summer diary

日記らしきページ

うっせーわ ブーム?

2021年02月23日 | Weblog
 Adoの楽曲「うっせーわ」が子供達に大人気らしい。
歌いやすいんだろう。 少し前にもネットで相当にブームになった歌もあり、いろんな意味でも今の子供達はYouTube動画の影響をかなり受けている。
SNSもそうだけど、こうしたある意味ではこれまで無かったような新しい感覚には敏感に反応する。
この歌詞の内容や、言葉使いで歌詞を書いているのも珍しいのだろう。
常に新鮮な物を求めるのは、子供の新鮮な感性の証だろう。
この歌について一部の親からは子供達に悪影響を与えると言う指摘もある。
うっせーわなど、この歌詞の中には決して良いとは思えない言葉が多々ある。
しかし、そうした言葉は何もこの歌詞の中だけではなく、アニメや漫画、小説などでも多々登場する。 
この歌詞を口ずさんでいたとしても、別に言葉使いが悪くなる物ではない。
言葉は常にケースバイケースで使い分ける物である。
なので、この歌詞を歌っているからと言って、普段の生活の中で使う言葉として定着する言葉にはならないだろう。 子供達も悪い言葉と良い言葉を認識する能力を備えているし、言葉使いを教育するのも大人の責任だ。 
悪い物を見せないのではなく、逆に悪い物をどんどん教えて、何が悪く、何が悪くないのか、どんな場面で使う言葉が望まれるのか。 
そうした物事を識別して、適切な物を選択、判断する能力を身に着ける事が本当の教育である。
日本の性教育は世界でも最低レベルだ。 特に日本人は性に対する偏見が強い。さらに、子供達に性に対するしっかりとした概念と言うか、意思が足りない大人が多く居る。 
いろんな意見があるだろうけど、もっと個性や個人の意思を尊重出来る世の中になるべきだ。
他人を尊重出来ない人間は自分を尊重することも出来ない。



5月並の陽気

2021年02月22日 | Weblog
 昨日、今日、明日も気温は20度を超えて5月並の陽気に恵まれる。
まだ2月中旬を過ぎた季節で、これほどの陽気になるのも珍しい。
ただ、寒の戻りもあり、明日以降は再び最高気温も10度前後に戻り、まだまだ本格的な春の陽気とは行かない様子だ。
この中部地方は今年は2度程の降雪があったが、一度も積もるような事も無かった。 これは予想通りだった。 この3年間近く、ほとんど積雪になった記憶はない。 去年も1度も雪も降らなかった気もする。
以前は車のタイヤも12月末までにはスタッドレスに交換していたけど、去年から交換することもないし、スタッドレスは息子の車用にした。
これからも、冬用のタイヤを用意するつもりもない。

今日も暖かく穏やかな天気が続き、今日、明日は仕事も休みなので、のんびりと過ごせる休日になる。 昨日は午後から仕事だったし、午前中から息子が孫を連れて帰省したので、孫の顔を見ていた。 ギターも1時間も練習することもなく、今日はその分も含めてしっかりと弾きたい。
今の練習曲はアメリカ民謡のオー・ラリー。 これは意外と簡単なように見える曲だけど、実際にはフレットを押えるのは意外と難しい。
曲事体のテンポが遅い曲だと簡単に見えるけど、テンポよりも、フレット間の移動や和音が多用し、その和音を押えるフレットの位置が離れて居たり、セーハしたりするコードを押える事は意外と難しいのである。
それでも、何度も練習することで弾けない曲はない。
練習時間に比例して必ず弾けるようになるし、ある程度弾けるようになったら、音楽性を深めたり、メロディーを強調したりする練習も出来るだろう。

さて、月に3曲、時には4曲毎に課題曲があるので、年間を通して36曲程度をマスターすることになっている。 これはかなりハードな曲数だろうと思うけど、レベルに合わせてしっかりと練習すれば可能な事だろうと思って居る。
これはソロギターの曲だけど、その他にもカルカッシの教則本の練習曲も進めて行きたいので、ほとんど休日はギター三昧の日々を過ごすことになる。
でも、人差し指の関節の痛みなども少しあるので、ほどほどにすることや、1時間程度で休憩するようにしたい。
最近は薬指の爪の調子も悪くないので、爪が引っかかる程度に伸ばしている。
これでかなり音は明瞭になったし、バランスも良くなった。
やはり、ピッキングでギターを弾くのには爪が大切な要素だと思う。
もっとも、その薬指の爪が割れたら、一旦は全ての指の爪は切り落とすことにしている。 そうしないと全ての音のバランスが無くなる。

話は変わるけど、新型コロナのワクチン接種が開始された。 医療従事者から先行して接種しているが、このワクチンの供給が計画とは遅れる様子だ。
世界的規模のワクチン供給量には対応できていないのが現状で、当然だけど、現在認証されているワクチンの大手3社の生産能力には限界もある。 日本でも委託生産を開始することは決まっているけど、まだまだ実際に供給できるレベルになるには時間が掛かる。 
東京オリンピックまでに医療従事者、高齢者以外の一般の人に接種することはほとんど無理だろうと予想することは出来そうで、果たして、東京オリパラは開催することが出来るのだろうか?
新会長となった橋本会長は意欲的だが、世界的な感染状況を鑑みると、開催することはかなりハードルは高い。 仮に開催するとなっても、果たして、全ての競技が熟せるとは思わないし、感染対策や安全、選手や観客をどのような形でコロナやその他の権威から保護する事が出来るのか?
全豪オープンテニスのオーストラリアの今回の大会での感染対策と比較すると、足らない事が沢山ある様子だ。 実際に全豪オープンの責任者から見て、東京オリパラの対策ではダメだと言う意見もある。
コロナ感染対策はそもそも、人が集まる事と真逆の事で、それを人を集めても対応することが出来る事は相当に難しいことだろう。
ワクチン接種は勿論だけど、感染者の特定をどのように確実に見つけるのか、無症状感染者を洗い出すことは出来るのか? 
当然だけど、熱もなく、症状もない人が会場に出入りすることは当然だけど、必然だし、そこから感染が拡大する可能性もかなり高いと想像できる。
選手だけではなく、会場へ足を運ぶ人も全てPCR検査での陰性であることが条件とすることも必要だし、そうするだけのキャパシティーを確保することが可能だろうか?
私は個人的には開催は出来ないだろうと思って居るけど。
まっ、私は東京オリパラを実際に会場へ行ってみることもないので、どのような開催内容でもそれはそれでも良いだろう。










仕事の話

2021年02月21日 | Weblog
 仕事をしなくても十分なお金があるなら、はたして仕事をしているだろうか? 答えはNOである。 余裕で遊んで暮らせるだけの資金があるなら、仕事をする必要もないし、する意欲は沸かないだろう。 
もちろん、暇を持て余すような毎日に飽きて、なんでもいいから仕事をしようと思うかもしれない。 いや、私の場合なら、暇を持て余すことも、毎日同じことを繰りかえすことも飽きることもないと断言できる。
と言うか、今はやりたい事が沢山あるので、毎日自分の為だけに時間を使うことが出来る事を望んでいるぐらいだ。 
資金が豊富にあるなら、まだまだ他にもやりたい事は増えているだろうし、もっと、自分のがやりたい事にお金を掛ける事をしているだろう。
例えば、ギターのレッスンを良い先生に受けるとか、春、秋にはいろんな観光地へ出かけるとか、ギターのコンサートにも頻繁に行けるだろうし、ギターももっと高級なギターを手に入れる事も出来るだろうし、バイクも再び乗るだろうし、毎日自分の為に時間を使えるなら、自分が求める自分に近づくことも今以上に早期に達成することも出来るだろう。
ほとんどの人は恐らくだが、十分な資金や預金があるなら、仕事をする事は無いだろうと予想する。 例えば、宝くじの1等10億円が手に入ったら、即座に仕事は辞めるだろうと言うことは想像するまでもない。
その資金を使って事業を始める人も居るかも知れないけど、そうした仕事を生き甲斐と出来る人は幸せな人生だろう。
私は事業を起こしたいとか、仕事を生き甲斐とすることは生涯無いだろうし、この先も仕事に求める物はお金以外には考えられない。
なので、以前から書いている通り、後2年で定年して、その後は年金での生活を続けることに決めている。 それはある意味では、生活する為の最低限の生活費用での生活なので、特に遊んで暮らすということもない。
遊んで・・・は確かに、毎日ギターを弾き、トレーニングを続け、毎日のんびりと過ごし、夜はビール、ウイスキーを飲んで寝る毎日を過ごすことだ。
時には子供達と孫と一緒に出掛けたりすることもあるだろうし、行楽地へ出かける事もあるだろう。
それでも、贅沢とは無縁の生活になることも当然で、私はそうした生活で余生を過ごしたいと思って居る。





2年後の私

2021年02月20日 | Weblog
 クラシックギターを弾き始めて半年が過ぎた。
半年と言うのはちょっと違うかもしれない。 それは、本当に初めてではないからだ。 若い時にはアコギは数年間、クラシックギターも数年間弾いた経験がある。 それから数十年が過ぎて、再びギターを弾き始めてから半年である。
なので、初めてではない。
しかし、その数十年の月日はギターの経験なんてものは、ある意味ではただの悪い癖だけだったかもしれないと思わせる。
なので、今は本当の意味では、初心者として、愚直に真摯にギターと向き合う日々である。

コロナ禍で見つけた私の残された余生を充実させる物がギターだった。
この先、コロナの収束は1年後か2年後か、それとももっと先なのかは知れない。 私は2年後には仕事は辞めて、毎日自由に時間を使う日々が来る。
2年後にギターがどこまで弾けるようになっているのか知ることもないけど、少なくとも、今手元になる数冊の教則本の全ての曲は完全にマスターするつもりだ。 さらに、その後はもっと難しい曲に挑戦し続ける毎日を過ごしたいと思う。 
ギターを完全に弾き熟すことは、永遠の課題だろう。 余生を生きる私が到達する領域はどこまでだろうか?
今、手元にある教則本ですら、相当に時間が必要な気がしている。
さらに、体力的にもどこまでギターを弾くことが可能だろうか?
ギターは意外と体力も必要だと言うことは実感している。 それまでは、筋トレを私の趣味の優先順位1位の座に置いていたのだけど、今はギターがその座を獲得している。 ギターを優先した事で、これまでのようにトレーニングをする時間や体力が減少した。 ギターを弾くことは意外と精神的にも体力的のも疲労するのだ。
もちろん、どちらもそれなりに調整することで、両立することは可能だし、今はまだ仕事が生活の中心なので、お互いに時間や体力を使うことに限りがある。 あと2年は今の状態が限界だろう。
しかし、2年後からは、ギターもトレーニングも今の倍以上の時間を費やすことも可能となる。 それまでに、ギターは基礎トレーニングと思って、基本を忠実に練習しようと決めている。 筋トレもあまり無理をすることもなく、今の筋肉を温存することで納得する。
今日から週末にかけて、気温は春らしい陽気になる予報。
今日も日差しはたっぷりと注ぎ、春めいている。 それでも、朝晩の冷え込みは冬らしい寒さを感じる日々だし、心地よい陽気が訪れる日はまだ先だろう。
春の日差しを感じながら、気持ちよくギターを弾くのも楽しみだし、そうした時間を持てることも感謝する。
去年は1本のギターを手に入れ、今年の始めにも1本のギターを購入した。
これからはこの2本のギターを交互に弾き続けたい。
どちらも私には十分満足できるギターだ。 互いに特徴が違うので、弾く楽しみも増えた。 この先もこの2本のギターは私と一緒に時を刻み続けるだろう。 そして、本当に楽しく弾くことが出来る日々が来る事を願うのである。
新型コロナの影響は恐らくこの地球の全ての人々に様々な人生の変革をもたらしただろう。 私もこのコロナによって人生が変わったと思う。
コロナが無ければ、ギターを再開する事はなかっただろう。
さらに、ギターを新しく購入することなど想像もしていなかった。
さらに、筋トレでジムに通い続けているだろうし、生涯、ジムに通い続けると決めていたのだ。 バイクでのお遍路も生涯の私のライフワークにしようと決めていた。 
そうした物は大きく変わり、嫌、変わる必要が有った。 今は家でギターを弾くことが唯一無二の私の生き甲斐となっているし、そう決めた。
トレーニングも家で出来るようにそれなりに器具を整えて、週2回程度のトレーニングを熟すことにしている。
今では以前と違う人生の目標を見つけ、違う生き甲斐を定め、将来の目的すら変わった。 生活事体が大きな変化はない。 幸いにも、収入面では変わることもないし、仕事も全く変化することもない。 もちろん、2年後には仕事をすることもない日々を過ごすことを決めている。

これまでの人生はそれほど大きな変化はなかった。 生活が困窮したり、逆に余るほどの余裕が生まれたりするような出来事もないし、ある意味では普通の人生を送ってきた。 毎日仕事に出かけ、二人の子供を育て、夫婦で仲良く暮らす日々をこれまで過ごして来た。
これからも夫婦二人で協力して生きて行くし、子供達も巣立ち、お互いに支えあう事が大切な時が来るだろう。 
そして、それほど遠くない未来は死を覚悟する日も来る。
今自分のやりたいこと、やるべきこと。 近い未来をどのように生きる事を望むのか。 年齢を重ねる度に、これからの人生の過ごし方を考える事が多くなる。 若い頃のように、今を生きる事が精一杯の日々とは少し違うと思う。
今ももちろん、日々の生活を精一杯生きる事に違いはないけど、残されている時間は大きく違い、これまで以上に時間を大切に思う気持ちは増した気がする。 なので、無駄に時間が過ぎる事に何か焦りすら感じる。
自分が描く未来の為に、今の時間を使いたい。
しかし、未来は今の連続であり、今を生きる事が未来を創ることになる。
結局は、未来を大切にすることと、今を大切にすることは同じで、少なくとも、自分の人生を考えると言う点では何も変わることもない。
未来の為に今を犠牲にすることはないし、今を優先しても未来を犠牲にしている訳でもない。 互いに同じ次元にあり、そして、どちらも自分の意思がそこには歴然として有るのだ。 今と未来を同軸に想像することは、常に最善の今を生きる事に繋がる気もする。 さらに、常に自分の直感を信じる事を忘れることが無いようにしよう。 いろんな情報が飛び交う今の世の中で、他人が与える情報に翻弄される事は自分を見失う最大の要因だ。
誰でもない自分の人生を自分で決める事が今も将来も自分のイメージを実現するためには必要な事である。
自分の直感こそが、人生を豊かにする選択であり、判断になる。


寒い日

2021年02月18日 | Weblog
 昨日から真冬並みの寒気が日本列島を覆い、真冬の寒さになっている。
今日も午前中は日差しもあるが、それでも風が強く吹いているので、かなり寒い日になっている。 洗濯物は風に吹かれて大きく揺れているので、乾くだろうと思うけど、午後からは雲が広がる予報なので、夕方までに完全には乾かないだろうと予想する。
昨日は私は勤務明けで、午後から歯科医に行ったりしていたし、妻も朝から仕事だったので、洗濯物が溜まっていた。 今日はたっぷりと洗濯をしているので、相当な量の洗濯物を夕方は取り入れることになる。
今日は休みなので、家で過ごすことになるけど、ウイスキーなどを買いに出かけたいと思って居る。 
昨日は歯科医で義歯を作るために型を取るだけの診療だった。 なので、時間はほとんどかからずに治療は完了。 次回には義歯が出来て、やっと去年の年末に抜歯した奥歯に歯が入る。 本当の予定はブリッジで奥歯に義歯を入れる予定だったのであるが、今回はとりあえず、暫定的な処置と言うことで、入歯(義歯)での治療である。 これは、この抜歯した歯の両側の歯が、健康な歯なので、その歯をブリッジで加工する事をしない方法を取ることにしたのである。 ブリッジは義歯の両側の歯を加工する必要があり、ほとんどの場合、神経も取り除くことになるので、歯の寿命が短くなる可能性がある。 
歯は神経を抜いてしまうと、死んでしまうので、やはり生きている歯に比較すると寿命は短いし、どうしても劣化する。 
なので、少しでも歯を長く健康的に使うようにするには、そのままの状態で生き伸ばすことが良い。 今回は暫定的と言いながら、入歯で対応し、どうしても入歯が合わない、メンテナンスが面倒などの理由でブリッジへ変更することも選択肢なのである。
それは、入歯を入れてからしばらく使用してみて、納得できない場合にはブリッジ治療をすることにしている。
ブリッジだと歯を外して出し入れして、洗浄したりする手間は無くなるし、ぐらつきなども完全になくなるので、ブリッジの方が自分の歯として使えるメリットは大きい。 でも、前著したデメリットもあり、今後どのぐらい加工した歯が持つのか分からないし、私の今回抜歯した歯も神経が無い治療していた歯である。 どうしても、神経を抜いて、歯を加工した場合には歯は劣化することは間違いなく、割れたりする可能性が高くなる。
長く使うためにも出来る限り健康な歯を1本でも多く残すことは、この先の事を考慮すると、義歯でもある程度満足できるレベルならその方が良いとの歯科医の先生の意見だ。
インプラントと言う治療もあるけど、インプラントは1本でも数十万円もの治療費が必要になるので、そこまでの費用を捻出するのも考えている。
将来的にどうしてもインプラントじゃないとどうすることも出来ないような場合にはそうするだろうけど。

さて、今日もギターの練習をする予定だけど、人差し指の第2関節の痛みもあるので、様子を見て、短時間で終わることも考えている。
この関節を傷めたりする原因は、押え方にもあるだろうし、必要以上の力を入れている事も多くの原因らしい。
なので、音を出すために必要最低限の力で押える事を意識して練習する事を心がけている。
しかし、これが意外と難しい。 これまでの力の入れ方を変えるのは相当に時間も掛かるし、実際にどうしても右手の力の入れ方と左手は常に連動しているので、曲などの強弱に連動して左指の力も入る。
しかし、実際にギタリスト達の左指の動きなどを見ても、力が抜けていて、とても力んだ様子もない。 軽々と押えている様子を見ると、はやり、長い年月を掛けてそうした奏法が最も最適で、上達するためには必要な指の使い方、力の入れ方出あるのだろうと想像できる。
左指先にもマメが出来ているような様子もないし、とても軽く弦を押えている事も分かる。 力を抜くことは動きもスムーズになるし、掌を広げる事も容易になる。 女性ギタリスト達の指は男性に比較するとそれほど大きく無いだろうけど、難なく手が広がり、離れているフレットを軽く押えている動画などを見ても、やはり、音が出る最低限の力で押える技術が卓越しているのだろう。
私もそうした技術を身に付けようと思うけど、これから長い時間が必要だろう。 

今日は雨

2021年02月15日 | Weblog
 今日は夕方まで雨が降り続く予報。 今朝目覚めてから雨は降り続いている。
気温はそれほど低くない。 意外と暖かい日だけど、日差しが無いので、やはり肌寒い気もする。 暖房はそれほど要らない? でも、朝は暖房を点けている。
さてと、今日も仕事は休みなので、ギターを弾いて過ごす一日になる。
今日は筋トレもしっかりと熟そう。 昨日もその前日もトレーニングをしようと思ったけど、結局はやらずに終わった。 ギターは意外と疲れてしまって、夕方のトレーニングをする気力が無くなってしまうのである。
もう少しギターは控えめにして、トレーニングする気力を温存しないといけない。それでも、ギターを弾き始めるとなかなか止まらない。 
今練習している曲はまだ8割程度の完成度だろう。 さらに、カルカッシの進捗状況も遅々たるものだ。 基本練習もまだまだ流暢にはいかない。
まっ、焦る必要はないので、のんびりと楽しんでギターを弾いているけど。

今日は少し買い物に出かける事にしている。
さらに、今日はザバスのシェイカーがAmazonから届くので、午前中はちょっと宅急便が到着することを気に居ていないといけない。
この数回は宅急便が到着した事に気が付かないで、何度か不在通知がポストに投函されていて、再配達を依頼している。
最近の配達員は案外簡単に諦めるらしく、在宅していても気が付きにくい。
チャイムを何度鳴らすのか知らないけど、1回程度鳴らして出ないとさっさと不在と判断する様子だ。
まっ、再配達の手間を考えているなら、もっと数回程度出るまで待つぐらいはして欲しいと思うけど。 配達する側からすると、その数分でも待てない気持ちも分かるけど。
それでも、何度も配達する手間を考えるなら、ある程度待つことも無駄では無いだろう。 特に、車が車庫に入っているような場合には、在宅の可能性は高いので、そうした状況も踏まえて欲しい気もする。

さて、2月もすでに半月が経過した。 今年明けてからすでに1か月半が過ぎたことになる。 今年も思っているより早く過ぎ去るのだろう。
後2年で今の仕事はリタイヤして、年金生活をする事に決めているので、それまで2年を切ったことになる。
定年を迎えてからは家で過ごす時間はたっぷりとあるし、しばらくはバイトもする心算もない。 ギター三昧の日々を過ごしたい。
それから、小遣い稼ぎに出る心算だけど、小遣い程度で十分なので、半日程度の仕事(バイト)を探して行こうと思う。
週3回程度の半日仕事で月5万円程度の収入があれば十分だ。
仮に在宅で出来るなら尚良いけど、そんな美味しい話はないだろうね。
まっ、ギター三昧の日々を過ごせる日が待ち遠しい。 でも、左指の人差し指の関節がちょっと痛みを感じるので、あまり長時間弾くのも気を付けないといけないな。 これ以上痛くなったら、それこそ数日間も弾けない事になり兼ねない。 そうなったら、日々の練習が無駄になることも考えられるので、やはりある程度時間を決めて練習するようにしよう。
筋トレの継続しないといけないし、ギターで疲れ切ってしまわないようにしたい。 

昨日は福島沖で再び大きな地震が発生した。 震度6強の揺れを感じる地震だった様子。 震源が深く、津波の発生はなかったので、10年前の地震よりも規模が小さくて幸いだった。 家屋の倒壊や土砂崩れ、道路の寸断、公共交通網などの一時停止などもまだ続いている個所もある様子だ。
私の住むこの中部地方は地震や台風なども近年はほとんど被害が無い。
それだけに、東海沖地震の発生がとても心配だ。 地震の力が溜まっている状態なら、一旦地震が発生した場合を想定すると相当な規模の被害が予想される。 私のこの家も築40年以上になるので、ちょっとさすがに心配である。
リフォームして綺麗にはなっているけど、基本的な耐震設計ではないし、基礎なども昔のままなので、大きな地震があったら一たまりも無いだろう。
この地震で怪我をした人や死亡した人も多数出ているので、地震は他の災害の比べるとやはりかなり怖い事が解る。 何しろ、予想出来ないので、逃げる時間もないし、一瞬で家屋などの倒壊がある。 台風のように徐々に近づいてくるような災害とは全く異なるものだ。
地震だけは避ける事は難しい。 日本は特に火山帯が列島を縦断して無数にあるので、どこで大きな地震が発生するのか分からないし、どこで起きてもおかしくない状態だ。 太平洋側だけではなく、日本海側でも大きな地震が発生しているし、海や山を関係なく震源地がくまなく存在する。
日本の家屋は地震に強いことは世界と比較すると分かるけど、それでも古い建物はそれこそ一瞬で倒壊する。 地盤によっては耐震設計が万全な家屋でも、簡単に崩れることもあるので、自分が住む地盤や家屋がどの程度の震度まで耐える事が出来る物なのかを知ることも大切だろう。

自然災害だけは自分の力だけではどうすることも出来ないので、私は生まれてから63年間、ほぼ自然災害で被害に逢ったことがない人間なので、実際にそうした経験をした人からするとかなり甘い感覚だろうと思う。
もちろん、この先もそうした経験をすることもなく人生が送れるなら、それに越したことはないのであるけど。
さてと、ちょっと買いものに出かけてからギターの練習をしよう。
あまり長い時間弾かないように気を付けたい。 この歳になると、どうしても関節や筋肉の衰えには勝てないので、腱鞘炎などにならない程度に続けたい。


国産手工ギターの評価

2021年02月14日 | Weblog
 国産手工ギターの話は昨日も書いた。
ちょっと辛口の私の意見だったけど、これはまだ今の段階での話。
日本の製作者は数ある中でも、私の所有するギターの制作者は松井邦義氏のギターで、ショートスケール(630mm、50mm幅)モデルだ。
当初、弦を張り替える前の印象はとても音に切れがない印象で、音量もCórdobaのギターに比較するとその迫力は劣る。 音色は確かにクラシックの伝統的な音色だろうと思う。 ただ、もっとクラシック系の音を出すギターも多くある中では、ショートスケールとしては満足できるレベルかもしれない。
それでも、ポピュラー曲などはやはりCórdobaのギターに比較すると高音域の張りのある音の方が綺麗な音色だと実感する。
もちろん、まだあまり弾き込んでいないので、今後、音に艶や高音域の切れの良さが増すだろうと期待しているのだけど。
このギターは中古で購入したので、制作は去年の夏過ぎ頃で、すでに制作から半年は経過しているギターだ。 もちろん、弾いていた形跡がほとんどない新品同等品(正直、中古での購入だったので、多少の傷や弾いていた形跡があるだろうと思って居たけど、そうした物は全く感じることもない新品と言われても全く分からない程度に綺麗な状態だった。)なので、おそらく、私がこのギターの最初の持ち主と言っても過言では無い。
ギターが経年でどのような音色の変化があるのかはまだ分からないけど、手工ギターの良い点は、少なくとも、新品よりも弾き込んで行く過程で、音に艶や張りが加味される点だと言う。
なので、昨日も書いたけど、今はまだこのギターの本来の能力と言うか、個性が発揮されていない状態だろう。
今後もっと弾き込んで行くと、私の技術的な進歩と同様に、ギターも進歩??する気もするので、あまりこのギターがダメなんてことは書かない方が良いだろう。 ギターの音色に関しては、これはやはり各個人の好みの問題もあるし、弾き手のテクニックや個性もあるだろう。
兎も角、弦をサバレスのハイテンションに交換してからまだ日は浅いので、何とも言えないけど、当初よりも音は明瞭になったし、音量も増した。
ちょっと気になっていた3弦の籠った感じも少し良くなり、明瞭な音になりつつある。 
このハイテンションの弦に関しては、これまでテンションが強いので、指やギターへの影響が心配だったけど、実際に使用してみると、ノーマルでも、ローテンションでも押える感覚はほとんど差を感じることはない。
チューニングも逆に素早く出来るし、交換してからのチューニングの安定感はハイテンションの方が遥かに安定する時間が早く感じる。
まだ1週間程度しか経過してないので、弦の本当の音は出ていない気もするので、これから1か月後ぐらいには本来の音を知ることが出来そうだ。
いずれにしても、弦はとても重要な要素だと言うことが理解出来た。
今後ももっとこのギターに相性が良い弦が見つかると良いと思う。
次回もハイテンション弦を選択しようと思うけど、次回は同じサバレスでも違う弦も張ってみたいと思う。
Córdobaギターにもサバレスのアリアンスを張っているけど、明瞭な音と音量、その切れの良いバランスもとても良い弦であることは実感している。

今日も午後からはしっかりとギターを弾こうと思う。
明日も休みなので、この2日間はギターを弾く時間がたっぷりとある。
邦義のギターの本領を発揮できるように今後も技術を磨く努力を続けよう。
私の年齢からでもまだまだギターを弾くことが出来る時間は十分に残されている。 これから、このぐらい上達するのかが楽しみである。
そして、自分が思うようにいろんな曲を悠長に弾ける日が来ることを楽しみにしている。 ギターは練習を裏切らない。 今練習している曲も初心者向けのポピュラー曲だけど、それでも、最初は全然弾けることもないけど、何度も繰り返して練習していると、自分でも知らない間に弾けるようになっていることに驚く。 私は数曲を日に何度も繰り返しているので、一度に1曲づつ覚える方が良いだろうとも思うけど、飽き性な性分なので、日に同じ曲を何度も弾く気になれないので、数曲を同時進行で進めている。
基本練習も含めて出来る限り飽きないように、沢山ギターを弾く時間を持てるようにしている。 ただ、数時間も弾き続けるのは良くない。
やはり、1時間程度で休養を入れる必要が有る。
これは、左手の指の関節に痛みを感じる事もあるので、あまり長時間の練習は控える方が良さそうだ。
長く続けるためには、あまり無理をするのは賢明ではない。
何も焦る必要もないし、何も慌てる必要もない。 今後もそうして長く弾き続けるためにも、根詰めるような事をしないようにしていきたい。
筋トレも同じだけど、あまりやらないといけないと言うような、強迫観念を持つと、続けることが出来なくなる。 これは、楽しさよりも、何か努力とか義務感を感じる事が原因で、そうした物から逃避したくなる感情が生まれるからだ。 なので、やりたいときにやりたいだけやる。 
やりたくない時には頑張る必要はないので、しっかりと休みにする。
ギターも同じで、学校の勉強のように、スケジュールを決めて、勤勉に練習することもない。 好きな時に好きなだけ、しかし、頑張り過ぎず、楽しい時間を過ごすことが目的として続けようと思うのである。
気付くと数年、数十年が過ぎていた・・・。そういう感覚で良いだろう。
楽しくない物は、どんなに努力しても結果的には上達しない。
無意識のうちに体に染み込ませることが出来る物こそが、長く、確実に身に着けることが出来るのである。


良いギターの条件とは

2021年02月13日 | Weblog
 良いギターの条件は、一言で言えば、誰でも良い音を奏でる事が出来るギターだ。 これは、プロでもアマチュアでも、初心者でも中級者でも上級は勿論だけど、誰でも弾けば鳴る、音階も確実で、どの弦もすべてバランスよく音が鳴るギターだろう。 これにはとても技術的なノウハウが必要だと思う。
プロだけが出せるような音を追求するようなギターは、私は良いギターの定義からはダメなギターの部類に入る。
テクニックを必要としない、そうしたテクニックを持っていない人でも、相応の音を出すギターは、プロならとてつもない音を奏でることが可能になる。
なので、私がギターの話をあれこれ言うような人間でもないけど、敢えて言わせて頂けば、楽器は芸術的な音楽と言う世界を作る大切な物である。でも、それはあくまでも二次的な要素であり、本来、その楽器を弾く人間の手に芸術は委ねられている。 そこで、楽器とは、本来からすると、テクニックに頼ることも無い条件で音色を出すことが出来る物こそが、最良の楽器と言う名誉を受けるに等しいと思うのである。
そうした観点からすると、やはり、国産手工ギターの多くは、プロのテクニックや経験を頼る傾向があると思わせる。
音の好き嫌いなどの個性があるので、実際に芸術的な音の定義はないけど、最後にあるのはその音量(これは弾き手に取っては重要な要素で、力を必要とすることも無く、自分が理想とする音量を最低限の力で奏でる事が出来る事)、そして、音自体の奥行と言うか艶、さらに当然もっと重要な要素は音の正確さ。 音階を絶対的な正確さで音を出すことだ。
これはテクニックでは補えない、楽器本来の生命だ。
こうした点で全てが満点を取る事が出来るギターが最高のギターと言えよう。
もちろん、ギター作家もそうした音を追求しているだろうけど、しかし、それは芸術家が求める永遠の宿題と同じレベルだ。
私は今回、国産手工ギターを実際に購入して弾いている経験者だけど、期待以上の音を出してくれることもない。のだ。 と実感する一人だ。
価格との費用対効果を考慮して考えると、国産手工ギターの価格は高額過ぎると言う結論に至る。
これは、当然だけど、一人の作家、或いは、数人の職人たちの生活を支える事が目的でもあり、大手企業と零細企業との価格差と思っても理解できる。ただし、それはあくまでも制作側の都合の話。
ユーザーは作家の生活のどうのこうのは全く関係ないし、楽器の選択肢としても、意味がない。



ギターとの明日・・・

2021年02月13日 | Weblog
 昨日は国産の手工ギターの話を少し書いた。
海外の(多くはスペイン産の)ギターと比較すると、音量、音の粒立ち、バランスは価格なりには評価できないと書いた。
おそらく、これは誰でも思う事だろうと私の感想である。
私はそれほどギターを数多く弾いていないので、偉そうに言えるような人間ではないけど、それでも、若い頃からアコギを弾いていて、ギターの音に関してはそれなりに聞き分ける事は出来ると思って居る。
クラシックやエレキギターもそうだけど、楽器の命は音階を正確に完璧な同じ音量で、同じ音色で、同じ音の艶を全ての音(これは全ての音である(#、♭もマイナーもメジャーも全てのフレットの音のバランス)が心地よい響きを奏でることが出来る物が最良の楽器と言えるだろう。
楽器の基本、いや、生命とも言えるのは、音が正確に出る事だ。
これは、この正確な音を出す事。  これがとても難しい楽器として、ギターは最たる物だろう。 6本の弦は各弦全て作り、太さ、材質なども違う。
アコギならスチール弦だし、クラシックならナイロン弦だし、その中でも、様々な仕様があるので、ギターの特性に合った弦に出会うのは意外と難しい。
何しろ、どの弦を主体として作家がギターを制作しているのか?
これが意外と説明がない。
特に国産の手工ギターの作家は弦の選択を言わない。
国外のギターは、どの弦を出荷時に付けているのかまで説明している事が多く、ある程度どの弦を元にして制作しているのかは一応だけど参考出来る。
私は日本の芸術的な手工品の作家の悪い職人気質と言うか、そうした何か特別な物を作るんだと言う情熱だけが先行していて、肝心なギターなら音の生命を置き去りにしているのではないか? と疑問を持った。
ギター作家は本来、ギターを作り、弾き手に最高のパフォーマンスを出してもらう事が最大の名誉だろう。
最近は何か国産手工ギターが特別な物として認識されている様子には、私はあまり歓迎していない。
敢えて言うなら、作家の名前なんて物は要らない。 そうではなく、ギターそのものが本当に良い音と操作性の心地よさを実現出来ているのかどうかだ。
桜井正毅氏のギターはその名を馳せていて、日本でも海外でも人気が高い。黒澤澄雄氏、横尾俊佑氏など国産手工ギターの作家は確かに人気が高い。
しかし、こうした作家が制作する本当に納得できる音を奏でる事が出来るギターは想像以上に高額である。
100万円前後もする価格が当然のように付けられているし、低価格のギターは、想像以上に鳴りも音もSpainの量産ギターより劣るのは明らかだ。
なのにである。 日本人の手工ギターへの信頼は何処から来るのか?
これは、ブランド品に目が無い日本人特有の物に対する価値観だろう。
日本人は意外とそうした他者に対する見栄が強い民族だと思う。
逆にこの見栄は、他者に対する思いやりに変化するのだ。
例えば、人に物を与える時には、大したものではありませんとか、粗末な物でですけど・・云々とか・・。 控えめにその物の評価をする傾向が強い。
でも、本当はこれはとても良い物で、そんなにめったに手にすることも無い物だ。 と心の中では思って居るのである。
そうした咋に物に対する評価を他人に言わない点が日本人の情緒ある精神性とか、奥ゆかしさとか、他人に対する思いやりとか・・。
何か日本人独特の美意識をあるのだ。
こうした点も含めて、国産の手工ギターに対しても、何か期待感もあるだろうけど、その物の本当の評価以上に良い評価を下す傾向が強い。

私はギターの事をそれほど知ることも無いけど、少なくとも、今私が所有するギターの中で最も評価が高いギターはCórdoba45limitedである。
これは、スペインのhandcraftとなっているけど、実際には恐らく、中国生産か、スペインで中国等の職人が量産するギターだと思う。
それでも、このギターは私が所有する松井邦義の手工ギターと比較しても、間違いなく、勝っているとは思わないし、逆に価格からするととても情けない思いを感じる事になるのである。
こうした事を私は実際に実感しているので、ギターを購入する時には、決してギターの価格やその作家などの情報を捨てることだと言わせていただく。
ギターを見た時の直感を信じる事が大切だろう。 
価格だからとか、著名な作家だからとか、弾きやすそうだとか、そうした音とは別の観点は良いギターを選ぶ時には、とても無駄で、見極めるための割る材料となる事を覚えていてほしい。
本来からすると、価格や産地、どのような制作過程や材料などなどなんて物は関係ないはずだ。 楽器の命である音は手間や材料だけでは理想的な物を作る条件ではない。 リーズナブル合板仕様のギターでも、驚くほどの音を奏でるギターはあるのだ。 価格との比較で考えるなら、国産手工ギターは決して得をするような物ではない。
私には出来ないけど、本当に聞き分けるだけのプロフェッショナルなギタリスト達だけの世界のような気もする。


東京オリパラ組織委は混迷

2021年02月12日 | Weblog
 連日TVや新聞、報道番組で取り上げられていた東京オリパラ組織委員の会長の森喜朗が辞任表明して、後任には日本サッカー協会元会長で選手村村長の川淵三郎氏 で調整していたけど、急遽会長職を辞退。 辞退と言うか、受諾しない意向を示した。 会長職の難しさや責任を考えると、1人の組織委員で留まる方が得策だと判断したのだろう。 さらに、年齢的にも森会長より年上と言うことも周りの反応を伺うと、やはり受諾することに懸念を感じたこともあるだろう。
そこで、結局は橋本聖子五輪相(56)が浮上。  これは当然の成り行きだろうと思う。 元々、この五輪相は東京オリパラの為の役職で、5輪が終わればその役割はない。 当然だろうけど、後半年も無い中で、この選択は当然だろう。
ただ、他にも日本が誇るレジェンドは居るので、その点ももう一度考えても良いだろう。 
この時期に会長がこうした不祥事を起こすのは、世界的にも日本の恥となったあろう。 そもそも、高齢者がこうした時代の意識や常識に対応する事が出来ないような日本の風土と言うか、教育と言うか、さらには、トップダウンの組織の体制なども含めて、もっといろんな意見が闊達に出来る透明性のある組織であることが重要だ。 今は、多くの企業でもトップダウン方式はすでに死に絶えている。 多くの家電業界の企業が中国や韓国などの企業に負けた苦い経験もある。 それは、トップに対する意見が言えない体質が生んだ負の遺産だろう。 三菱航空機などの三菱関連企業でも、昔からの財閥意識から脱却できない体質が齎した結果、MRJの失敗にも繋がることである。
こうして、世界と戦うことが出来る企業は、多くの才能を掘り起こすだけのトップの意識が各段に違う。 そこには、性別や人種、学歴や経験など関係なく、誰でも自己の才能を発揮できる環境があるのだ。
だから、他者が思いつかない新しい様式や、技術、デザイン、先端産業が常に持ち続ける最大の武器を維持する事が可能になる。
今回の森会長の辞任はある意味では当然の事だろうけど、これも、東京オリパラが1年延期になった事で起きた問題だろう。
森会長も結局はコロナに負けた1人となった。 このコロナの影響はほぼ全ての人々に何等かの影響を与えている。
仕事やプライベートな生活だけではなく、関係ないと思う人々との繋がりなども含めて、コロナによって奪われてしまった物がある。
ほとんど変わらないように見える私でも、このコロナの影響は大きい。
それは、ジムに行けなくなった事で、家でトレーニングするようになった。
さらには友達などと一緒に出掛ける事も無くなり、バイク、自転車を売却。
そして、家で楽しめる物を探してみると、私にはギターがあった事。
今では筋トレよりギター優先の生活になった。
さらに言えば、新しくギターも購入して、これからはずっとギターを弾き続ける事に決めた。
コロナの影響が無かったら、私は再びギターを弾くことも無かったかも知れない。 おそらくそうだろう。 コロナがなければ、今でもジムに通い、バイクで友達とツーリングをしている生活が私の生き甲斐だったろう。
でも、ギターを残りの人生の私のライフワークに出来た事はとてもラッキーだった。 何よりも、バイクに乗れる期間は限られているし、あと数年もしないで、リタイアしているだろう。 トレーニングもジムでなくても、家で十分に身体を鍛える事は可能だと言うことも分かったし、ジムに通う時間や費用も必要なくなったことも、ある意味では利点となった。
仕事や収入などの点は全く変化が無いので、コロナで生計がひっ迫した人や今後も職を失う人などに比較すると、幸いにも私は今の仕事を選択した事は運命的な物を感じる。
60歳の定年で以前の職場を退職して、今の仕事に就いたことは、運が良かったと思う。 妻も運が良かったと言ってくれている。
なので、どんなことも、自分の意思に正直になる事が一番正解の選択であると実感するのだ。 これまでも、判断出来ないような選択をしないと行けない時には常に自分の本当の意思に素直に従うことにしてきた。
それが結局は自分に取って、最も適切な方向へ導くことになる。
今回のコロナで私の今後の人生も変化した。 ギターを選択した事は、今後その選択が最も適切で最善の物であることを証明する日が来るだろう。