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仏教(南都・北嶺)

2017年03月07日 | 宗教
貴族や朝廷も恐れた「南都・北嶺」の大勢力

院政期、僧兵を組織した大寺院が朝廷や貴族をも脅かす存在
 ☆神仏の威をふりかざした大寺院の要求活動
興福寺(南都)と延暦寺(北嶺)は強大な勢力を誇った
知識・意欲の向上目指し、記事を参考・引用し、自分のノートとしてブログに記載
記述に誤り不明点あると思います、詳細、出典記事・番組・画像等で確認ください
出典、『仏教(成美堂出版)』
 ☆本には、綺麗な絵画が記載されています






南都・北嶺(仏教(成美堂出版)記事画像引用)

神仏の威をふりかざした大寺院の要求活動
貴族や朝廷から荘園を寄進されて勢力を増した大寺院
 ☆地方の寺院を配下に置き、下級の僧侶を僧兵として組織するようになった
平安時代末期に、院政の伝統を創った白河法皇
法皇は、「三不如意」として「鴨川の水、山法師、双六の賽の目」の3つを挙げた
 ☆山法師とは、延暦寺の僧兵をさす

興福寺(南都)と延暦寺(北嶺)は強大な勢力を誇った
南都、北嶺の寺院勢力は、地方の国司などと争いが起きた場合
 ☆朝廷に強訴を行って、自分たちの要求を認めさせた
白河法皇の信仰心の篤さを背景に、神木や神輿(神霊を安置する輿)を奉じて行われた
摂関家も、僧侶に手を出すわけにはいかなくなった
 ☆藤原氏の氏寺である興福寺の僧兵が、同じ藤原氏の氏神である春日大社社の神木を奉じて入京
 (結果、荘園経営で争った近江守が流罪)
 ☆延暦寺の僧兵が天台宗の守護神とされた日吉大社の神輿を奉じ、美濃守の流罪を朝廷に求めた
強訴はさかんに行われた
 ☆世間では、理に合わない訴えが通ることを「山階(興福寺)道理」といった
大寺院に対抗できない貴族たちは、その鎮圧を武士に頼るようになる


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