忘却への扉

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怖さを思い知る前に

2017-04-13 | 共に

 【 地 軸 】 2017/4/9 地方紙1面下段コラムより

[ 「人を殺そうと思って実行したら実は別人だったら?」「実は人ではなく猫だったら?」「実は『犬の皮』とかぶった人だったら?」―物騒な話で恐縮だが、法学部生だった昔、大まじめに論じた刑法の「錯誤論」の話。
 ▲錯誤とは「思い違い」」。実行者の認識と実際の結果が一致しない場合に「どのように故意を認めるか」は、犯罪の種類や成否を左右し、学説も分かれる。先の例も、殺人か過失致死か、はたまた過失による器物損壊(不処罰)か、と悩みに悩んだ。
 ▲ときに極端に過ぎる「究極の事例」を笑うと、教授に戒められた。「刑法は人を処罰する法。強大な力と危険を鑑みれば、どんな論理の抜け穴も、可能性の低そうな問題点も放置してはならない」と。
 学生ながら肝に銘じた方の重みと、罪刑法定主義の譲れない原則。それがいま瓦解(がかい)しようとしている。「共謀罪」の法案が国会審議入りした。対象や要件は曖昧で、恣意的な運用と解釈の余地だらけで、テロ対策を口実に立法の必然性さえ説明できない政権の下で。
 ▲民進党は40の質問を準備する。「(毒入りカレー計画で)カレーを作ったら準備行為か」「メールや電話も共謀か」。細かいことは聞くなと逃げるだけの法相答弁はもう、許されない。
 ▲究極の事例は揚げ足取りではなく、権力の「思い違い」をただし、具体的な危険を想像する教材。「まさか」は誰にも起こりうる。怖さを思い知る前に、考えに考えたい。]

 ( 忘却への扉 ) 憲法の解釈を歪め、変更することで、世界に誇る平和憲法を持つ日本がこれまでの政権が手を付けなかった戦争への道を、軽々と踏み出した安倍政権。
 国民の声を聞くどころか、権力者意識を強め国会をも牛耳る。「共謀罪」は市民の自由な活動を委縮させるには持って来いの罰則、国民に見ざる言わざる聞かざるを強いるが、権力側にとっては自由で勝手気ままな、し放題可能。
 捜査機関も「共謀罪」が成立すれば上への忖度で動かなくても、冤罪を増やしかねない恣意的捜査も自由にできる?。
 恣意的捜査を防ぐため厳罰を下す罰則規定など、あらかじめ一般市民が絶対に「共謀罪」取り締まりに巻き込まれない詳細な安全規則を盛り込むべき。
 「共謀罪」など急がなくても現行法で十分対応できるとの専門家の声、こんなはずでは。「共謀罪」を稼働すれば拡大解釈推進可能。戦中の治安維持法再来社会とならない保証はゼロで怖ろしい。