忘却への扉

 日記? 気づいたこと 何気ないひとこま 明日への伝言 願い 子供たちに 孫たちに そしてあなたに・・ 

おれの家だぞ

2010-02-18 | 共に
 『頭をぶつけないでね』と聞いて階段の上を見る。ガラス窓の内側に猫メルが、外の景色をのんびり眺める居場所用に新しく棚を作ってあった。「なんと贅沢な、人の危険よりメルのやすらぎの方を優先するのか」 冗談だけど口に出す。
 メル専用の居場所が増すにつれ、ふてぶてしくなるのでは? 猫にとっては招かざる客なのか、それとも緊張感からかよそよそしい態度。なのに『此処は俺ん家だぞ』言わんばかりに度々姿を見せにやって来る可愛いやつだ。

平和すぎて

2010-02-17 | 平和を
 レストハウスを出た所でケータイが鳴った。『どこにいるの?!』私が探していた時には通じなかったのに、喧嘩をしてもしょうがないので妻の居そうな方向に歩いて行く。
 燃えつづけている平和の灯と平和の池を見ていて出会い、一緒にたくさんの花束が供えられた原爆死没者慰霊碑に手を合わせた。『 安らかに 眠って下さい 過ちは 繰返しませぬから 』 ヒロシマの心の炎を消させる日本の今後でないことを祈る。
 妻は私が広島平和資料館に入るつもりだと知り、東館前で待っていると言う。まあ見学の流れとしては私1人が都合は良くても気ぜわしい。地下の展示場は今回省略し、1階から人混みの中を急ぎ足で進む。
 上階展示場を出た所にある売店では、少しゆっくり品定めをする。資料館をめざすのは本を購入するのも目的の1つ、係りの人とちょっと話もして本館に。薄暗い中から女性が「こんな怖いの見たくない」と言いながら出てきた。男性は『せっかく入ったばかりなのに‥』とあわてている。
 入るたびに展示場から悲惨さが薄れていると私は想う。被爆直後の広島市内を円形にしたパノラマ模型のそばに立つ案内人に聞いてみる。同じ被爆した長崎の資料展示等に比べても、広島は印象が弱いとの声も多く所蔵品の有効活用を復活予定と知りほっとする。
 原爆ドームの永久保存も、世界遺産に相応しい被爆の実態を伝える特別な工法が必要だと保存工事がある度に思う。痩せ細りきれいになった原爆ドームは、虚構の平和を見るようで淋しい。

紛れて地下にも

2010-02-16 | 平和を
 昨年も広島の平和公園には行った。だが、平和継承(警鐘?)の象徴でもある世界遺産『原爆ドーム』の維持保存に関した訪問が目的で、他は公園を最短距離で往復したようなものだった。
 今回は時間的にも平和公園は無理だと最初から諦めていたのに妻から「近くだし行ってみる?」との言葉をもらう。チョコレートにプラスで、バレンタインデーのうれしいプレゼントの気分。
 原爆ドームを見るのも今年の気持ちはいままでとは違い、その場にいるのもつい長くなり妻とはぐれてしまう。元安橋を渡った所のレストハウス前でボランティアの説明案内を聞きながら待つ。
 通り過ぎるグループの1組が、爆心地から170mで地上部は被爆破損と全焼したレストハウスの地下室にいた1人だけ無事だったとの説明と、地下室は現在も当時のまま保存されており中に入れると聞いて希望し係りの人が鍵を開けた。
 説明者に伝えて私もグループに紛れ込む形で階段を下りる。錆びた機械とパイプは時代を物語るが、安全のためか補強や板張りとブロックを積んでふさいだ箇所、立ち入り禁止の場所など意外に狭く感じた。
 地下室の匂いがしないのもちょっと物足りない。だが度々来ている平和公園なのに、地下室は初めてで中に井戸があるのも今回知った。私が地下に居た間に妻は、2人の名前もある木製ベンチまで行ったようだ。

ガラスのうさぎ

2010-02-15 | 平和を
 広島に出かけた日に一緒に食事のあと立ち寄った本屋で見つけ買ったアニメ判 【 ガラスのうさぎ 】 原作/高木敏子 発行所/金の星社 悲惨な戦争は場所や時代を変えて今も続いている。現代の戦争に日本は積極的な行動を始めている現実に、鈍い国民になりたくないと帰った昨夜にこの本を読む。
 [1945(昭和20)年3月10日。 東京上空にアメリカの爆撃機B29の大編隊があらわれました。雨あられのようにふりそそぐ焼夷弾。東京大空襲です。12歳の敏子は、この空襲でお母さんとふたりの妹をうしないました。
さらに、目の前でお父さんもなくしてしまいます。ふたりのお兄さんは戦争に行っていました。たったひとりになってしまった敏子にのこされたのは、半分とけて形のくずれたお父さんの形見、「ガラスのうさぎ」でした。]
 『ガラスのうさぎ』との最初の出会いは、実写版の映画だった。遠いわが家まで来た人に共感を覚えて、大きな小学校の横にある地域の小さな集会所2階の畳敷きの映画会場に行った。観客20~30人 と見れたのはうれしい想い出。
 それが縁で原作を手に入れ何度も読み、やがて本の部屋にある戦争と平和関係の棚の奥に隠れていた。今回アニメ判を読み心を打たれ、久しぶりに取り出して目を通す。
 [ 終戦から60(余)年。戦争を知らないのは、もう子どもだけではない。 ]敏子たち国民が喜んだ平和憲法を改定し、戦争の自由化をたくらむ勢力の裏工作は完了済みなのに目を伏せているだけ。

身体が覚えて

2010-02-14 | 共に
 あの県北で孫たちの水泳の練習を見て、次の日県都の体育館で開催された大会を応援に出かけた。各スイミングスクールが参加してしての競技は夕方まであり、バスで隣り町まで帰り着くのは夜8時そこからは迎えに来る家族の車で自宅へとの予定。
 応援だけの私たちは帰宅時間の都合上、孫たちの競技合間に別れを告げる。結局会場外まで見送りして、また会いに来てと繰り返し笑顔で手を振ってくれた。競技会場の狭さと設備不足のために、競技説明も無く応援場所は特別な1部だけ。で他は建物の外から窓ガラス越しに、限られた人数のみが見えるだけとは。
 参加場面の孫を1回も判別できなかったのを残念に思っていたら、孫娘は『おじいちゃん 見たよ』と言ってくれた。良かった来たかいがあった。自己ベストのアップもうれしい。
 聞いたが忘れた水泳を習い始めるきっかけをまた知りたい。海から車で数時間の町にあるプールまで週に数回練習に通う。本格的な指導者がいるとも思えず、ただ楽しく諦めずに続けているのを感心する。
 孫は痩せ気味で軽いが、孫娘は持ち上げられなかった。太めとは見えないのに47㎏と痩せた時期の私と同じ、背丈はおばあちゃんと同じ。スポーツで鍛えているのでまだ大丈夫。
 身体で覚えながら、知識で心で明るく成長して行って欲しい。おじいちゃんもなんとか体が覚えている運転だけでも練習で維持して、いつか会いに行きたい。高速道路が苦手と短時間運転にも不安がある。安心と危険は紙一重の認識を覚えていることも必要と、無理はあるけど行きたい気持ちも強いのだが ‥‥ 。

何、話してたの

2010-02-13 | 共に
 自動車を降りると朝の駐車場で急に寒さを感じる。首の回りを防御してすぐにコンビニの店舗内に入る。こんな機会でもなければコンビニを利用することなどなくなってしまったが、短い時間で遊べる店内の探索も楽しくて好きだ。
 各チェーン店別、店舗別、地方の場所柄でも特徴がある。連れたちは軽食を買うため、私はお金の両替とトイレ利用を追加した。以前から気になっていたのだが、トイレ前のドアに『 トイレを使用される前に、レジの店員に一言お願いします 』と書いた紙が張ってある。
 レジからも良く見える位置だけに、どんな意味だか尋ねてみた。『他のお客さんが入っている所に、次のお客さんが入ることになっては困るので‥‥』なるほどと納得して、使用を伝える。
 二重にドアがあり1つ目は外から中が見え、2つ目は中でロックできる。これだと貼り紙は不必要ではとも思ったが、もう店員には聞かずに店を出た。走る車で「何を話してたの?」と問われ、トイレ使用を言っただけと答える。
 すべてを説明するのもいいが、変な話をしたと叱られたくはない。でもあの貼り紙に同じ疑問をもつ人は他にもいると思うのだが。あとで気づく、男女兼用トイレだからか‥ダメだ鈍いなあ。

もうだいじょうぶ

2010-02-12 | 日々
 顔の小さな子供ではない。なのにこの口とイチゴの大きさには、喉を詰めないかと心配するより先に驚いた。ジャンボイチゴの太さを知りたくてメールするが、その返事はおよそミニトマト2個分とあり、さてどれだけ?イメージが湧かないまま。
 またふざけているのだろうがイチゴだと食べやすいから大丈夫と思ったら、さっきはトマトが口の中に何枚入るか挑戦していたと‥‥あああぁ。

もうすぐ切れると

2010-02-11 | 平和を
 雨上がりの軒下で採集ハサミと枝切りハサミを、剪定や次の収穫時期のために刃研ぎと修理をする。横に砥石(といし)は幾つもあるのだが、ハサミ研ぎには不便。
 鉄のナイフにダイヤモンド粉末を塗布した形で、柄はプラスチックの商品を使う。ハサミは山でもよく落とし、数か月経って偶然見つけるとかで錆びの酷い物もある。だがそれでも研げばそれなりに使用できる品になる。
 試し斬りは近くの冬枯れした花の枝とか、実生で痛そうなトゲも出ている柑橘の枝だ。ちょっと細いとわかってのこと、表には試しにちょうど手ごろの梅の木があるが今満開の枝は切る気分にはなれなかった。
 だから良く切れるかどうかにはまだ不安がある。職業上で使用する刃物の切れ味はどれも用途別に重要なことだ。だがそれが近年増殖しているキレる人間となれば危険が潜む。
 また少年たちの殺人や誘拐事件がニュースになった。自分を暴発させ他人を傷つけても平気だと、狂気をぶつけるためには凶器も使う。キレることで自らの憂さ晴らしを探す者がいる社会を怖くなる。
 心の傷さえあとに残る。なのに命の大切さまで軽くなるとは、日米軍事同盟の密約でも明らかだが平和憲法軽視と国民無視のままの米日関係が日本の敗戦後から現在まで持続する。切れる人間こそ戦争には必要不可欠。また英雄気取りか自衛隊幹部が日米軍事演習の壇上で日本政府の首相を批判した。武器は錆びる社会が、本当の平和と私は信じる

シワの数

2010-02-10 | 追憶
 先日知人女性に出会って立ち話をした。その時に一瞬見えた顔のシワが気になった。年齢は私よりもずいぶん若いと思っていたが、それにしては細かいシワが多すぎるのでは‥‥。
 何をバカなこと考えたもんだと自分を叱る。当人は素顔のままというだけで、私も話始めてシワのことなど忘れてしまい本当に見たのかさえ今では疑問。そうそんなに目にも自信はない。
 どこをと言えば相手の目を見ての会話が多い。だから1対1か2~3人での会話が乱視の目にも限界だ。『目は口ほどにものを言い』だが黙っていても親しくなれず誤解を与えやすい。

 祖父母のそばで育った私にとって、シワは仕事と家族の生活の名誉ある証。ワラ草履は使える間、軍手(作業用手袋)無しでの素手素足の仕事も多い百姓だった。指紋など見えたのか厚くてガサガサした手のひらと足の裏。だからその他に立派なシワが広がっていた。優しい笑顔にまた会いたい。

笑いで抑制を

2010-02-09 | 平和を
 昨夜テレビで、笑いにはガンの抑制効果があるとか聴いてちょっと納得する。お笑い系の番組での数分間の話題でなく、もっと詳しく知りたいと思う。日ごろ職場や地域に家庭の周辺でも、笑いの持っている大きな効果は感じていた。
 ガンに対しての医学的話題は初めて聴くが、ストレスを溜めないとか気分転換や良好な人間関係の維持などにも意識的と無意識のどちらにせよ笑いは日常生活に活用されている。
 笑い声は出せないが、私も笑いは大好きだ。今夜は報道の他に私に残っている数少ない番組『踊るさんま御殿』を見ていた。「またバカなのばかり見て、変えたら」一緒に観た昨日の今日なのに楽しさを半減する言葉を横から聞く。
 『作り笑いでも(ガンを抑制する)効果はある』は昨夜の力強い話だ。1人の時は私も作り笑いを大事にすることがある。それで何度も乗り越えられた。いつも笑いを言って聞いていると、他の人のもすぐに反応できる。
 笑いを共有できればとの思いが、特に職場ではあった。仕事は仕事、1日の勤めを終えての帰りには笑顔の仲間を「お疲れさまでした」と見送って最後に扉を閉じる。ほっとする 小さな幸せが増えて行く平和な社会への歩みに今年も期待する。