忘却への扉

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忠君愛国の四字を滅す

2017-06-21 | 平和を

 【 [  もの言えぬ社会 】 四国中央編集部 西尾 寛昭 

[ 非戦論をを唱え、明治から昭和の激動期を生きた四国中央市出身の安藤正楽(1866~1953年)。先月まで市内の暁雨館(土居町入野)であった企画展で紹介されたように、その半生は近代日本の「もの言えぬ社会」への歩みと重なる。
 日露戦争直後の1907年、正楽は八坂神社(土居町藤原)の記念碑に「世界人類のために忠君愛国の四字を滅すにあり」と記した。与謝野晶子が反戦詩「君死にたまふことなかれ」を著すなど、当時の言論は比較的自由だった。
 だが治安維持法などの成立・改正が繰り返され、為政者は統制、監視、弾圧を強める。正楽のおい・故山上次郎氏の著書によると、正楽を危険視した官憲は「聖戦を無駄な戦争として批判するのは非国民。外国人のスパイのようなものだ」と村人に説いたという。正楽は戦争批判に慎重になり、戦意高揚の表現を用いながらも出征兵士を案じる詩歌を残した。
 先の戦争への反省から生まれた憲法の施行から70年。犯罪を計画段階で処罰する「共謀罪」の趣旨を盛り込んだ組織犯罪処罰法改正案の国会審議では、政府の前のめりの姿勢が目立った。プライバシー侵害への懸念に正面から向き合おうとしているのかも疑問だ。徐々に踏み固められた全体主義の末路を身をもって知る正楽なら、今の世相をどう見るだろうか。]
                                   [ 取材 最前線 ] 2017/6/15 地方紙記事より

 ( 忘却への扉 ) 安藤正楽(あんどうせいがく)1953年86歳で没。(現四国中央市)土居町藤原5-23の八坂神社に日露戦争記念碑がある。
 知人は何回か出かけ、碑文全文を削り落とされた記念碑に感銘を受け、私にも行くよう勧められその気になっていた。だが、距離が遠すぎてGoogle検索で情報を得るのがやっとだった。
 人権思想家で歴史家でもあった正楽は、宇摩郡会議員や愛媛県議も務めている。1910年5月日本各地で多数の社会主義者、無政府主義者が明治天皇暗殺計画の理由で検挙された大逆事件に連座した形で、安藤正楽も逮捕拘留され碑文は全文削除された。官憲によって削り落とされた記念碑に並んで、発見された原文の新しい碑が立っている。
 大逆事件は全世界に衝撃を与えたが、裁判に1人の証人も出廷させず、裁判記録も弁護士の手にも残さないもので、事の真相は第二次世界大戦敗戦まで隠されていた。12人が死刑になったが為政者のでっち上げが真相と見られている。
 「共謀罪=治安維持法」為政者による言論統制、監視、弾圧の強まりつつある現在の恐怖心。安藤正楽の残した石碑実物にやはり会いたい。

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