summer diary

日記らしきページ

またもやプリウスで暴走だ

2019年05月16日 | Weblog

 千葉の市原市梨ノ木公園へ65歳男性が運転するプリウスが公園内へ突入して保育士の方が骨折の怪我をする事故が起きた。公園の向かい側にある駐車場から道路を隔てた公園内まで車を暴走させたのである。 本人はブレーキを踏んでいたと言っているが、そんな訳もないだろう! さらにやはりプリウスなのである。 以前にも書いたけど、プリウスのアクセルとブレーキの位置に問題があると思うけど、それはドライバーの言い訳である。 それ以上にハイブリッドは電気で初動するシステムだから、エンジンのような挙動を感じることがない。 発進時でも清閑なこともあり、アクセルを踏んでいてもブレーキを踏んでいると思い込むことになるのである。 だから、特に高齢者のような場合にはブレーキを踏んでいると思い込んでアクセルを思いっきり踏んでしまうのである。 EVやハイブリッドの静かさはそれまでエンジンで駆動する車に乗っている人からするとまるで走っている感覚が無いのだ。 高齢者がプリウスに乗ることはその点に関して意識をしっかりと持つことが必要だ。 この所の踏み間違いによる事故のほとんどはハイブリッド(プリウスが最多だ)車である。 しかも、運動神経も認識力も低下している高齢者がほとんどである。

私も高齢者に仲間入りする年齢になって来たけど、ハイブリッドに乗ることは無いだろう。 実際にハイブリッドは初動がとても速く、アクセルの感覚を掴むのが難しい車である。 EVも同じで、何しろエンジンの挙動が無いからどの程度スピードが出ているのかメーターを見ないと解らない。 さらに、エンジンブレーキなども効かない。 こんな車に乗りたいとも思わないのである。 

バイク好きな私は特に思うのだけど、車との一体感が無いことはとても運転が難しいのである。 スピードを体感で感じることが出来ないのはとても危険だし、運転操作が正常に出来ないのである。 それは車も同じことが言えて、常にエンジン音や路面からの挙動を感じながら操作を適切に行うことは基本的な運転技術である。 オートマチック車はエンストする心配が無い分簡単に感じるかも知れないけど、下り坂などではエンジンブレーキが効かないし、ストップするときでもエンジンブレーキが効かないのは停止する手段がブレーキだけと言うことになり、スピードコントロールが難しくなるのである。 

ともあれ、最近は踏み間違いが多すぎる気がする。 なんでこうなるのか? あまりにもぼんやりとした運転が目立つのである。ただのぼんやりで終わればまだいいけど、またしてもジジイのぼんやりで幼い子供が死ぬかもしれないような事故を引き起こしているのである。 もっと考えてハンドルを持つことをしっかりと認識して欲しいものである。


最近多い政治家の暴言

2019年05月16日 | Weblog

 またしても政治の暴言。 これまでも何人もの政治家、それも大臣も含めての暴言(暴言と片付けられない馬鹿、アホとしか言えない常識外れ、人間失格としか思えないような言動)が相次いでいる。 戦争による北方領土返還を元島民に質問し、日本維新の会を除名された丸山穂高衆院議員。 そもそも戦争によって返還する考え方自体がこれまでの戦争では何も得るものはなく、互いに傷を負うだけであることは歴史を知らない世代だって十分に理解できている。 戦争そのものは今でも世界のどこかで紛争が繰り返されているし、多くの犠牲者が出ている。 戦争とうマクロの戦いだけではなく、個人的な人間関係だって同じ悲劇を招くだけである。そのことは誰でも経験している事柄だろう。 お互いに傷つけ合うような論争や喧嘩が如何に無意味で未来が無いことであるかは、常識や人間として確立できている者は当たり前の理念である。 

ましてや、政治家や官僚、さらには企業のトップや役職に付いている人間がそんな当たり前のことが身に付いていないなら、この世はお終いである。 大阪出身で東京大学経済学部を卒業して官僚になり、日本維新の会から出馬して当選し、政治家になった履歴があるほどだ。 少なくとも勉強は出来る秀才と言っても良いだろう。 しかし、これまでも暴言により失職した議員などと同じようにアホであることは間違いない。 このアホは世間を知らないし、人の気持ちも知らない能天気な頭脳の持ち主なのである。 勉強が出来ることは単純にクイズを解くとの同じで、特別人間の心や優しさや愛情や労りなんてものは必要ない。 数学の数式に人間性なんてものが必要ないのと同じである。 もちろん、哲学や精神学、経済学でも人間の心理を理解する必要があるのは確かだ。 しかし、それは学問としての人間学であり、本当の人間の意識ではない。 まっ、この辺の話は複雑だし、難解なのでこれ以上書いても意味がない。 

この所のニュースは同じ性質の出来事が繰り返されている。 高齢者の運転による事故。 動画サイトへ馬鹿動画を投稿する人。特殊詐欺に騙される高齢者。 政治家の暴言など。 飽きれるような事件が頻繁に起きている。 毎日のように交通事故で死亡している人がいる世の中で、どうして自分の運転をしっかりと認識出来ないのであるか? 不適切動画で賠償責任や刑事責任が負わされている中で同じような動画を投稿する人間の心理はいったいどうなっているのか? これまでも政治家や議員の暴言が繰り返されている中でまったく同じことをする者が出てくるのはどうしてか? 

人間だから? それはそうだろう。 人間だからね。 いろんな考え方や生活環境や生きてきた生い立ちだって全て違っている。ましてや人間は感情もあるし、知識もある。 間違いも起こすし、良いこともする。 それでもである。 人間には学習能力がある。最近は人工知能だってかなり発達しているし、AIは人間に代わって人間以上の成果を出している分野だってある。 でも、人間はもっと知性的であるのだ。 普通の人間は少なくとも、ある程度の大人になった頃には世間の常識や正義や悪とを適格に選別できる知性は持ち合わせている。 少なくとも間違って人を刺したり、間違って殴ったりするような事は無いのである。

間違ってお釣りを間違えたり、道を間違えたり、砂糖と塩を間違えたり、人の名前を間違えたり、ズボンの前後ろを間違えたり、入力文字の変換を間違えたりすることは多々あるかもしれない。 でも、間違って暴言を吐く事や、間違って事故を起こすことは普通の人間はまず無いのである。 交通事故を起こす人間の運転は普段から事故に対する意識が無いから事故になるのである。 自分の都合だけで車を走らせる人間は必ず事故を起こすのである。 それは運転の経験が長いとか短いとかの問題ではない。 事故が初めてと言う人でもそれまでの運転で事故になっていてもおかしくない運転をしていたのである。 必ず原因があり、その要素は誰でもない当人が全てだ。 暴言だってそうである、普段からそうした言動は意識しないでも出ているだろう。 少なくとも、何時も人の悪口を言ったり、侮辱したりする人はそもそもだけど、そうした資質を備えているのである。 自分では気づかない? かもしれない。 人間だからね。 でも、一旦そうしたことで人を傷つけたりすることが公になってから始めて世間の評価を意識するのである。 でも、治らないだろうな。 そこが人間である。 コンピューターの様に簡単にプログラムを書き換えることが出来ないのは人間であるからだ。 繰り返し同じ馬鹿をするしかない。 仕事が出来ても、勉強が出来ても、馬鹿な人間性は簡単に修正出来ないのである。 

人気がある政党や、人気がある政治家の推薦などを鵜呑みにして票を入れる人も多いだろう。 中には若いからとか、イケメンとか、可愛いとか、美人とかで票を入れる人も居るだろう。 でも、少なくとも政治家は国家の要であることは頭の隅に置いて置く必要はあるだろう。 この国を支える存在であることは認識して選択するぐらいは国民の義務である。 でないと、こうした政治家の暴言は無くならないし、政治家は全てアホの集団になってしまう。 そんなアホに国を任せるのだろうか?