summer diary

日記らしきページ

のんびり・・・のんびり

2024年05月19日 | Weblog
 今朝は小雨。 今は本降りになりそうな雨。 今朝はいつも通りに6時半前には起きて、朝食を済ませた。 朝食は何時も決まって居る。 まずはプロテインをボトルコーヒーで溶かして飲む。 この時にマルチビタミンを1錠一緒に飲む。 このマルチビタミンもすでに2年以上続けて飲んで居る。 それから野菜ジュースを飲んで、ご飯を茶碗1杯分食べる。 今日は味噌汁もあるし、めかぶ、漬物、ふりかけで食べた。 
それからEAAのカプセルを4個飲んで、これで朝ご飯は終わり。 ほぼ毎日同じような朝食である。 韓国海苔を8枚食べる時や、漬物もいろいろだが、ご飯を茶碗1杯食べるのは変わる事は無いし、味噌汁がインスタントの時も有るし、無い時もある。 
それからは歯磨きを済ませて、髪をセットして、ひげ剃りをすると朝の支度は終わり。 
それからはゆっくりとタバコを吸ってから、自分の部屋に戻ってPCを開いてブログを書き始める。 今日は雨で気温はそれほど高く無いが、寒さを感じる事も無い。 
昨日は夏日で30度を超える様な暑さだったので、窓を開けていても凄く暑かった。 
ギターを弾くときは窓は閉めて居るので、昨日はギターを弾く時にはかなり暑く感じて、エアコンを付けようかなと思ったが、まだ少し後にしようと思って、なんとかエアコンなしで過ごして居た。 
昨日はバイト明けの日だったので、午後からは少し昼寝をして過ごしていた。 ギター練習もそこそこで終わった。 
一昨日は筋トレも休んだので、今日はしっかりとやりたいと思う。 バイトの日には筋トレをする予定になって居たが、一昨日のバイトの日はあまり体調も良くないので、休止していた。 筋トレもまっ、今ぐらいの頻度でやる方が良さそうである。 週2回程度と決めて居るが、まっ、時には少し間が空く事もある。 それは自分の体調を見て決めて居るので、逆に言えば、無理する事無く、更に、完全に筋肉の疲労が取れた状態でする方が良いだろう。 

読書以外で本を読む(聴く)事を毎日しているが、朗読(Audibleで聴く)でも私は時代小説を好んで聴いている。 読書(本を読む)もほぼ全て時代小説を好んで読んでいる。 多くの時代小説を主に書いている作家が居て、本を読んだり、聴いたりする事が出来る。 ただし、やはり好き嫌いはあり、私は短編の小説が好きだし、気楽に楽しめると思って居るので、出来る限り短編小説を選択するが、それでも同じ作家では飽きる。 いろんな作家の本を読んだり、聴いたりするが、途中で読む気が無くなったり、聴く気が無くなる小説も少なく無い。 
私の趣向の問題だろうと思うが、物語の展開が遅く、時代背景の説明や物語の内容があまりにも専門的だったり、その時代背景の歴史的な記述が多くなると、物語自体の話とは離れてしまい、どうも楽しく無い。 時代小説は時にはその時代の背景を説明する事も必要になるが、あまりそうした話を詳細に説明しようとして、読み手としてはつまらない話に付き合わされる事になったりする。 
やはり、小説の愉しさはその内容の面白さはもちろんだが、展開の愉しさである。 人間的な魅力ももちろんで有るし、そうした人間的な話が現代にも通じる様なある種の普遍的な物に魅力を感じる。 
そうした小説と出会える事は楽しいし、そうした作家を見つけると次も読みたく成るし、聴きたくなる。 
これまで読んだ事が無い作家なども進んで読んで、私が楽しいと思える作家を見つけた時にはやはり嬉しい。 同じ作家の本ばかりを読み続ける事は難しい。 当然だが、図書館にある同じ作家の本はそれほど多く無いし、出版されている本も限りがある。 
なので、これまで知らない作家の本を借りて読んだり、Audibleで見つけた作家の本を聴いたりする。 ただし、やはり内容的にも、その作家の表現的にもあまり楽しく無い物もあるので、そうしたときには早々に読む事を辞めて、聴く事を辞めて、他の作家の本を探したりする。 
最後まで読まないとその本の内容は理解出来ないとも言えるが、少なくとも、読んでいて、興味が沸かないような物語を読んでいても全然楽しく無いので、そうした本をあえて読む事は意味が無い。 
本を読んで何か専門的な事を得る為の目的なら別だが、少なくとも物語の愉しさを求めて居るなら、本で居て楽しくないと感じる本を読み続けている事は逆にストレスになる。 
今は時代小説が好きで時代小説に限って読んで居るが、昔はそうでも無く、現代小説や所謂、文豪と言われている著名な作家の小説は若い時には数多く読んだし、海外の文豪の作家の本も数多く読んだ。 さらに、絵画や音楽関連などの専門書なども好んで読んで居た。 しかし、今はそうした今の時代を背景にした物語を読む気持ちが無くなった気もする。 もちろん、時折は読んだりする事があるが、どうもやはり面白く無い。 それはなぜなんだろうか? と思ったりする。 時代小説との違いは何だろうか?? それは明らかに今の時代が抱えいる様な金銭的な感覚や、地位や仕事自体の考え方の違いなど、今では想像出来ないような人間性がある事だろう。 
もちろん、普遍的な人間性は今でも変わる事が無いだろう。 本当なら男女の意思や意識はそれほど変わっていない。 ジェンダーの問題も、LGBTなどの問題もすでに昔から存在していたし、昔は逆にそうした人もある意味では肯定されていた時代もある。 しかし、それは人間性の奥行きの深さや、許容性、優しさや、心意気も今以上に優れていたと実感する事も出来る。 もちろん、理不尽だと思えるような制度や決め事もあるが、それはそれである意味では納得出来る物として受け止められる。 
時代小説には現代ではあり得ない話が多くあるので、それが楽しい。 それが嫌みでは無く、納得出来る様な人間性で表現されている事で、理不尽な物語でも許せるというか、納得出来るのである。 
現代小説はどうしても現代の背景や法律や制度や生活レベルとか、地位や名声や収入の格差やその他の理不尽な事が納得出来無いような展開で、作家の趣向で価値が決まって仕舞っているような話で終始する展開が多い。 
時代小説なら、仇を討って成敗するなんて話も当たり前の事として気持ちはスカッとするが、現代小説ではそんな展開はあり得ないだろう。 悪い奴らも最後は切り捨てられて、悪い奴は最後は死をもって償いを受ける事など・・・。 今では叶わぬ事だが、そうした展開も時代小説ならあり得る。 
庶民の生活も決して生活が豊かでは無いが、その人生の愉しさや幸福感が伝わる。 現代小説だとどうしても生活苦などは幸福とは縁が無い展開になりがちだ。 

さてと、今日はしっかりとギターも弾く時間があるし、体調も良いし、気持ちもすっきりとしている。 来週はギター講座もあるので、講座の課題曲もまだまだであるが、自分としてはかなり弾ける様に成ったと思って居る。 もう少しで完璧だ。 譜面を見ないでも弾けるようになるまで弾き込まないとやはり綺麗な演奏は出来ないんだと理解する。 ソロギター講座の曲も新しい曲に進んだので、今は4小節から8小節までを丁寧に練習している。 こうして、少しづつ完全に弾けるようにする事が良い練習だと思う。 いままでの練習方法とは少し変えて、自分が可能な限り弾ける為に何が良いのか・・・を思考しながら弾いて行こうと思う。 








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