きました。もっとも、『北に生きるシカたち』に出てくるような、厳しい調査は一度もなかったので、初心者の私には配慮して、そういう楽で楽しい調査の時だけ声をかけてくださったのかもしれません。
 高槻さんといえば、周りに好青年ばかりというイメージがあります(私に近い世代だと、さとまさや伊藤君)。自分の価値観や倫理観をしっかりと確立していて、人としても、研究者としても真っ直ぐに生きる。そんな高槻さんの姿勢が、自然とそのような人ばかりを集めるのでしょうか。そして、なぜか慕う女の子は皆かわいかったような気が…。調査に行くと、神社が宿を提供してくれたり、港と宿の間を車で送迎してくれたり、自治体職員が一緒に調査や夜の飲みに参加したり、地元大学の研究会と同宿して一緒に酒を飲んだりと、毎回のように地元との関わりがあるのが印象的でした。当時の東北大の生物の先生方は、マクロ系の方も、それぞれの分野での第一人者という意識が強かったからか、地元との関わりがあまり上手ではなかったような気がします。地元とのコミュニケーションを自然体で行い、いつの間にか関係する人たちが集まり、調査支援の体制が整ってゆく。最近ようやく、大学の地域貢献が重要視されてきましたが、考えてみれば、20年も前に、高槻さんはそのようなことをスマートに実現していたのですね。地域の同じ問題について、地元の人や自治体職員と同志として取り組む。福島に来て、自分も目指しているところですが、なかなか高槻さんの域に達することはできません。
 高槻さんや高槻研の調査のファンでしたが、私は、文筆家としての高槻さんのファンでもありました。じっくり読んだ初めての本は『北に生きるシカたち シカ、ササそして雪をめぐる生態学』(どうぶつ社、1992年)。序章の冒頭の臨場感あふれるセンサスシーンは圧巻です。売れ行きが良かったのに再版されなかったそうで、入手困難でしたが、最近丸善から復刻されたようで良かったです。
 『動物と植物の利用しあう関係(シリーズ地球共生系5)』(鷲谷いずみ・大串隆之(編)、平凡社、1993年)の「有蹄類の食性と植物による対採食適応」の章は、専門書ですが、シカと植物の関係を様々な視点からわかりやすく説いています。高槻さんの研究を理解するきっかけになりました。この本の表紙カバーには、高槻さんのかわいらしいシカのイラストが出てきます。
 『野生動物と共存できるか―保全生態学入門』(岩波書店、2006年)は、生徒向けですが、大人にも読み応えがあります。生物保全に必要なものは「動物や植物をほんとうに好きになること」「かわいいから好きだというだけではなく、動物のことをよく知ったうえで理解すること」。学生達に説明しやすい言葉です。哺乳類の保全の現場で、愛護団体や個人との軋轢に様々なご苦労された中で編み出された言葉ではないかと推察しています。
 個人的には、『ウロボロス Ouroboros』(東京大学総合研究博物館ニュース)5巻2号の「ほこりをかぶった博物館―博物館と保全生物学の新しい動き―」という文章が気に入っています(単に私が標本好きだからかもしれませんが)。歯切れの良い文章、明快な論旨、後からの展開のため前半に仕込みながらの起承転結の文構成、そして先を見据えた大きな視点が見られます。高槻さんの文章の真骨頂と勝手に思っています。
 高槻さんが東大に移られてからは、野外調査に一緒に行くことはなくなりましたが、農学部の時も博物館の時も、私が東大の標本室に調査に行った際に、毎回のように研究室に顔を出させていただきました。私は地方に就職したので、調査にご一緒する機会がたくさんできると期待していたのですが、福島県内ではシカの生息している地域がほとんどなかったこともあり、ほとんどお声がかかりませんでした。やがて、高槻さんが麻布大学に移られてからは、なかなかお会いする機会がなくなってしまいました。
 今年度で退官とのことですが、きっとこれからもシカを追い、野山を駆け巡ることと思います。あのような楽しい調査を自分の学生たちにも味合わせたいです。ぜひまたお声をかけてください。
(東北大学大学院(大橋研) 1994年修了)

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