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「晴行雨筆」の日々から生まれるもの

教育者と研究者の両立 秋山

2015-03-07 09:46:45 | つながり
秋山 幸也
 フィールドワークを生業とし、野生動物を長く扱ってきた者として、高槻先生のお名前はいつもどこかで目にしてきた気がします。メーリングリストや学会、シンポジウムなどでのご発言はシンプルかつ的確、時には厳しく直言される姿を見て、厳格な方と少々畏れを抱きつつ遠巻きにしていたことを白状します。
それが2007年、私の職場である博物館から最寄りの大学であり、さまざまな形で博物館とも交流のある麻布大学へ着任されたことで、突然、先生の存在は身近なものとなりました。いや、さらに白状すると、はじめは「怖そうな先生が近くに来られたな、でもいつかご挨拶に行かなくては…」とまだ畏れて(恐れて?)いたのです。
 意を決して初めて研究室を訪れたのは、2009年1月、野生動物学セミナーの時でした。テーマは北大の阿部豪さんによる北海道でのアライグマの外来種問題だったと記憶しています。聴講者としてお邪魔し、ご挨拶を申し上げたその数分後には、いつの間にかそのセミナーで私が話をするということになっていたのです。初対面で高槻マジックの洗礼を受けたことになります。
 そして2009年の3月末、私は野生動物学のセミナーなのに博物館で取り組むカワラノギクの保全活動や、植物インベントリー調査の重要性についてお話をさせていただきました。この時も、質疑応答の中で鋭いコメントをいただき、文字通り畏れ入ったのを憶えています。しかし終了後の懇親会では温かい食事とお酒をいただき、大学の最新鋭の建物の中にある研究室の、なんとなく昔ながらの懐かしい空気が漂う雰囲気に、とても良い印象を持ったのでした。
 それから何度か野生動物学セミナーを聴講し、だんだんと先生の気さくなお人柄を知るようになりました。また、時折見せる厳しさは、科学者として妥協しない姿勢であり、教育者として学生を導く覚悟のようなものだということもわかりました。さらに、先生のロマンチストとしての一面も、雑談の中のちょっとしたコメントやご著書などから垣間見ることになり、いっそう親近感をおぼえました。
2011年3月11日の東北地方太平洋沖地震以降は、「がんばれナラの木」の活動に私も賛同し、私が被災一週間後の岩手県大船渡市へ行った時の写真展示を博物館で行った際、「ナラの木」もパネルにして展示しました(大船渡市が相模原市と「銀河連邦」という友好都市関係にあることで市職員の支援隊が組織されたのです)。またその後、日本自然保護協会の講習会で大船渡市を再訪して講演を行った時、地元の方に岩手県・ケセン語版を、同じく講師として青森県から来られていた方に津軽版を朗読していただきました。紙の上やコンピューターの画面上では決してわからなかったことばの持つ息遣いや力強さに、圧倒されました。この時は生物多様性をテーマの一つとした講演だったため、地域の多様性の実例を耳で実感できる素晴らしい教材となったのです。
 さて、その後も毎年のように卒論、修論発表会の聴講に伺い、研究室からも若い学生さんたちが博物館に顔を出しては標本づくりなどをしてくれて、私はすっかり高槻研のファンになりました。南正人先生を招聘され、日本の野生動物学研究の拠点の一つとして万全の体制を築かれたことも、私自身は部外者なのになぜか嬉しく、誇らしく感じました。徹底してフィールドワークにこだわり、行き届いた指導によって科学的な成果に仕上がった研究の数々と、嬉々としてそれに取り組む学生さんたちの姿には、大いに刺激を受けています。
 優れた研究者が必ずしも優れた教育者でないことは、研究畑の常識です。しかし、高槻先生はその両立をさも当たり前のようにこなされてきたことに、今改めて尊敬の念を抱いています。博物館に出入りしてくれている研究室の学生さんたちが時折、「ゼミで先生に徹底的に絞られた…」としょげていることがありました。ほかの大学の学生であれば、慰めついでに学生なりの反論など聴いたりもするのですが、高槻研に限っては「先生がきっと正しいし、そうして指導してくれることに感謝しなくちゃ」と突き放していました。しょげている学生当人も納得しているようすがありありと見えて、信頼関係があるのだなと、ちょっとうらやましく感じたりもしました。
 先生はきっとこれからもあちらこちらへフィールドワークに出られ、どこかでばったりお会いするような気がしますし、幸運にもご一緒させていただいている出版の仕事もあります。学会などでお会いすることも多いでしょう。しかし私の心残りは、宴の席での先生のギターの弾き語りをまだ聴いてないことです。近々聴くことができると信じつつ、そして先生がこれからもっと自由に存分に研究生活をエンジョイされることを祈りつつ、お礼の言葉で締めさせていただきます。
 ありがとうございました。これからもご指導よろしくお願いいたします。
(相模原市立博物館)
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