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「晴行雨筆」の日々から生まれるもの

これからも 須田

2015-03-07 20:01:58 | つながり
須田 知樹
 余人の退職にあたっては、「お疲れ様でした。」とか、「第二の人生の始まりですね。」とかいった言葉がふさわしいのだろう。
 しかし、研究者、教育者、活動家、文化人、趣味人…、幾つもの側面をお持ちになり、そのいずれもが凡人の及ぶところではない先生のご退職に際しては、どのようにお声がけ申し上げたら良いのか分からない。ご退職後も、研究・教育にこれまでと変わらず熱心に取り組まれることは間違いないだろうし、本務の有無にかかわらず、私事・活動を精力的に行われることも、これまでと変わらないだろう。ご退職という先生の人生にとって大きな節目に、本来であれば、労いや祝福のお言葉を申し上げるべきだが、上述のように、適切な言葉が見つからない。ご退職後も、先生が私にとって師匠であることも、むろん変わらないわけだから、大変無礼ではあるが、「これからも不肖の弟子のご指導よしなに」と述べ、先生との思い出を振り返りたい。
 先生からは、研究、教育のご指導を賜ることしばしばで、このような先生の側面については、皆さんよくご存じのことと思う。しかし、ふとした折に垣間見える私人としての先生のパーソナリティーがチャーミングで、普段「弟子」として接している立場の私からは、意外とも思えることもある。
 いつのことだったのかは覚えていないが、先生がおじいちゃんになったという話題で盛り上がったことがある。目を細めてお孫さんのことを語り、満面の笑顔で数々のエピソードを披露される様は、先生というより好々爺という形容がふさわしいほどであった。やがて、お孫さんから見た叔母、母親ではない先生の娘さんの話になり、「自分の想像以上に孫をかわいがる」というお話をされた。そのしばらく後、急にまじめな顔になって、「何故、娘たちは母親でもないのに孫をかわいがるのか?」という命題を真剣に先生は考察し始めたのだ。しかも、生物学的に。暖かくご家族のことを話しつつ、ナチュラルボーンに研究者であること。こんな側面が、先生の人格に深みを与えているのだろう。
 きっとご退職後も、暖かい目で自然と人を観察し、鋭い眼差しでそれを考察する、そんな生活を送られるのでしょう。やはり、先生のご退職にあたって「お疲れ様でした」は相応しいとは思いません。いつまでも、先生から教わることを楽しみにしています。(1993年 東北大学卒業)


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