隊長のブログ

元商社マン。趣味:ヒップホップダンス、ジャズダンス、日舞(新舞踊)、旅行、映画、スポーツ観戦。阪神タイガースのファン。

上海城市新聞 Vol.15 『奥林会と四川大地震』(その1)

2012年05月01日 | 上海城市新聞

上海に住んでいた当時、上海の街の様子や、中国各地の旅行記を「上海城市新聞」と名づけ、メールで配信していました。帰国後も配信を続けていて、最新号は2011年12月1日付けのVol.19 『武漢・信陽旅遊』です。

これまで配信した「上海城市新聞」を漸次、ブログにアップしています。第15回目は2008年8月6日発行の『奥林会と四川大地震』です。

容量が大きいため、(その1)・(その2)・(その3)と3回に分けてアップします。

全記事をA4サイズの、PDFファイルで作成しています。ご希望の方は、メッセージにてご連絡下さい。メール添付にてお送りいたします。

尚、記事中の写真をクリックすると拡大画像が表示されます。======================================================================================
上海城市新聞 Vol.15           『奥林会と四川大地震』           2008年8月6日

SHANGHAI CITY NEWS Vol.15          “Olympic & Sichuan Earthquake”       2008/8/6

                               =中国語で城市はCity,新聞はNewsの意味(日本語の新聞は英語では報紙と書きます)= 

                                                               =従って城市新聞はCITY NEWSの意味です=

 

まもなく北京奥林会(オリンピック)が開催され、日本では中国の報道はオリンピック一色す。わずか3ヶ月前の5月12日の四川大地震はもう忘れ去られてしまったのでしょうか。 

でも、私には四川大地震を忘れることはできません。なぜならば、この上海城市新聞Vol.10 2006年 9月12日発行の「九寨溝・黄龍旅遊(旅行)」で紹介した世界自然遺産に登録されている景勝地が、地震の被害にあったからです。

 

この地を旅した思い出と、報道から推測される被害の大きさをお伝えしたいと思います。

 

Chinasichuan

【赤で塗りつぶされているのが四川省】

 

[綿陽市]

綿陽市は、成都に次ぐ四川省第2の都市で面積2万K㎡、人口517万人の歴史ある街です。市内には古い建物やお寺が多くありました。

 綿陽は「九寨溝・黄龍」への旅で、最初に訪れた街でした。上海から綿陽空港までの飛行時間は約2時間半。国内線と言っても、これだけの時間がかかり、改めて中国の広さを実感したものでした。

 市内の歴史的名所の一つ、富楽堂は「三国志」にも出て来る古跡で、富楽堂は全体が公園になっている「富楽山風景名勝区」にありました。富楽山の塔の上からは、綿陽市内が一望できました。

 

 宿泊したのは綿陽駅に近いホテルで、駅前には輪タク(自転車を使用した三輪車のタクシー)が走っていて、人口517万とは思えないのどかな都市でした。

 

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【富楽堂から綿陽市内を一望できました】

 

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【綿陽駅前(手前が輪タク)】

報道から:綿陽市の中心部は地震の直接被害は免れたが、地震の土砂崩れで川が埋まってできた唐家山ダムが決壊すれば、綿陽市内には4時間で洪水が到達すると言われている。同市に属する北川県や江油市などからの被災者を受け入れた。約400カ所の避難所が設置され、数十万人が避難している。

 

[平武市]平武市は綿陽から約170Kmの街。

 地震前の九寨溝への移動手段は、成都市または、綿陽市からバスでの移動が一般的でした。綿陽から九寨溝までは約350Km, 今回の地震で大きな被害を受けた北川県を通り、所要時間は約9時間でした。

 途中、平武の街で昼食と、報恩寺の観光をしました。報恩寺は500年以上の歴史を持つ千手観音で有名なお寺で、敷地面積2.5ヘクタールの宮殿と寺院の特徴を兼ね備えた建築群で、中国重点保存建物に指定されていました。

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【バスで北川県内を9時間移動】

 

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【地震前の平武市内の様子】

 

報道から:北川県は中心部が壊滅し、約8600人が死亡。市街地は封鎖され、「地震博物館」として保存し、県都を別の場所に移す計画。土砂が川をせきとめた「土砂ダム」で唐家山地区の集落が水没したが、ダム決壊の恐れは回避されつつある。平武報恩寺も地震で山門や壁の崩落などの被害を受けた。平武はまだ観光客へ開放されていないそうです。

 

=================続きは、上海城市新聞 Vol.15 『奥林会と四川大地震』(その2)で===========
 

 


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