summer diary

日記らしきページ

いや~~暑い

2020年08月31日 | Weblog
 8月末になっても連日35度、いやいや38度を超える猛暑が続いている。 屋外に出るのはもはや死を覚悟しないといけないような季節になった。
当然だけど、屋内では24時間エアコンが無いと10分でも危険な状態だ。
近年では夏の暑さは38度を超える日が当然のようになっているので、ある程度は慣れても良さそうだけど、もちろん、慣れることは無い。
そう簡単には人間の身体が変化する訳ではないし、そもそも、ほ乳類は体温は一定で保たれていて、外気温に左右される訳でもない。
人間も爬虫類のように外気温に適応するように、体温が変化すると良いけどなんて思うのである。
明日から9月になるが、この猛暑はしばらく続く気配。 さらに、台風シーズンが到来する。 今もフィリピン沖には大型の台風が北上していて、今月3日には九州地方にも影響がある見通しである。
最近の台風はその規模が相当大きく、瞬間風速は70m/秒速を超えるようなとんでもない強風と豪雨が伴う。
昔の台風とは一線を画すようなハリケーン並の猛烈な威力を持って上陸する傾向にあるので、これから9月から10月に掛けてどの程度の台風が到来するだろうと脅威を感じないわけにはいかない。
最近では毎年大型台風による被害は大規模になっていて、日本列島のどこに上陸してもおかしくない進路で日本を襲う。
最近は依然のように九州から上陸するのではなく、東京都や周辺県に直撃するような進路を辿る台風が多く発生する。 
太平洋高気圧の位置が以前に比較すると東北へズレている傾向があり、その高気圧の周辺を北上する台風の進路が以前とは違って居るのだ。
こうなると、この東海地方への直撃も少なくないだろう。
しかも、その台風の規模がとんでもなく大きいので、相当な被害が出る事を予測する必要があるだろう。
コロナ禍の中で、これからは台風被害も重なるし、インフルエンザの流行も重なるので、これからの季節の方がさらに厳しい状況になると思って居た方が良いだろう。 さらに言えば、地震の心配もある。
大型の地震の発生確率が上がっているので、この2,3年の間に大型の地震が発生することも予想されている。 どこで発生するのかは不明だし、予測できないのが地震なので、これはもう回避できないだろうけど、最悪のシナリオを予想して置くことも必要になるのだろう。

さて、今日もこうして家の中で過ごすことになる。 今朝仕事から帰宅してから食事を済ませて2時間30分程度の睡眠を取って目が覚めた。
エアコンの設定温度は27度に設定していたけど、少し暑さで目が覚めたのである。 いつも26度の設定だけど、この26度が少し冷え過ぎになる傾向があり、丁度良い温度に設定できないのがちょっと嫌な所だ。
直射日光を遮るために雨戸を閉め切っているので、部屋は電灯をつけている状態で、夕方までは雨戸を閉め切って過ごすことになる。
カーテンよりも、雨戸の方が日光を遮蔽することには効果的であるので、電灯をつけていてもその方がエコなのである。
電灯は今ではLEDであるし、電気代を気にすることもない。
逆にエアコンの稼働率を考慮すると、日中の日差しを遮る対応が効果的だ。

さてと、こうなるとバイクの乗るのはすでに危険な行為だろう。 この気温でバイクに乗る事は想像しても無理。 結局はこの2か月以上バイクに乗っていない状態だ。 さらに、これから秋になって、雨も多く、台風シーズンになると乗る機会も少ないだろう。 真冬はバイクには向かないし、これからバイクに乗る事が出来る期間はさらに少なくなる。
これまでも、年間を通じて乗る期間は、3月から5月、6月初旬の梅雨入りまで、その後は乗れない時期で、秋になり9月中旬から12月中旬までの3か月間だろう。 結局年間を通して乗る事が出来る期間は5か月程度。
しかも毎週乗る事もないので、年間10回程度乗る事が出来れば良い方が。
こうなると、もう、バイクに乗りたいと思う気持ちも無くなり、さらに年齢的なことも考慮すると、そろそろバイクを卒業する時期はすぐ来るだろうと思う。ならば、少しでも高額に売却できる早い時期に手放す方が賢いのかもしれない。 今でも、バッテリーが上がる事を心配して、あまり気が無くてもバイクを走らせることにちょっと面倒な気がしている。
一旦手放すとやっぱり欲しくなる気持ちが沸いてくるけど、それは私には特別な趣味もないこともあり、休日を楽しく過ごす手立てとしてバイクがあった。
でも、今はギターを弾くことを再開したので、家で過ごす時間は充実している。 夕方には家トレで汗を流し、ジムに通うことも無くなったけど、家トレでしっかりと出来るようにもなったので、逆に時間が足りない程に感じる。
ギターは天候に左右されることもないし、時間が出来た時にいつでも弾ける。 少しづつ技術も向上していくことも意欲が沸いてくる。 さらに、ある程度の曲が弾けるようになるとやはり楽しいし、さらに上達したいと思う気持ちが強くなる。 練習して、もっと上手に成りたいと思うし、難しい曲を完璧に弾き熟せたら楽しさも数倍だろうと想像できる。
年齢的に上達するスピードは衰えているけど、それでも練習すればそれなりに出来るようになるし、徐々に譜面を見るスピードも速くなったし、指も少しづつ早く動くようになってきた。 
黙々と練習していると時間が過ぎることも忘れて、アッと言う間に時間が過ぎているのである。 やっぱり、こうして何か達成感が得られる物を継続することは楽しい。 筋トレも同じだけど、トレーニングすることで最低でも体型や筋肉を維持することが出来るのは楽しい。
トレーニング自体は決して楽しくないと言っても良いだろうけど、筋肉を成長させたいと思う気持ちや、体力維持、健康維持の意欲が覚めない以上は継続する事が出来るし、今ではトレーニングをしないことは感がられない習慣になった。 筋肥大はそれほど望んでいない。 これはもう今でも限界を感じている。 それは、筋肉肥大をするために必要な栄養、食事を多く取れないし、取る意思もあまりないからだ。 自分では気づいていないだけかもしれないけど、この半年以上は特に筋肉が肥大していると感じない。 ある程度の筋肉は付いて来た。 しかし、これからさらに肥大するとも感じない。 トレーニングはしっかりしているけど、それに伴い食事をしっかりと取っていないので、筋肉を作る材料の供給が出来ていないのである。
こうなると、やっぱり今以上に身体を大きくするのは無理がある。 でも、それは想定内だし、特に今以上にウエストや太ももなどを太くしたいとも思って居ないし、体重を増やしたいととも思っていないので、現状維持なら十分に満足である。 
それでも、トレーニングをしなくなったら、今の体型は維持できないだろう。 胸筋や上腕筋はか細くなり、ひ弱な体形に戻ることになる。
そうは成りたくないので、トレーニングを継続することは必須なのだ。

その点、ギターはこれからどこまで上達するか楽しみだし、自分が想像しているレベルまでは絶対に上達して見せると思うのだ。
バイクを売却してギターを新調しようと思う気持ちも段々強くなってきたし、危険を伴うバイクよりも、精神的にも脳の活性にも貢献するギターに本腰を入れる方が今後の人生には大きなプラスになるだろうと思って居る。
バイクの売却はこれまでも何度も経験しているけど、やっぱりかなり気持ち的には後悔が伴う。 これは、バイクの売却価格が予想以上に低いことが原因だ。 新車で購入して、2000Kmも走行していない状態で1年も経過すると半値以下になる。 これは年間15回程度使用した程度のほとんど新車に近い状態でも半額以下になることがほとんどで、やっぱりその費用対効果の低さに後悔の念があるのである。 今回も私のバイクは新車で52万円だった。 手数料や登録費用など、さらにはETCやUSB電源なのでオプションを付けて居てもあまりそうした装備を考慮されることもない。
今年の12月で2年になるが、走行距離はまだ2000Kmも行っていない状態だ。 でも、売却価格は25万円程度だろうと予想出来る。
結局は2年で25万以上の差額があり、乗った回数や距離から計算すると、やっぱり相当な損失となる事を想像してしまうのだ。
でも、やはり今現時点で使用する頻度を考慮すると、もう売却するにはタイミング的には適切だろうと思う。 これ以上伸ばしても得策ではない。 
今はきっぱりとバイクから離れても良いだろうと思えるようになった。
バイクに付随するヘルメットやウエアー、グローブなどなどは無駄になるけど、それは息子に譲るとして、まっ、自分が好きなバイクを乗れたことに感謝して、今後はギターに専念できる時間を持てるのだと納得することにしようと思うのである。 さらに、この売却金でギターを新調することも可能だし、そうしたらさらにギターを上達したいと思う気持ちも強くなるだろう。
25万から35万程度の範囲内でギターを考えている。 
少し前ならいろいろとギターメーカーを検索して探している。 気に入ったギターの品質や音色、弾きやすさ、デザインや作りなどをいろいろ見ているだけでも楽しい。 桜井正毅氏のギターやその伝承であるアランフェス、アントニオサンチェス、ヤマハなどのギターを検索しては見ているけど、やはりそれなりに良いギターは高額だ。 30万を超えるような金額でないと本当に欲しいと思えるギターはなかなかない。 中古と言う選択肢は持っていないので、新品で探しているけど、やはり30万から40万を考えていたほうが良いだろう。 最も、そこまで良いギターを弾き熟せるのか?? そうした疑問もあるけど、もちろん、弾きこなすことが前提だし、ぜったにそうなると決めている。 さらに言えば、ギターは売却する時でもそれほどの価格下落は無い。
年数はあまり関係なく、その状態の良し悪しが価格になるので、大切に傷などもつけないように扱って居る以上は、売却する時が来た時でもそれほどガッカリすることもない。 バイクに比較するとかなり費用対効果を得ることも出来そうである。 今バイクからギターに資産を以降しても、それは意外と的を得ているのだろうと思って居る。
長々と書いたけど、結局は今後はギターに時間を使う人生を送ろうと思っている事だ。

ギターレッスンは必須だけど。

2020年08月28日 | Weblog
 独学でギターを上達するのはある意味ではかなり難しい事である。
今は動画などをネットで検索していろいろと理解できることは、昔と違って、便利な世の中になった。 独学でもある程度の上達を望めるだろうと思う。
しかし、やはり独学は自身の悪い癖や悪い姿勢や、基本的な部分を見落とすことになる。 人それぞれで指の大きさや体格や、指の動きなどもある種の癖があるので、そうした事をレッスンによって克服することも出来るし、さらには自分では気づかない悪い癖を知ることも上達するには大切な要素だろうと思う。

しかし、レッスン教室までの距離が遠いとか、もちろん、時間の都合がつかないとか、近くにあっても、毎月の月謝の負担を考えると通える余裕がないなどの理由もあるだろう。 独学でどこまで上達できるのかは分からないけど、これは才能の問題もあるけど、かなりの時間を要する事だろうし、どうしても克服できないテクニックが出てくる気もする。 
私も本来ならレッスンを受けたいと思って居るけど、やはりその月謝を払うような余裕はない。 平均して月謝は週1回程度のレッスンで8千円から1万円程度だ。 時間も1レッスン30分程度と、意外と短く、月3回の教室もあり、なかなかレッスン自体に費用対効果を求めると、やっぱり相当に高額だと思うのである。
私の市内で近くにレッスン教室があるけど、今はまだ本当に初心者だし、とりあえず、独学で頑張ろうと思って居る。
これまでの経験から、クラシックなどの曲を流暢に弾けるようになるには相当な練習量が必須だ。 アコギでもソロギターならやはり同じレベルが要求される。 しかし、絶対にレッスンが必要だとも思って居ない。
基本練習を疎かにしないで、しっかりと弾き込むことで、自分のスタイルを確立できれば、その後の上達も無理ではないだろう。
どしても上級者になった時にそれ以上の上達が望めないで、壁に当たった時に本格的なレッスンを必要とするのも良いだろう。
勿論、自己流は簡単には治らないかも知れないけど、ある程度のテックニックを身に着けている場合には、意外と修正することは難しいこともない。
部分的な修正なら時間も掛からないし、癖を改善することもそれほど難しい事も無いだろう。
今日も公休日で休みなので、これからギターを練習する時間が十分にあるので、今日は頑張って今練習している2ページ分を克服しようと思う。
克服と言っても、完璧でなくても良い。 ある程度のレベルに達したら、次へ進むことにしている。 次に進んでも、時折は元に戻って練習することで、完璧に弾ける日が来る。
兎も角、絶対に弾くのだと言う意欲や、それに伴う練習量があれば、必ず上達すると思って居る。 今後はギターを手放すことがないように、継続することこそが最大の上達の道であると信じよう。

さて、最近はこのギターの話ばかりの話になっているけど、まっ、毎日、毎日ギターに関しての情報や、テクニックや基本的な練習以外には特に何もすることも無い。 昨日はメトロノームも届き、これで練習する環境は完璧だろう。


雨の心配がある日

2020年08月27日 | Weblog
 真夏の天候から少し秋めいた気もする。 それでも、連日35度を超えるような猛暑日になっている。 少し乾いた空気感になった気もするけど、今日は台風の影響もあり、太平洋側には雨雲が次々と流れていて、この地域も雨が降る心配がある。 今は時折日差しも強く差し込んでいるが、雲で太陽が隠れて、今にも雨が降ってくるような空模様になることもある。
タオル類の洗濯物があるので、洗濯をしているけど、干してもすぐに室内へ入れないといけないかも知れない。
雨雲レーダーでは、なんとかこの地域はその雨雲が避けてくれるような様子だけど、どうなるのかは分からないので、外の気配を確認して、雨が降る前に取り入れることにしよう。
今日、明日と公休日で連休になる。 勿論、2日間とも家で過ごすことにしている。 しっかりとギターの練習が出来ると思って居る。 最近は家に居る時間のほとんどをギターを弾いて過ごしている。 勿論、まだギターを再開してから、2週間程度なので、初心者用の教本の始めの始めのページを開いている状態である。
この教本の終了予定期間は3年間程度なので、まずは初等課を 1年未満で終了する目標で練習しようと決めた。 勿論、高等課を終了するまでの3年間の期間以内で終了する意欲があるし、さらに、もう1冊別の教本も同時進行で得練習しようと決めているので、その教本も含めて3年間で完了したいと思う。
3年後が楽しみである。 3年後には私は65歳の定年を超えている歳だ。
若い頃に比較すると指の動きも思って居る以上にのろまだし、覚えることも遅くなっている気がする。 それでも、時間が許す限りギターを手にして練習している時間はとても楽しいし、時間を忘れて没頭できるので、そうした時間を持てることが幸せだと実感できる。
これまでは、ギターを再び弾くことは考えていなかった。 クラシックギターとアコースティックギターは袋に入れて、保管していたけど、それを開封して弾くことはあまり考えていなかった。
しかし、このコロナ禍でジムも閉館となり、外出もままならない中で、家で過ごす時間を楽しい物、充実した物にするために考えたのは、まずは自宅でトレーニングする為にトレーニング器具を揃えて、ジムに行くことは諦めて、自宅トレで筋トレする習慣に変えた。 ただ、これも夕方の60~80分程度のことなので、家で過ごす時間の10%程度に過ぎない。 
この他の時間に何をすることにしようと思ったのが、ギターを弾くことである。 当初はアコースティックギターで好きな曲を鼻歌で弾き語りでも良いだろうと思って弾いていたけど、やはりギターはソロで弾きたい。 ソロギターの入門書を購入して練習しているうちに、やはりクラシックギターからしっかりと基礎を固めて行くことが早道だろうと実感して、クラシックギターの初心者から始める教本を購入して、本当に始めから練習を開始した。
若い頃にもクラシックギターの練習をしていたので、ギターの持ち方から、構え方、指の動かし方などの知識もあるし、ある程度は指も動かすことも出来るので、意外と早く進むだろうと思って居た。
しかし、いざ、楽譜を見ながら弾き始めると、やっぱりほとんど忘れている状態である。 コードを押えて弾くことが基本的なポピュラーとは違って、クラシックは基本的にはコードなどはあまり役に立たない。
指1本1本の動きが必要だし、そもそも、譜面を読み、その譜面通りに弦を爪弾くことが要求されるので、そこから再出発する必要がある。
クラシックやアコギでも、ピッキングは爪を伸ばすことが基本になるけど、私は爪を伸ばすことをしないでいる。 通常の生活に不便を感じるし、年齢的なこともあり、爪自体が弱くなっているので、欠けたり、割れたりすることが多くあるので、最低限の長さ(これは本当に微かに弦に当たる程度)に留めている。 それでも、ギター自体の演奏には支障はないし、そもそも、人前で演奏することも無いだろうし、自分一人で楽しむなら、特別に音質自体に拘る必要は無いだろうと思って居る。 それと、ある程度、鳴りが良いギターなら何とか綺麗な音を出すことは、爪が無くても可能である。
今日もギターの練習を夕方までみっちりとしようと思う。 夕方からは筋トレを70分程度熟し、風呂に入って食事を済ませたら、再びギターを寝るまでの時間練習しようと思う。
当初は左の指も疲弊していたけど、最近はようやく少し痛みも治まり、ある程度の時間なら連続して練習も出来るようになった。
3年後を目標に頑張ろうと思って居る。 その間にバイクを手放して、もう少し良いギターを手に入れようと考えている。 最近はバイクもほとんど乗らない日が続き、この先も年齢的に考えてもバイクを卒業する日もそんなに遠くないと実感している。 ならば、少しでも高額で売却できる時期に手放すことも良いだろうと思って居る。 
そうして、その資金をそのままギターの購入資金に回すことも出来るし、どうせ新しいギターを購入するなら、やっぱりある程度のギターを買いたい。
人気があるギターは数十年経過しても価格はそれほど落ちないし、逆にプレミアがついて、高額になることもある。 もっとも、プレミアがつくようなギターは新品の価格も半端では無いだろうけど。
今一番欲しいギターはやっぱり国産の最高峰の桜井正毅氏のギターだ。
これは日本ギターの最高峰と言っても良いだろうし、今後も価格の下落が少ないギターになると思う。 まずはこの作家のギターを買いたいと思うけど、仮に無理なら、アランフェスのギターでも満足できそうだ。 その中でも、725モデルは、国産クラシックギターのトップブランド、“河野ギター製作所”を率いる“桜井正毅”氏が設計、監修した、アランフェス最上位機種のフラッグシップモデル。最も重要なトップ材とブレーシングを河野ギターが製作。組み上げは高峰楽器にて行い、シーズニングされた材料と高い技術力にて製作されています。 この725にはスケールも650mmから630mmまでのラインナップも用意されているので、桜井ギターとの作りにはそれほどの差が無いだろうと思って居る。 ネックにもカーボンロッドが埋め込まれていて、強度やネックの歪みも軽減されているモデルだし、そもそも、桜井氏のギターデザインを忠実に実現させているギターであることは間違いない。
アランフェスには価格のラインナップも多く、10万円を切る価格もあるけど、やはり国産で信頼できる物を選びたい。
桜井氏のギターに比較すると10万円程度安価に買えるので、選択肢としては間違いないと思って居る。 
まっ、バイクを手放してからじっくりとギターは考えればいいのだけど、やはり良いギターを手に入れたいと願う。 今のギターはスケールgは650mmのスタンダードなサイズで、フルサイズなので、弾きやすいとも言えないけど、練習するにはこのフルサイズボディー、フルサイズのスケールが良いだろうと思って居る。 次に買うなら、やはり少しでも押さえやすさの640mmか、630mmのスケールが欲しい。
ネック幅も50㎜と狭く、650mmに比較すると3mmも狭いし、フレット間も2mm程度短くなっている。 その分だけ、ボリュームが落ちるだろうと思うけど、桜井ギターの凄さはボディーが小さくなっても、そのボリュームや音程の安定感は失われることがないと言う評価がある。
特に女性のような手の小さな人にはとても弾きやすいギターだろうと想像できる。 実際に、ギターを弾いていて、やっぱり一番の難関は左指がどこまで正確にフレット間を押えることが出来るかである。
他の弦に触れることがなく、6弦のフレットを完璧に4個押えるにはかなりの練習が必要だし、さらに、6弦から3弦までの4フレット間を押えることは相当に難関である。 それを相当な速さで、しかも他の弦に触れることがない状態で完全に音をクリアーに弾くことはかなり上級者でも意外と難しいだろうと想像できるし、実際に私の手はそれほど小さい方でもないけど、それでもかなりキツイのである。 弾いているとピアノと同じで、指が広がるようになるのだろうけど、やはり人には持って生まれた素質や体格があるので、自分に合ったギターを持つことは上達に繋がるし、ギターを好きになる大きな要素になる。  まっ、いろいろと講釈をしても、ギターをまずは自由に弾けるようになることが肝心で、今はまだギターを新調しようと思って居ない。
例え新調しても、恐らくは当分の間は練習でも使用することも無いだろう。
自分が納得できる程度のレベルになった時点で、思って居るギターを手に入れて、弾きたいと思う。


溝淵浩五郎のカルカッシギター教則本

2020年08月25日 | Weblog
 改めてクラシックギターを最初から学び直すことにした。
勿論、独学で再度学び直すのである。 ギター教室に通う時間や費用は今は無いので、家で時間があればギターを手にして弾くことにしている。
その中で、選んだ教本は2冊、1冊は溝淵浩五郎のカルカッシギター教則本。
これは初心者はどうしても覚える必要がある技術だけではなく、譜面とギターの音を即座に間違いなく弾けるようになるためにどうしても練習する必要がある内容の教本だ。 この本の終了期間は凡そ3年間。 初等、中等、高等の3部に分かれていて、1部が1年単位だと言っても良いだろう。
まずはこの教本を卒業することから始めようと再認識した。 
それと並行して、もう1冊の教本。 これはクラシックギター練習曲、初、中級編。 スコット・テナートの模範演奏がCD付で付属しているので、独学の私にはありがたい。 こちらも初心者から中級者までのレベルの人向けの練習曲が豊かだ。 凡そ、どちらも同じレベルから始めることが出来るし、練習する甲斐がある。 勿論、2冊同時の練習となると時間的には倍かかるのだけど、どうしても、私の性格からすると、同じ練習を長時間に渡って続けていると嫌になってしまうので、目先を変えることと、別の角度から基本的な技術を身に着けることも良いだろうと思って、2冊同時進行でやることに決めた。
元々、ギターに関してはある程度の技術は持っている。 若い頃には毎日のようにギターを手にしている時期もあったので、まったくの初心者と比較するなら、ある意味ではかなり余裕で弾けることも確かである。 がしかし、その弾いていない時期がかなり長く、その長い期間のでほとんど忘れている状態だ。
さらに、指はなかなか思って居るようには動かない。 これは年齢的な問題もあるけど、脳の衰えもあるだろう。 それでも、時間が許す限りギターを手にしていると微かだが進展があり、確実に指も動くようになっている。 
ある程度の年齢的なギャップは否めないだろうが、それでも、そのギャップを埋めることが出来るのは、若い頃に弾いていた経験値も生きているだろう。
さて、今後、3年間はこの2冊をじっくりと練習することに決めた。
この2冊以外にも、ソロギター入門書を購入して、いきなりある程度曲らしいものを練習しても居るけど、やはり、基本をもっとしっかりと身に着けることを選ぶ必要があるだろう。 どうしても、弾いていて、心地よい方向へ行きたがるけど、ここは堪えて、しっかりと基礎を固める事に専念しようと思ったのである。 
それでも、単調な音階だけの練習でも、やありギターは楽しい。 弦を爪弾いているだけでも時間を忘れてしまう。
特に難しい指使いを何度も繰り返して、かなりの回数、時間を要する箇所は余計に楽しさを感じるのである。 それが流暢に弾けるようになった時にはやっぱり達成感や向上心へと繋がっていき、もっと先へ進めるようにと思うのである。 そうして、この先、私が描いているギター演奏が出来るようにこの先が楽しみである。 勿論、性急なことを望んではいない。 何しろ、これからギターのプロになれる訳でもないし、どこかで演奏できる程に上達するかも分からない。 ギターを弾く事自体が楽しいし、それで十分に幸福を感じることが出来る。 さらに言えば、もっと音色も色も形も素敵なギターを手に入れて、もっとギターが好きになる日もそんなに遠く無いだろう。
ギターは楽器でもあるけど、その形や美しさは工芸品でもあり、より美術的な価値もあるだろう。 所有する喜びもあるし、その美しさを身近に置くことが出来るなら幸せはもっと増える気もする。
当然だけど、そのギターで思う存分に演奏することが出来たら、そんなに幸福時間は無いだろうと思う。 
これから、3年後、4年、5年後にどこまで自由にギターを弾くことが出来ているだろうと想像すると、健康でいる事、それを維持する事、さらには今以上に自由な時間を持てるようになる事に努力する意欲が沸いてくる。
この先の人生を満喫することは、何もお金だけではない。 勿論、高級なギターはそれほど安くないだろう。 しかし、それは、自動車やバイクに比較するとくらべものにならない程に安価な物だ。
そのギターで十分に満足する時間を持てるなら、これほど有意義な物は無いだろう。 後2年後にはバイクは売り払い、今練習している教本を卒業する時には、私が欲しいギターを手に入れようと決めている。
それは、バイクと違って、この先、一生私の隣に置いて、死ぬまで愛用することが出来る宝になるだろう。 
この年齢になり、この先の自分の人生を考える時に、生涯続けることが出来るものに出会えることは幸せだろうと思う。 
ギターは天候に左右されることもないし、場所も取らないし、いつでも弾くことが出来る楽器だ。 そうした事も、今後、長く付き合うことが出来る私の宝になるだろう。 

カルカッシギター教則本

2020年08月23日 | Weblog
 カルカッシギター教則本を最初から練習開始。
これは初等部から中等、高等部までのギター教則本である。 最後の方のページを捲って見ているだけでも、かなり高度なギターテクニックを要することが解る。 高等部では、消音などの細かい技術力が必要で、消音しながら他の音を弾くことや、アポヤンドとアルアイレとを同時に引き分けるなど、かなり高度な技術が必要である。 当然だけど、この本にも記述しているが、音楽は芸術なので、単なるテクニックだけで終始したら、それは音楽ではなく、技巧だけで終わる。 テクニックや技巧は大切だが、最後は芸術性であり、その人物の人格が現れるのが芸術である。
勿論、私なんかは、芸術性どころか、凡そのテクニックさえままならないのであるから、とやかく言えるような者ではない。 しかし、聴く耳だけは育てたいし、そうした聴き分ける耳が楽器を弾く者としては大切な要素になるのも確かだろう。 総合的な音感とか、絶対音感なんて物は私にはあまり理解できない領域なので、私が目指すギターのレベルは恐らくプロの領域とは程遠いところなんだろう。 それでもしかし、少しづつ確実に指は動くようになったし、譜面も少しづつ身についてきた気もする。 
まっ、そんなに慌てる必要は無いし、まだまだ時間もたっぷりあるし、何よりも、特に人に見せる為にギターを弾いてないし、もちろん、人前で演奏できるレベルまで上達するかどうか? 
いや、私は人前でも堂々と演奏できるレベルまで上達するつもりだし、出来る事を確信している。 今は全くその域が見えないけど、必ずやその域に達して見せるし、この意思が崩れない限りは、恐らく思って居る場所へ行けるだろうと確信している。 
これからは、時間の許す限りギターを弾いて、弾いて、弾きまくるつもりだ。
今日もここまでで、3時間は弾いている。 これから筋トレをして、風呂に入って、夕飯を済ませてから1時間程度は練習する心算である。
休日は4時間の練習時間を取ることを今後は必須としようと思って居る。
年齢的な衰えもあるけど、それでもまだまだこの先が楽しみだし、楽しめるだろう。 出来れば、素敵なギターを手に入れて、思う存分にギターを弾いてみたい。 
さて、それは先の楽しみだし、そうなるだろうと確信しているけど、筋トレもしっかりと継続していきたいと思って居る。
一昨日にしっかりとトレーニングしたので、今はまだ少し筋肉疲労を感じるけど、それでも明日、明後日は仕事なので、今日は軽めでもトレーニングを使用と思う。 今日はストレッチ優先で、軽い重量でハイレップトレーニングにしようと思う。 ダンベルも片手10Kg程度でゆっくりとフォームを意識してネガティブでやろう。
今日から少し気温が下がった気もする。 日中も35度を超えて無いだろうと思う。 昨日までの猛暑日とは少し違うような今日の気温は、空には雲も時折広がり、日差しが遮られる時間があったので、多少は気温の上昇が抑えられたのかもしれない。 それでも、明日からもまだまだこの夏日は続き、エアコンなしでは居られないだろう。 
さて、では少し休憩してから60分のトレーイングをしよう。


今はギターの基本優先

2020年08月23日 | Weblog
 ギターを再開してから3週間程度が経過。 最初は以前と同じようにコードを爪弾き、ポピュラーな曲を適当に弾いていたけど、やっぱり基本をもっと真剣に練習する必要があると実感して、初心者向けの教本を2冊、ソロギターの本を2冊購入した。 譜面を見て弾けるようになるには、まずはギターのスケールを完全に把握する必要がある。 これは絶対的な基本中の基本で、これが出来ない状態なら先へ進めないし、将来的な上達も望めないだろう。
で、今は曲を弾きたいと言う気持ちを押えて、ともかく、左、右の指が一致して動くようにスケール練習を優先して練習している。
スケール練習だけでも、いろんなテンポで弾くことで、楽しく練習することが出来るようになる。 
クラシックギターはやっぱりギターの基本中の基本を身に着けるには最高の楽器だろう。 アコギもクラシックギターのテクニックが身に付けば、ある程度は弾けるようになるだろう。 特にクラシックギターはネック幅も広く、左指の練習にはとても良いと実感する。 弦もナイロン弦で指には優しいし、音もアコギに比べても優しい音色なので、夜でも何とか練習できるような気もする。 1年後、2年後、3年後にどこまでクラシック曲が弾けるようになるのだろうと楽しみにしている。 
ある程度の曲が完全に弾けるようになったら、その時には新しくギターを購入したいと思う。 
国産ギターが欲しい。 欲しいギターの候補もいろいろ捜している。
やっぱり国産ギターで信頼があるギターが欲しい。
アランフェス725桜井正毅設計・監修
国産クラシックギターのトップブランド、“河野ギター製作所”を率いる“桜井正毅”氏が設計、監修した、アランフェス最上位機種のフラッグシップモデル。
最も重要なトップ材とブレーシングを河野ギターが製作。組み上げは高峰楽器にて行い、シーズニングされた材料と高い技術力にて製作されています。ネックにはカーボンロッドを埋め込むことで耐候性にも優れたギターに仕上がっております。両社の「ものづくり」へのこだわりが感じられる逸品です。 

税別で225000円。ミューズ音楽館での価格だが、ここは売り切れがほとんどなので、手に入ることが難しい。
同じギターでデジマートなら税込み247500円で在庫は有る。
ギターケースもサービス、送料も無料なので、今後はこちらを検索してみたい。 他にもいろいろあるけど、今の私はこちらのギターが一番お気に入りの1本である。 これぐらいの価格なら、3年後にバイクを手放して購入することも視野に入れているのである。
今はまだ、こんな高級ギターを弾くような実力もないので、まだまだ先だけど、このシリーズのギターは無くなることもないし、定期的に新品販売も継続されているので、ぜひこのギターを手に入れようと思って居る。
このギターに相応しいぐらいにギターが上達するように頑張ろうと思って居る。 私はすでに60歳を超えているけど、まだまだ意欲的に人生を生きたいし、ギターは今後の私の人生の生き甲斐にしたいと思うし、楽しく生きるためには最高の趣味となるだろう。
以前にも書いたけど、ギターを弾いている時の充実感はとても心地よい。
楽器は精神的なストレス解消にもなるし、精神的な安定感も得られる。
さらに、両指を使用することで脳の活性化になり、ボケ防止に繋がるだろう。
昼はギターを弾き、夕方には筋トレをして、夜は酒を飲んで寝る。 そんな幸せな人生が待っている。 ギターが流暢に弾けるようになったら、より一層楽しみは増すだろうし、数年後にはそうなるだろう。 
3年後には欲しいギターを手に入れて、弾きたい曲を思う存分に弾いている自分の姿を想像するのである。 それは、ほぼ現実のものだ。 3年後の自分を想像することは、自分の理想を実現するためにも大切なことだろう。
さて、今日は指がしびれるぐらいに練習三昧で過ごすことにしよう。
今日も猛暑日が続いているので、家で過ごすことが良い。
特に買い物に行く必要もないし、特にするべきこともないし、一日ギターを弾くことが出来る。 


基本からもう一度・・・

2020年08月21日 | Weblog
 数十年振りにギターを弾こうと思って再開して、適当な教本が無いかいろいろと探して、結局、4冊購入した。 その2冊はCD付で、スマホでもQRコードを読み込むと、YouTubeで動画も見ることが出来る。 
それでも、やはりこの数十年間の休眠期間で、以前のような感覚は失われている。 楽譜の音符すら、ギターの押える場所を即座に一致させることが出来なくなっている・・・・。 これはもう、致命傷とも言えるだろう。
最も、そもそも、ギターは独学だったので、基本的な楽譜を見て弾くことをしっかりとしてなかった。 当然だけど、TAB譜は読める。 しかし、楽譜を見ても、ギターのどの位置が楽譜のオタマジャクシの場所なのかが一致しない。
ドレミならわかるけど、6弦でドレミを弾くことや、楽譜を見てそのままギターの押し弦位置を把握することが出来ない。
これは、基本からやり直す必要があるだろうと実感した。
 
で、その基本的なギターの楽譜から読み解く練習が必要で、その為の教本を購入して、まさしく、初めてギターを手にする者として、これから基本に忠実にギターを弾こうと決めた。
どうしても、ある程度アルペジオやフィンガーピックが出来るし、コードもそこそこ覚えているし、押えることも出来るので、どうしても、曲を弾きたがるのだけど、結局は楽譜を見て弾けることが必須条件だ。
少なくとも、楽譜もろくに読めない様では音楽を趣味としている者としも恥ずかしい。 ギターを趣味としていますなんて言えないだろう。
少なくとも、最低限の楽譜を読み解くことと、その楽譜に合わせて弦を爪弾くことが出来ない様では、この先、必ず息詰まることになる。
なので、今回は基本中の基本から徹底的に練習して、音符を見るだけで、完璧にギターの弦を押えることが出来るまで、基本練習に徹しようと考えた。

これは、以前もある程度はやっていた。 でも、結局はクラシックからアコギへ以降して、コード中心の演奏で満足していたので、今回からはクラシックを弾くためにしっかりと基本を完璧に身に着けることを最優先としたい。
さて、そのギターだけど、確かに楽しい。 左指が悲鳴を上げるまで、練習して、少しづつギターが身体に馴染んできた気もする。
今はソロギターのちょっと難しい曲を練習しながら、基本練習を最優先にして、出来る限り時間があれば練習するようにしている。
ただし、夜などは出来る限り音量が出ないように静かに弦を爪弾き、ギターの姿勢や左指の運指などを確認しながら練習している。

やっぱり、ギターが好きなんだな~~~と、改めて知った気がする。
時間が許せば、何時までも練習していたいと思うのだ。
でも、今日はこの辺で終了。 明日は仕事だし、夜遅くまでギターを弾く訳にはいかない。 これからは、ギターを弾くことが楽しい私の家時間になる。
私が思って居る程度にギターを弾けるようになるには数年かかるだろう。
3年~~5年、いや8年は掛かりそうだ。 それでも良いのである。
まだ10年や20年は健康で生きている心算だし、健康で、体力を維持するために筋トレは欠かすこともない。 
今日も60分トレーニングを終えた。 胸筋、背筋、上腕二頭筋、三頭筋のトレーニングは予定通りに出来たし、最近は高重量のダンベルではなくても、筋肉に効かせることが出来るようになった気もする。
これは、ベテランのトレーニングに近づいた気がする。
週3回のトレーニングで十分に鍛えることが出来るのだと実感している。
連日、キツイトレーニングは必要ない。
やはり、メリハリをつけて、しっかりと効かせるトレーニングが大切なんだ。
闇雲に高重量を扱うことのメリットはそれほど多くない。 逆に、効果が低い事の方が多く、筋トレもギターも同じで、基本が絶対的に大切なことだ。
これは、どんなことにも通じる。 基本に時間を掛けて、丁寧に基本を身に着けることが、将来の成長には欠かせないのだ。
ダンベルプレスやフライやその他のトレーニングでも同じで、基本的な姿勢や角度や適性な重量でのトレーニングがいかに大切な要素であるか。
その点に関してはやはりどんなことにも通じる普遍的な要素なのである。



ギターは難かし・・・

2020年08月19日 | Weblog
 40年以上経過して、クラシックギターを再開した。
それから4週間経過。 初心者用の教本を購入して、本当に最初から練習開始。
さらに、アコギのソロギターの教本も購入して、平行して練習している。
これが、思って居る以上に難しい。 アコギの教本はTAB譜があるので、意外と弾ける気もするけど、クラシックの練習曲の本は譜面だけで、TAB譜が無いので、そもそも、譜面を読むことがなかったので、ギターの音の場所と譜面の場所を探すことに苦労する。
ドレミから譜面の音符を読み解くことから始めないといけない羽目になった。
勿論、ドレミぐらいは分かっているし、各フレットのドレミも分かる。
しかし、譜面のオタマジャクシの場所が即座にギターのどの位置なのかは少々時間が掛かるのである。 TAB譜なら、弦の位置と抑えるフレット位置で即座に理解でけるけど、譜面だけだとそうはいかない。

昔は譜面だけで、TAB譜なんてなかったのに、意外と弾けたのは、今考えると音符とギターの押える位置が頭にインプット出来ていたんだろうと感心する。
今では、到底そんなことも出来ない状態で、それでも、以前のようにギターのフレットと音符とが考えなくても即座に理解できるレベルになるのは、それほど難しいことではないだろう。
譜面を読み解く経験を積めば、即座にどの位置のフレットなのかは身体(指で)覚える事になる。
これは、ギターを若い頃弾いていた経験から理解できる。
で、そのギターの練習教本を3冊購入して、今はその3冊を同時進行中である。 なぜ3冊なのか? これは、練習する曲が本によって違って居る事と、ソロギターの本は、曲を中心として練習できるので、確かに楽しい。
他の本は本当に指の練習曲が多く、あまり楽しくないと言える内容だ。
ただし、これは、将来的に大切な基礎的なギターの練習なので、この練習を避けてはいけない。 ギターは右手と左手がピアノ同等に相当に難しい動きをする楽器なので、ある意味では、楽器の中でも難度が高い楽器かもしれない。

それでも、何度も、何度も時間を掛けて弾くうちに、何とかお手本に近いぐらいに弾けるようになるのである。
勿論、CDに収められているギターの音色と比較するのは出来ないけど、それでも、それほど遜色がない程度の音が出ている事に、自分でも驚きである。
今のギターが意外と良い音色を奏でるギターなんだと改めて分かる気がした。

このギターは40年以上も前に購入した物で、メーカーも作者も分からない。
通常はギターの中にメーカーの表示や刻印などがあるのだけど、このギターはその辺の情報がまったくないのである。
このギターは私が20歳の頃に楽器店で一目ぼれして購入した物である。
これは、その楽器店の壁に掲げて合って、その姿を見た時に、とても魅力的なギターだと思って、その場で購入することに決めたのである。
その時にも特にギターのメーカー作者などを気にすることも無く、購入したけど、このギターは少なくとも、安物のギターではないことは、その作りやボディー表面の単板、側面や背面のマホガニーの作りを見ても、ある程度良いギアーの要素を兼ね備えていると思う。
楽器店の壁に何やら誇っている風情で掲げてあったギターで、私はこのギターを見た瞬間に惚れてしまったと言っても良い。
勿論、当時、私が購入することが出来る金額だったので、それほど高額なギターではない。 しかし、これは、特にメーカーやその他の作成の証明する物などが一切ないので、恐らく、試作品か、プロトタイプだろうと想像する。
所謂、ギター製作者は当時はそれほど著名でもないし、恐らく、ギターの制作がまだ経験が浅く、プロトタイプとして、参考品の部類に合ったのだろうと想像するのである。
なので、特にメーカー、作者の表示なしに、楽器店にお願いして置いてもらっていた製作者の作だろうと予想する。
それでも、今でも、ネックの反りもほとんど無いし、ギターの艶もまだまだ綺麗で、その音も私はかなり上質な音だと思って居る。
表板はおそらく色からして、杉だろうと思う。 松ならもう少し高音の響きが高い気もする。
少なくとも、このギターとの出会いは私のギターに対する意識を変えたのだ。
所謂、アコギに移行したけど、最後までこのクラシックギターの姿と、その音色と、優しい弦の響きを私はアコギよりも好きな気がする。

これから、生涯、このギターと付き合っていくだろう。 この先、もっと高額でより素敵なギターを購入することになっても、このギターは私の友人であり、愛人だろう。
これからも、このギターを大切に弾き続けようと思う。


今日も猛暑日が続く

2020年08月15日 | Weblog
 今日も猛暑日が続きそう。 最高気温予想は39度。 東海地方は岐阜では全国1位、2位を争うほどに気温が高いことで有名な県だ。
私は愛知県だけど、もちろん、この愛知県も全国的には相当に気温が高い県だろう。 今日の予報も39度で、体感温度は43度は超えるだろうと思う。
洗濯物は3時間程度で完璧にカラカラに乾燥する。 昼から洗濯しても夕方には完全に乾燥しているのである。
午前中に干せば、昼には乾いて取り入れることも出来るほど。 洗濯に関してはとても助かるのだけど、その暑さは半端ではない。 ちょっと外に出ているだけでも汗が流れる。 勿論、家の中ではエアコンはフル稼働だ。 今日は妻も息子も仕事で出かけているので、私一人で自分の部屋で過ごしているけど、リビングもエアコンをフル稼働している。 何しろ、時折はリビングに移動したり、昼ご飯は食べたりするので、都度エアコンを付けて居ては無駄な電気代が掛かる。
夜には妻も帰宅するし、その前には洗濯物を取り入れて畳んでしまうことになるので、リビングには常時いないけど、エアコンは付けっぱなしである。

当然だけど、電気代は気になる、しかし、それ以上に暑さが気になる。
エアコンの効いた部屋でビールを飲み、スルメ、チーズ、アーモンドなどの軽いつまみを食べながらのんびりとTVを見て、昼はそうめんにしようかな。
午前中に郵便局に行って、息子に送る物を送ってから、少し買い物をして帰宅しよう。 そらからは家でギターを弾き、夕方からは家トレをして、風呂に入り、夕飯を食べて早く寝よう。
この後3日間は最高気温39度予報だ。 相当に暑い日が連日続きそうだし、体力を維持して、体調管理に気を付けよう。
今日の午前中にAmazonで購入した商品が届くので、商品が到着するまでは家に居ることにして、到着したら早々に郵便局に出かけよう。

ギターの練習はとても楽しい。 少しづつ弾けるようになると、さらに楽しいのである。 いろんなテクニックを習得することも楽しいし、いろんな曲を弾くことも楽しい。 ギターは難しい楽器だろうと思うけど、ピアノや他の楽器に比較すると、手軽な楽器で、場所も取らないし、価格的にも安価な楽器だろうと思う。 音量もそれほどでもないし、気軽に家で弾ける楽器だ。
しかも、楽曲はピアノにも負けないレベルだし、ポピュラー、ジャズ、ロック、ボサノバ、エチュード、クラシックまでほとんどの分野の楽曲を弾けることも魅力的だ。
これから、私もいろんな曲を弾きたいし、弾けるように弾き続けようと思う。若い頃と同じように、ギターを弾くことが好きだし、ギターに対する愛着も変わっていない。 特に今は家で過ごすことが休日の唯一の過ごし方になったし、真夏の炎天下でバイクに乗るのは無理だ。 
家トレで体力維持、筋力維持を継続して、ギターで心の平穏を維持し、心と身体の健康維持に貢献してくれるだろう。
長生きをしたいとも思わないけど、生きている限りは、自由に動いて、自由に好きなことが出来る身体でありたい。 その為には、普段の努力が欠かせないだろう。 
昨日はダンベルバーのメッキを剥がすためにワイヤーブラシを購入して、夕方にサンダーに取りつけて、ブラシを掛けたけど、予想よりもメッキを剥がすことは出来なかった。 730円のブラシは無駄な出費となりそうだけど、まっ、今日はそのブラシを掛けたバーを使用して、それでもまだメッキが剥がれて落ちるようなら、バーの使用はしないようにして、別のダンベルバーを使用することにしたい。  さらに、その別のダンベルセットの購入も考えても良いだろうと思う。
さてと、それではちょっとギターの練習をして、Amazonからの商品が到着するまでの時間を過ごすことにしよう。



やっぱり楽しいギター

2020年08月14日 | Weblog
 数十年後に、こうして、再びギターを弾くことになるとも思って居なかった。
それは、何故なんだろう❔ 
ギター以上に優先するべき事柄があったのだろうね。 今、再度ギターに触れて思うのは、やっぱり私はギターが好きなんだと実感することである。
小学生の頃はピアノが弾きたかった。 同級生の女の子がピアノが上手で、その子にピアノを音楽室で教えてもらっていた記憶がある。
でも、結局は、家にはピアノは無いし、ピアノを習うだけの家柄でもない。
机に鍵盤を描いていたことも思い出す。 その、ピアノの音色も好きだったけど、その女の子が好きだったこともピアノへの憧れが募ったのだろう。
今でも瞼に浮かぶほどに彼女にピアノを教えてもらっていた時間が懐かしく、とても幸福な時間として、忘れることがない無二の幸せと感じる。
今、彼女はどうしているだろうか? いや、私も、今の人生をその時には全く想像することもできなかったし、当然だけど、幼い子供が想像することなんて、たかが知れてる。

私はそれから、ピアノは当然家に無いし、高根の花と諦めていたのである。
で、中学になり、姉がどこかで頂いたか、買ったのかは定かでないけど、ギターを弾き始めていた。 今思うと、なんだかちょっと小さ目のギターだ。
でも、それを2本も持っていて、私もギターを弾くことになり、当時はフォークソング全盛期で、チューリップ吉田拓郎、泉谷しげる、その他などなど・・・・。 その時期だったので、中学でもギターを弾いている同級生も多くいた。 中でもかなりのテクニックを取得している者もいるし、あのころは本当にギターブームと言えるだろう。
それから、数年間はギターを弾き続けていた。
友達とセッションをするようにもなり、高校の学園祭にも度々招待され、ギターの弾き語りなどをしていた時期もある。

それから、所帯を持ち、子供も生まれ、子育てに翻弄して、ギターを弾くことは忘れて居たのだ。
でも、このコロナ禍で、私ももう還暦を過ぎて、今は第二の人生を歩んでいる。 今は、休日にはバイクを走らせ、週3回の筋トレを日課とし、さらには時間があればギターを弾いている生活を送っている。

残されている命の時間はそれほど多くない。 後20年程度が凡その寿命だろう。 でもでも、残りまだ20年もあるのである。
そう考えると、ギターを再開して、この20年間、ギターと付き合ったら、思って居る以上に自由に音楽を奏でることが出来そうだと思う。
月に1曲を取得しても、20年間で240曲を取得することが可能だろう。
これは凄いだろう。 
だって、それも、徐々にテクニックが向上するので、この先10年も過ぎたら、恐らく、想像以上にギターを自由に扱えることが出来ているだろうと想像すると、楽しくなる。
 
今日は夕方からトレーニングをする予定だったど、ダンベルバーのメッキ剥がしにトライしていた。
結果は予想以上に悪くほぼ期待を裏切られた感じ。 グラインダー用のワイヤーブラシを取り付けて、バーを目掛けて研磨した。 で、しかし、メッキは全く取れない。 当然だろう。 そもそも、メッキは金属に電解的に付着しているので、錆を取る要領なんかでは取れない。 
でも、ある程度はメッキの剥がれを取り除いた・・・と思って居る。
それでも、まだメッキが剥がれるようなら、このバー(アイロテックのダンベルバー)の使用は出来ないと悟った。
まっ、730円の無駄なお金を使ったことになる。
それでも、まっ、致し方ない。 一応は出来る限りを尽くすのが私のやり方で、無駄を承知でトライすることが私の流儀だ。
今回は、このダンベルバーは反故にして、別のダンベルセットを主体にしようと思った。 何とか組み合わせで、今のウエイトも使用できそうだし、無駄にはいない。
 
それでは、このコロナ禍、暑い夏を有意義に過ごすために、さらには、今後の人生を豊かで、健康的で、向上心を維持し、体力を維持し、心を安らかに過ごせる人生で終わりたいと願う。
これは、高年齢になったら、誰しも思う事だろう。
人生の収束をどのようにするのか・・。 当然だけど、人間はいつかは死を迎える。 死と言う絶対的避けることが出来ない動物や自然界の成り行きに対す意識を自分なりの悟りで受け入れることが出来るように、死に対する何か尊厳的な物を意識する。
私個人は、死はまさしく、生命の終わりである。
魂と言う物は人間の想像の中になる、ある意味では、理想的な概念だろう。
しかし、動物的な考えからすると、死はそれですべてが完結している。
死後は何もないし、生の概念も無いだろう。
死は全ての終焉であり、全て、何もない世界だ。 無である世界だ。
魂とか、なんとか・・・。 それは、人間の理想的な概念であり、そもそも、人間だけが特別な生命の存在出はない。
人間だけではなく、植物や動物は勿論、人間も同等に、生命がある時こそが唯一の存在だ。 死後の世界とか言うような、特別な世界は存在しない。
それは、人間の煩悩が生み出した死に対する恐怖や、何か分からない意識を安定させるために考えた、自己防衛システムだろう。
死が確実になった時点で、世界的な共通点として、天国を思わせるような映像を誰もが体感することである。
これも、人間の死に直面した時に共通する、深層心理だろう。
人間が死に対する恐怖や苦痛を緩和するための、心理的なシステムが埋め込まれているのだろう。 だから、全世界的に共通する死に直面した時に共通する物を体感するのだ。
これは、人間の自己防衛本能だと私は考える。
死は、どんな死でも自己が死する時には、特別な苦痛や痛みを感じるだろう。
その想像できない死に直面する意思や身体に掛かる負荷を精神的な何かによって、軽減するために、人間は本能的な機能を有することになったと思う。
それは、死が確実となった時点で、天国のような安らかな時空にいざない、死からの恐怖を取り除くことに精神が働くシステムを持っているのだろうと想像する。