高槻成紀のホームページ

「晴行雨筆」の日々から生まれるもの

ふゆのさんぽみちでおもうこと 野口なつ子

2015-03-07 21:30:17 | つながり

野口 なつ子

センダンのたねをひとつ、見つけました。

つい立ち止まって、空を見上げ、どこから運ばれて来たのかなぁとぼぉっと考える…。

こんな風に、たったひとつのたねからいくつもの疑問やストーリーを考えることにおもしろさを感じるようになったのは、高槻先生と出会ったからです。

もうひとつ、センダンのたねを見つけました。

センダンのたねを見つけた今、先生方や仲間たちのことが思い浮かびます。大学の守衛室の近くのセンダンの木、カキの木の下で拾ったセンダンのたね、そこから野生動物学研究室での日々が思い出されます。

高槻先生、卒業してから早いもので4年の月日が経ちましたね。相変わらず、私は下を向いて歩いています。下を向いて歩くといいものがたくさん見つかるんですよ。いいものを見つけると、懐かしい思いになってスキップしたい気分になるんです。

こんな思いに耽るのは、大学生活が充実していたからだと思います。大学に通えたこと、無事に卒業できたこと、仲間ができたこと、さらに学ぶ環境や人に恵まれていたということ。当たり前のことがどんなに幸せだったか、今となってようやくわかった気がします。生きる幸せ、食べる幸せ、休む幸せ、遊ぶ幸せ、学ぶ幸せ、いろいろな幸せが私を取り囲んでいたのですね。その幸せを与えてくれたのは、周りの人や自然だったんだなぁと。4年後の今、ようやくその幸せを感じ、私は今、ちょっと多めの幸せを感じています。

卒業してからの4年間も、楽しいことばかりでした。…といっても、日本を離れている間は辛いこともありました。そんなときはあるビデオを見ていました。そのビデオは、私たちが卒業するときに卒業するメンバーが先生方や在校生へ送った歌のビデオです。このビデオを何度も何度も繰り返し聞きました。日本でも頑張っている仲間がいる、この仲間がいるからきっと大丈夫、と自分に言い聞かせると不思議と前向きな気持ちになれたのです。そんな仲間に出会えたのも高槻先生がいたからこそだと思っています。

あなたの“恩師”は誰ですか?

若い人にそう質問したら、何人の人が答えられるでしょうか。

「恩師と呼べる人はいないかぁ…。」なんて言葉が返ってきそうですよね。

でも私にはいます。ちょっと恥ずかしいので内緒にしておきますが、私には恩師がいます。どうしてその人のことを恩師と思えるのか、それはとにかく感謝しているからです。なぜでしょうか。
野生動物に興味があって研究室に入ったものの、気づけば植物の虜になっていました。植物を観察することにおもしろみを感じると、外を歩くのがこんなにも楽しくなるんですね。そんな毎日を過ごしていると、気づけば自然の見方や物事の考え方が変わっていった気がしています。今、自然の中に身をゆだねると心が穏やかにやさしくなるのは、自然をちょっと違う見方で見られるようになったからだと思います。遠くから見る大自然、迫力があって壮大できれいですよね。でも近くで見る1枚の葉は、もっときれいだと思うんです。太陽の光に透かしてみれば、その美しさに心打たれるでしょう。私にとって魅力的なのは大自然を構成している小さないきもの、ひとつひとつです。

そんなことがおもしろいと思える人間になれたこと、小さなことでも感動できる感性を養えたこと、このことが私にとって一番誇れること、また自分の好きなところでもあります。こんな人間に育ててくれた人が、まさしく私の恩師です。

高槻先生、私は先生と出会ったことで自分がどんな人間か、何が好きで何をしたいのかわかった気がしています。大げさかもしれませんが、先生との出会いが今の私を作り上げたと思っています。

今、先生や仲間のことを想い、この文章を書いています。とってもいい気分です。こんな気分になれたのは、まぎれもなく先生のおかげです。高槻先生、今までありがとうございました。これからもどうぞよろしくお願いします。
(2011年 麻布大学卒業)

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