隊長のブログ

元商社マン。趣味:ヒップホップダンス、ジャズダンス、日舞(新舞踊)、旅行、映画、スポーツ観戦。阪神タイガースのファン。

上海城市新聞 Vol.15 『奥林会と四川大地震』(その3)

2012年05月01日 | 上海城市新聞

上海城市新聞 Vol.15 『奥林会と四川大地震』(その2)はこちら⇒ http://blog.goo.ne.jp/taichou-san2014/e/b7e0ff5fe134fd42ec7579bf840304e9

                   写真をクリックすると拡大画像が表示されます。

 

[都江堰]都江堰(とこうえん)は成都の北西約50Kmにある2000年前に築かれた水利施設で、世界文化遺産に登録されている。

 旅の5日目は茂県の県城を出発し、途中「都江堰」で観光をして成都までの移動でした。この日もバスの出発は7時と早朝で、引き続き山道を下ってゆきました。途中、あちこちでダム、道路、鉄道の工事をしていました。このダム、道路、鉄道も地震の被害にあったと思われます。

 昼食を済ませて「都江堰」へ到着したのは、13時でした。河の途中の中洲に行くために、吊り橋を渡って移動しました。ここでは、雄大な河の流れだけでなく、南北朝時代に建てられて「ニ王廟」がおすすめでしたが、その「ニ王廟」もどうなっているのか心配です。

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【「二王廟」から見た「都江堰」】

 

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【中洲から見た「伏龍観」】

 

 

報道から:「都江堰」にも亀裂が入り、水門管理棟が倒壊した。「ニ王廟」は山門の一部が倒壊し本堂にも被害が出ている。市内の死者約3000人のうち学校の倒壊による生徒の死者が1000人近くを占める。

 

 

 

[成都市]人口1100万人余りを擁す四川省最大の都市で省都。

成都の夜は「川劇」と「変臉」を楽しみました。成都には、北京の京劇に対抗するように「川劇」があります。北京の劇なので「京劇」、四川の劇なので「川劇」というわけです。ホテルに貼ってあったポスターに「変臉」の英語訳で"Change Mask"となっていましたので、米国俳優のジム・キャリーが出演するのかと思っていたら(笑)、川劇の俳優が色とりどりの「くま取り」を早変わりしてみせる伝統芸能でした。

 

最終日は成都市内の「文殊院」を観光後に、綿陽へ移動しました。「文殊院」は南北朝時代に創建された寺院で四川省の仏教の中心。成都から綿陽までは高速道路が整備されていて快適な移動でした。「文殊院」や利用した高速道路には被害はなかったのでしょうか。

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【成都市内】

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【文殊院】

報道から:成都中心部の被害は小さいが、ビルから飛び降りるなど死亡した人も。被災地から負傷者を受け入れ、物資や人員を送る後方支援拠点ともなった。成都市の四川大学華西病院では日本政府が派遣した国際緊急援助隊の医療チームが医療活動を行った。

北京オリンピック

参加総数・1万1,244人

経済効果:約6000億元(約9兆円)

 

四川大地震

死者:6万9,197人(2008年7月21日現在)

被害額:約1兆元(約15兆円)

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「四川大地震」から四年が経とうとしています。日本でも、昨年「東北大震災」が起こりました。日中両国の被災地の復興状況が気になります。

次回の「上海城市新聞」は2009年1月4日発行の『攀登上海です。お楽しみに!

                             

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上海城市新聞 Vol.15 『奥林会と四川大地震』(その2)

2012年05月01日 | 上海城市新聞

上海城市新聞 Vol.15 『奥林会と四川大地震』(その1)はこちら⇒ http://blog.goo.ne.jp/taichou-san2014/e/d8094adce5cbd4ebda93987b46f4b8b7

                    写真をクリックすると拡大画像が表示されます。

 

[九寨溝]九寨溝(きゅうさいこう)は美しい湖沼で知られる世界遺産の景勝地でした。

 

 朝7時30分に綿陽市を出発したバスが九寨溝に到着したのは夜の7時。辺りは既に日が落ちていました。九寨溝はアバ・チベット族チャン族自治州の中に有り、ホテルのまわりのみやげ物屋には、民族衣装を来たチャン族の店員さんもいました。チャン族は中国55少数民族のひとつで、古代中国西北部で勢力を誇った遊牧民が祖先と言われている。人口約300,000人。

 

 「九寨溝風景名勝区」は、自然保護のため、一般のバス、車の乗り入れを規制し、指定された観光バスで移動しました。このバスは、天然ガスを燃料としており、風景名勝区内の入場料90人民元(約1,350円、2006年9月時点)には一日有効(乗り降り自由)のバス代も含まれていました。

 

 九寨溝の主な見どころは、高山湖沼が40ほど棚田状に連なっている「樹正溝景区」、標高3100mの地点に有る、長さ約8km、幅約4.4km、面積200万㎡の湖が有る「長海」、幅約200m、最大落差40mの滝の有る「日則溝景区」でした。コバルトブルーの湖はどこか神秘的でした。この日の夜は、ホテルでチャン族の踊りと歌のショーを楽しみました。

 

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【湖沼は青く澄み切っていて神秘的でした】

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【この風景がどうなったか心配です】

報道から:九寨溝では地震で観光客50人余が死亡。日本人女性1人が救出された。地震当時滞在していた国内外の観光客1万数千人が退避し、地元当局は観光地区を閉鎖、全宿泊施設の営業停止を命じるなど、世界遺産の町は“ゴーストタウン”と化し、観光業も大打撃を受けました。チャン族には文字がなく、歴史や文化は口承されてきたが、伝承者の多くが犠牲になったほか、博物館が所蔵していたチャン族の資料は多くががれきの下に埋もれてしまったという。

 

 

[黄龍]黄龍(こうりゅう)は全長7.5Km,幅約350mの谷間、黄龍溝を中心に広がる風景名勝区。

 九寨溝から黄龍までの距離は約130Km,バスで3時間かけての移動でした。平均海抜が3000mを超える為、高山病予防にあらかじめ携帯酸素ボンベ缶を購入しました。

 黄龍も自然保護のため入場が制限されていて、入場券を購入して入山しました。黄龍近辺の地下水には炭酸カルシウムが大量に含まれているため、石灰質が湖底、湖岸に付着し、独特の色合いを持つ風景を作り出しています。夏から秋にかけては、周囲の高山から流れ出した雪解け水がまるで棚田を上から下に流れおちるかのように見えます。高地の為か酸素を吸入しても、息切れがして苦しい思いをしましたが、美しい景色に心が癒されました。

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【黄龍の湖沼に佇む寺】

 

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【まるで棚田の様な造形美でした】

 

 午後5時30分に下山すると、休む間もなくバスに乗り込み、また移動でした。黄龍から成都までの距離は約400Km,さすが当日中に成都まで移動するのが難しいので、途中に有る茂県(もけん)の県城で1泊しました。バスは照明がまったくない、真っ暗な道を左右に蛇行しながら下って行きます。

 途中の休憩所でバスを降りると、前方に白いフサフサの毛をした大きなウマのような動物がいました。この動物はウマではなく、チベット高原に生息するウシ科の「ヤク」でした。ホテルについたのは午後10時。それから夕食(夜食)でした。ここは九寨溝と黄龍から成都へ行く道の途中にあるので、ホテルには深夜まで次から次へと観光バスが入ってきて賑っていましたが、今はどうなっているのでしょうか。

 

報道から:茂県では土砂崩れで道路が寸断され孤立する集落も多かった。旅行客を乗せたバスが土砂崩れに巻き込まれて37人が死亡した。成都―茂県―九寨溝の道路は未開通。

 

=================続きは、上海城市新聞 Vol.15 『奥林会と四川大地震』(その3)で===========

 

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上海城市新聞 Vol.15 『奥林会と四川大地震』(その1)

2012年05月01日 | 上海城市新聞

上海に住んでいた当時、上海の街の様子や、中国各地の旅行記を「上海城市新聞」と名づけ、メールで配信していました。帰国後も配信を続けていて、最新号は2011年12月1日付けのVol.19 『武漢・信陽旅遊』です。

これまで配信した「上海城市新聞」を漸次、ブログにアップしています。第15回目は2008年8月6日発行の『奥林会と四川大地震』です。

容量が大きいため、(その1)・(その2)・(その3)と3回に分けてアップします。

全記事をA4サイズの、PDFファイルで作成しています。ご希望の方は、メッセージにてご連絡下さい。メール添付にてお送りいたします。

尚、記事中の写真をクリックすると拡大画像が表示されます。======================================================================================
上海城市新聞 Vol.15           『奥林会と四川大地震』           2008年8月6日

SHANGHAI CITY NEWS Vol.15          “Olympic & Sichuan Earthquake”       2008/8/6

                               =中国語で城市はCity,新聞はNewsの意味(日本語の新聞は英語では報紙と書きます)= 

                                                               =従って城市新聞はCITY NEWSの意味です=

 

まもなく北京奥林会(オリンピック)が開催され、日本では中国の報道はオリンピック一色す。わずか3ヶ月前の5月12日の四川大地震はもう忘れ去られてしまったのでしょうか。 

でも、私には四川大地震を忘れることはできません。なぜならば、この上海城市新聞Vol.10 2006年 9月12日発行の「九寨溝・黄龍旅遊(旅行)」で紹介した世界自然遺産に登録されている景勝地が、地震の被害にあったからです。

 

この地を旅した思い出と、報道から推測される被害の大きさをお伝えしたいと思います。

 

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【赤で塗りつぶされているのが四川省】

 

[綿陽市]

綿陽市は、成都に次ぐ四川省第2の都市で面積2万K㎡、人口517万人の歴史ある街です。市内には古い建物やお寺が多くありました。

 綿陽は「九寨溝・黄龍」への旅で、最初に訪れた街でした。上海から綿陽空港までの飛行時間は約2時間半。国内線と言っても、これだけの時間がかかり、改めて中国の広さを実感したものでした。

 市内の歴史的名所の一つ、富楽堂は「三国志」にも出て来る古跡で、富楽堂は全体が公園になっている「富楽山風景名勝区」にありました。富楽山の塔の上からは、綿陽市内が一望できました。

 

 宿泊したのは綿陽駅に近いホテルで、駅前には輪タク(自転車を使用した三輪車のタクシー)が走っていて、人口517万とは思えないのどかな都市でした。

 

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【富楽堂から綿陽市内を一望できました】

 

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【綿陽駅前(手前が輪タク)】

報道から:綿陽市の中心部は地震の直接被害は免れたが、地震の土砂崩れで川が埋まってできた唐家山ダムが決壊すれば、綿陽市内には4時間で洪水が到達すると言われている。同市に属する北川県や江油市などからの被災者を受け入れた。約400カ所の避難所が設置され、数十万人が避難している。

 

[平武市]平武市は綿陽から約170Kmの街。

 地震前の九寨溝への移動手段は、成都市または、綿陽市からバスでの移動が一般的でした。綿陽から九寨溝までは約350Km, 今回の地震で大きな被害を受けた北川県を通り、所要時間は約9時間でした。

 途中、平武の街で昼食と、報恩寺の観光をしました。報恩寺は500年以上の歴史を持つ千手観音で有名なお寺で、敷地面積2.5ヘクタールの宮殿と寺院の特徴を兼ね備えた建築群で、中国重点保存建物に指定されていました。

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【バスで北川県内を9時間移動】

 

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【地震前の平武市内の様子】

 

報道から:北川県は中心部が壊滅し、約8600人が死亡。市街地は封鎖され、「地震博物館」として保存し、県都を別の場所に移す計画。土砂が川をせきとめた「土砂ダム」で唐家山地区の集落が水没したが、ダム決壊の恐れは回避されつつある。平武報恩寺も地震で山門や壁の崩落などの被害を受けた。平武はまだ観光客へ開放されていないそうです。

 

=================続きは、上海城市新聞 Vol.15 『奥林会と四川大地震』(その2)で===========
 

 

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