summer diary

日記らしきページ

ギターチューナー

2021年08月30日 | Weblog
 昔はギターのチューニングは音叉を使用して、6弦5フレット、5弦開放弦を合わせて、各弦ごとにオクターブチューニングする事が当たり前だった。
現在は各弦の音波を感知して、正確なチューニングが可能になった。
このチューニングはギターのヘッドにクリップなどで取り付けて、開放弦を弾き、チューニングの目盛りに合った場所が正確な音の位置になる。
今ではプロもこうしたチューニングを使用するほどに当たり前になっている。
価格は1000円前後から高額な物でも3000円することもない。
ボタン電池、又は単4電池やバッテリー仕様などいろいろだけど、何しろ、大きさはかなり小さい物が主流で、ボタンなどのレイアウトは意外と使用しずらい。
私も去年から使用しているけど、何度も落下しているので、電池部分の蓋が破損していて、昨日は落下した事でスイッチが入らなくなった。
1500円程度なので、1年間使用することが出来たので、まっ、元は取れた?かも?ボタン電池は意外と消耗が早く、意外と頻繁に電池交換が必要になる。
ボタン電池は100円ショップでも2個で100円で購入刷ることも出来るけど、それでも無料でもない。
本来ならバッテリー式で充電できるタイプが良さそうだけど、いろいろと探してみても、あまり評価が良い商品も無い。
今回は単4電池式の物を購入することにした。 これまで使用していて、使いやすいメーカーから出ている商品なので、チューナーの性能はある程度信頼は出来そうだ。 それと、電池の収納場所の作りも良さそうだし、価格は少し高額だけど、破損する可能性を考えると、今回は期待したい。
今はスマホでチューナーアプリがあるので、普段はそれを愛用している。
これなら電池の心配もないし、意外と精度はかなり高いのである。
ただし、クロマチックチューニングが出来ないので、(私が使用している無料のチューナーアプリである)442Hzなどの微妙なチューニングがしたい時にはどうしてもチューナーが必要になる。
クラシックなどは440Hzでチューニングしているけど、フルアコなどでは442Hzでチューニングすることがあるので、やはり1個はチューナーが必要に感じている。 
こうしたギター関連の小物はいろんなメーカーから千差万別と言える程溢れている。 特に中国製の物は安価ではあるが、製品の個体差が多く、出荷検査などはいい加減な製品が多々あり、あまり購入する気がしない。 
今回は国産? 本当は中国生産だろうけど。 だと言うことと、同製品のボタン電池式を長く使用していたので、その性能はある程度信頼できると判断した。 もちろん、実際に使用しないと何とも評価できないし、Amazonのレビューはほとんど当てにならない物が氾濫しているので、私はほとんどレビュー数や評価の☆数なども信用しないことにしている。 

さて、ギターの練習は午前中に1時間半、午後から1時間程度終わった。
休憩中に風呂の扉のパッキン交換工事があったので、メーカーの作業者に付き合うことになった。
これで、風呂に関する工事関連は終わったことになる。
この風呂の扉の下側のパッキンはゴム製で、以前からカビがこびりつき、どうしても取れないので、今回、風呂の床交換工事をしたこともあり、扉のカビが気になったので、交換することにしたのである。 
これで、今後はこうしたカビが付着する部位を丁寧に清掃することにしようと思う。 今後長く使用する風呂なので、この際に綺麗な状態にすることは今後も長く気持ちよく使用するためにも多少の出費はあるけど、良かったと思う。
妻はこうした場所の交換に出費をすることには反対だが、何事も良い状態を保つことは、生活環境を心地よく保つためには必要だ。
こうした細かい気遣いが日々の生活の積み重ねを豊かにするのである。
さて、明日は日勤なので、ギターは夜以外は練習出来ない。
今日は夕方までまだ時間もあるので、1時間半程度はこれから弾こうと思う。

明後日はギターケースが届く予定になっている。 それも楽しみだし、これでギター関連の欲しい物は揃ったことになる。 後は定期的な弦の交換程度の出費以外は必要ない。 
今後数年間は私は趣味にお金を使うことはないだろう。
定年を迎えてからも、こうして家でギターを弾いて過ごす日々を暮らすことにしようと決めている。 
コロナの収束後も私は家で過ごす休日、定年後は日々ギターを弾いて過ごすことになる。 それが今私が望むライフスタイルである。
それだけで十分に私は幸せである。 特別な日々は求めていないし、所謂娯楽を求めてもいない。 日々のギター練習で少しづつ難度を上げて行って、自分が思い描くギター演奏が出来るようになる事が今の私の希望なのである。
さて、ではもう少し練習して、後はしっかりと休養しよう。 
今後何年生きる事が出来るのか?? 平均寿命まで健康を維持して、楽しい人生を送れるようにしたいと思って居る。
その為にもトレーニングも計画的に継続することにしている。 
そして、何よりも毎日がストレスが無い健全な心と身体を維持できるようにしたいと思う。 
将来の心配はいらない。 経済的な心配ばかりをしている妻は常にお金に関するストレスを抱えているけど、正直、私からすると要らぬ心配である。
贅沢をすることが無い限りは生活維持に十分な生活費用は潤沢である。
妻は何を持ってそんなに心配しているのだろうか? 
この先、これまでのように生活維持に掛かる費用は相当に低減する。 そうしたことを考慮すると、ほとんど心配なんて無くなるはずだが、どうも、そうした事を想定できないらしい。 
まっ、女性は元来が家の経済的な担当であることもお金に対する考え方も慎重なのは理解できる。 それでも、もう少し余裕のある気持ちで生活することは大切だ。 普段から無駄をなくす生活をしている限りは、特別な事情が無い限りは何も心配する要素は見つからない。




いやでもニュース

2021年08月30日 | Weblog
 毎日、毎朝、昼、夜とテレビ、ネット、新聞などの記事を聞いたり、見たり、読んだりする時間がある。
私は朝は新聞は見出しを適当に読んで、読みたい記事が意外と少ないので、ほとんど読まない事が多々ある。 
それ以外には毎朝はNHK第二放送ラジオで流れるニュースを聞き、ニュースの合間に流れる曲を聴き、ニュースに対する専門家などの意見を聞くことが毎朝の習慣でもある。 
さらには、仕事の時にはほとんどTVを見ている時間が多くなるので、昼の情報番組などは良く見ている。
今はまず、必ずどのチャンネルでもコロナ感染情報が多くの時間を割いて放送される。 朝からいろんな専門家や評論家などが番組に登場して、いろんな意見が交わされている。 政府から発信されている情報や声、政府の考え方を考察したり、政策に対する意見が多く散見する。
情報番組はほとんどが今はコロナ関連情報で構成された番組作りが当たり前になっていて、各局はほぼ同じ内容とも言えるだろう。
いろんなコメンテーターがいろんな意見を訴えているけど、どれも言葉だけで終わる。 もちろん、時には直接政府の責任者も登場して、現状の政策、今後の政策、どのような対応をするのか・・・。 直接の話を聞くこともあるが、結局はどれもこれも結局は国民の意思と行動頼りの政策でしかない。
ワクチン接種が決めてと言うけど、そのワクチン接種もまだまだ効果を実感できるような進展が出来ていない。 
最近のニュースではこうした聴きたくない情報があまりにも多く、身近なニュースとしては良いかも知れない。 しかし、身近な物以上にもっと考えないとならない物事がある。 
民間だけではなく、NHKさえも視聴率を考慮した話題やニュースを優先するので、どの番組でも同じことを何度も繰り返して取り上げている。
同じ局の情報番組が朝から夕方までずっと同じ内容を繰り返して放送している点も、見ていてもまったく興味が持てないような気持になるのだ。
それ以上にもっと、本来知りたい情報をしっかりと伝えて欲しいと願う。 

先日からタリバン政権誕生と米軍の撤収状況なども連日伝えている。
さらに、ISのテロも猛威を振るう状況になっていること。
対して、米軍が報復攻撃を再開している事。
アフガニスタンに滞在する各国の市民を安全に撤退させるために、各国の軍隊や、日本の自衛隊なども専用機をアフガニスタンに送り込んでいる。
一度は完全に力を失ったように見えたISが再び復活している現状を考えると、力の抑制はやはり無理が有ることを知らされる。
おそらく、今回も米軍やその他の協力的な国などの援助などでISの力は縮小するだろう。 しかし、根絶することもなく、再度どこかで組織を拡大する活動を継続して、今後も何度も同じテロ行為を繰り返すことだろう。
日本や先進国などで平和に暮らしている市民には、あまり実感も沸かないし、ほとんど関係ない話として受け止められているだろう。
なぜ、アフガニスタンやその周辺国では、これまでもほとんど平和な日常を送ることはない。 タリバン自体が元々が極端に解釈したイスラム教を堅持する姿勢で、これまでも多くの周辺国や国内からの不満や反発を招き、国際社会からも非難されることは知る由も無いだろう。
特に世界遺産すらも平気で爆破し、破壊する行為を強行したことも有名な出来事である。 こうした民主的とは真逆な政策は人間の素直な意識とはかけ離れるのは当然で、中国の国家を上げて個人の意思を抑制する政策や個人の自由意思は許されないような国は、いつかは国内部から氾濫が多発する事態に陥ることも想像できる。 人間の本質的な意思は教育だけでは限りがあり、各個人の感性に依存することが多くある。 
それこそが個性であり、本来、人間としての生き方を確立する要素になる。
しかし、人間はそもそもが、とても自己中心的な動物であり、とても残酷で、時には世界で最も脅威的な生物でもある。 
これまでの人間の発展の過程を見るまでもなく、戦争(知さなコミュニティーとの争いから、内戦、国家間との戦争など)を繰り返して来たのである。
これは人間の飽くなき欲望の結果である。 自己中心的な視野が齎す行為だ。
さらには、自己満足の為には手段を択ばずに同じ民族すら容赦なく排除するyほうな鬼謀な生物だと言っても過言では無いだろう。
大きな戦争を収束して、今は世界的な交流が当然のようになっているが、しかし、国家同士の間には今でも戦争を想定した備えを忘れることもないし、さらに武装を拡大する傾向さえ続く。
今は情報社会で、IT技術の発達などでネット戦争も頻繁になっている。
今後は宇宙的な戦争すら考える事も大袈裟な話でもないだろう。
人間はこうして、何時までも自己中心的な精神から脱却できない動物だろう。
世界がこうした無益な対立を繰り返している以上は、平和はこの世には無い。 
さらには、地球の環境は悪化する方向に進んでいて、世界的な環境の変化による災害も多発している。さらには、化学的な力を借りて進める技術も、時には驚異的な自然破壊、生活空間の崩壊を招いている。
人間は何時もそうなんだけど、真剣に先を考慮した政策が出来ていない国家がほとんどで、原発はその顕著な科学的な負の遺産だ。 未だに使用済みウランの処理が出来ない状態でも、平気でその廃棄物を出し続ける愚かさは、これこそ人間の真の姿なんだろうと思える。 
目先の豊かさを優先してきた姿勢は、とうとう地球環境を破壊する力に変り、人間の欲望を満足させるために、大きな負の遺産を残すことに目を向ける事もしない。 
これはアフガニスタンの問題も同じだろう。 ISなどはそうした人間の愚かさの象徴とも言える行為だ。 人間の本質を垣間見るような気がしてならない。
日本やその他の先進国家でも、人間の本質を露わにする人間も登場する。
無差別に殺人をする人間、(これは人間ではなく、すでに動物での最低の動物に属すのである)、人を騙して欲望を満たす人間、自分の感情を抑制できずに平気で人に危害を与える人間など。 出世や名誉のために正義を捨てる事を暇ない人間。 権利や地位を堅持するために不正な手段を繰り返す人間などなど・・・・。 そうした人間が存在する限りは、この世界に平和は訪れることはない。 
日本でもこれまでもこうした人間が多くの犠牲者を繰り返して生んでいる。
犯罪者にも人権があると言うけど、私は人権は無いと思って居る。
特に殺人やそれに等しい行為をする事は、すでに人間ではない。
世界でも最低の生物だと思う。 
どんな理由でも、他者を殺害したり、他者に同様な行為をする事は正当化することはできない。 正当防衛での殺害は勿論別の話である。
殺害される危険な状態で、その加害者に反撃することは当然の行為だろう。
しかし、単なる感情的な対立や行為に対して、殺意を持つ事は正常な人間の行為ではない。 人間は自分の感情を制御する事が求められる動物だろう。
現代社会では複雑なシステムが絡み合って形成されている世界である。
そうした世界では当然だが、いろんなルースや制約、共通の正義が無ければ成り立つことは出来ない。 
簡単な例えでは、信号の色で車や人などは行動することを制御される。
これを、自分の意思を優先する人間は信号を無視して大きな事故を引き起こして、他者に多大な迷惑や被害をもたらす。
これはすでに人間社会では生きることが出来ない種類の人間である。
いろんな社会的な仕組みは当然であるので、その中で生きる為には絶対的な感情や行動の抑制を守ることは至極当然な社会に生きる人間としてのマナーだ。
マナーと言うと、それこそテーブルマナーなどを想像するけど、そうしたある特定なルールとは違う。 
人間の本質的な正義を基本とする最低限のルールは、どの国でも同様だ。

連日のコロナ感染関連のニュースを見ていても、緊急事態宣言だろうと平気で自己満足を満たすために感染拡大を助長させる行為を繰り返す人々も少なくない。 当然だけど、行動制限を規制するような法律も無い状態で、自由な行動は罪ではない。 しかし、こうした人間の意識が戦争が終わらない最も大きな人間の欲望なのである。 自分の満足を満たすためには感染拡大は自分には関係ない要因だと思うこと。 自分の行動や意識を正当化する不義理な理論は平和への反逆行為である。 
本当に豊かで平和で温和な社会を目指すなら、人間は常に正義を愚直に生きる事が求められると思う。
自由と好き勝手は全く次元が異なる。 もちろん、例えば、自分の住む部屋がどれほど汚くても、不要な物で溢れかえっていたとしても誰にも迷惑を掛けていないし、誰もそれをとがめる人もいないだろう。
しかし、そうした自分勝手な環境は他人との生活を拒否する行為と同様だ。
さらには、社会的な立ち位置では全く理解されないだろう。
自己中心的な精神がそうした部屋を作り出している。 常に整理整頓されている部屋、何時も清潔に保つ事を心がける精神は、自分に対してもいつも抑制する姿勢であり、どんな場面でも人間としての正義を守る精神に尽きる。
これは個人的な意見だけど、その人の生活空間を見るとその人物の人格が解る。 着ている服をそのまま放置する姿勢や、食べた物をそのまま放置している姿勢。 ゴミを散乱していても気になることもない精神。 
物で溢れるような部屋でも平気な精神。 汚れなんて気にすることもない精神。 普段から身だしなみなども気にしない精神。
こうした精神は他人に対しても、さらには社会に対しても、さらには世界に対しても、当てはまるのである。
自由とは自分の欲望を満足させることではない。 少なくとも、無人島で独りで暮らす人間なら別の話だろう。 この社会で生きる以上は社会の公序良俗を犯すような行為は自由とはかけ離れた物である。

さて、さて、今日はこうした事をいろいろ考える事になった。
以前から、私はずっと若い頃から人間の醜さや欲望が平和を犯す癌気だと実感している。 一人ではない限り、他者との共存を意識した精神が重要だし、それが全てだ。 それは家族でも同様で、人間である以上は複数人である限りは同じルールが必要だろう。
家族間でも尊重し、意思を確認し、最低限のルールが必要になる。
これが無ければ、生活は成立しない。 
経済的な問題だけではなく、普段の生活環境すら作れないだろう。

さて、さて、今日も休みなので、今日は午前中からしっかりとギターの練習をしようと決めている。 買い物などもないし、今日は妻も家に居るので、家事の心配もない。 のんびりとギターを弾けるのだ。










まだもう少し我慢

2021年08月29日 | Weblog
 昨日は風呂の工事があり、夜勤明けだったけど、業者の作業状況に合わせてこちらも対応する必要があり、結果、一日作業終了までは寝る事が出来なかった。
さらに、ギターを弾くことも出来ずに一日が終わった。
妻も午前中には家に居たけど、午後からは外出しているので、私が一人で対応する事になったのである。 
夜勤明けで帰宅してからぐっすり寝る事が出来なかったこともあり、夕方から頭痛がするし、食欲は無いし、夕食に寿司を買ってきていたけど、結局は食べずにビールもコップ半分程度しか飲む気がしなく、早々と寝床に就くことにした。
深夜にトイレで1度目が覚めたが、それ以外は今朝まで寝ていたのである。
今朝は6時前から起床して、体調は悪くない。 頭も体もすっきりとしている。 

今日、明日は休みなので、しっかりと身体を休めて、体調を整えたいと思う。 
ギターの練習もいつも以上にしっかりと遣りたいと思う。 
今日は風呂も使えるので、夕方には風呂全体をしっかりと清掃して、工事の時に付着している埃や汚れを綺麗にしたい。 
風呂工事は床の不良改善工事で、これはメーカーの全額負担である。
工事終了後に完成確認をしたけど、少し気になるのはコーキングが以前よりも少し荒く、仕上がり(見た目)があまり良くない気もするが、まっ、私的な感覚なので、敢えて、それに対して文句を言うことはしなかった。
職人の作業はその能力には大きな差があり、同じ作業でもその仕上がりには他所の差があるのは致し方ないだろう。
問題は完璧な機能が出来て居るか。 いろいろとあるが、少なくとも、今回の工事でコーキングなども新しくなったので、その点では本来の耐久期間が延びたとも言えるのだろう。
今回の目的である床は確かにしっかりと綺麗に交換出来ている。 
見た目は改善された様子もあまり感じないけど、メーカーの説明では、同じ現象が起きない材質や加工がされているらしく、今後は同じ現象が起きないと思っている。 
さて、先日エレアコを購入して、ポイントが溜まっていて、ポイント使用可能になったので、早々にセミハードケースを購入した。 ポイント使用でケースとストラップを購入することが出来た。 
さらに、再びポイントが付いたので、弦なども買える。
セミハードケースはどうしても必要とも思えなかった。 今回購入したフルアコには付属でソフトケースが付属していて、そのケースも思って居る以上にしっかりとした製品だった。 正直、そのケースでも十分にギターの保護が出来る物だ。 それでもセミハードを購入したのは、こうしたソフトケースはギターの出し入れが少しやり難い。 通常、ハード、セミのケースはケースがしっかりと箱の容をしているので、蓋の開閉時は蓋を開けた状態で、ギターを出し入れできる。 ソフトケースの場合には蓋などを手で固定したり、完全に空かない仕様になっているので、ギターの出し入れがやり難い。
そうした事もあり、さらにはポイントで購入できることもあり(これが一番の理由である)しっかりとしたケースを購入することにした。
これまでも、CórdobaGKstudioLimitedを購入した際にはやはりソフトケースは付属していて、そのケースもかなり良い作りなので、そのまま使用することも考えたけど、結局はギターの出し入れがもう少し簡単にできるセミハードに替えた。 まっ、家で使用するなら、敢えてセミハードは必要は無い。
それでも、しっかりとしたケースに入れて置くことで、例えば、ギターを倒したり、移動させたりする際にも気を遣うこともないし、ケースの入れて置けば、掃除などの時でも気にする必要もなくなる。
私は使用していない時には必ずケースに入れている。 人によってはギターをスタンドに置いて居たり、壁に掛けたりしている人も多く居る様子だけど、私は何かの拍子にギターを倒したり、ギターに傷が付いたり、埃が付いたりするのが嫌なので、毎回ケースには収納して保管している。
さらには、ケース内には湿度調整剤を入れている。 これはとても大切で、これまでもギターを出しっぱなしにしていて、ネックの反り、ブリッジの剥がれなどを経験したこともあり、しっかりとケースに入れて、出来る限り湿度を一定に保つことも大切だと実感しているからである。 
セミハードならそうした湿度調整剤の効果も保てるだろうと思う。 
特に夏場では多湿で、ギターにとっても良くない環境だ。 いつも室内の湿度計を確認しているけど、この夏場は70%以上の湿度が常になっている。
エアコンのドライ運転をしているけど、それでも55%程度が限界ぐらいである。 逆に冬場は湿度が35%~30%ぐらいまで下がる。 これもギターにとっては良くない環境なので、冬場は加湿器を使用する時も有る。 

プロのようにギターはある意味では使い捨てぐらいに頻繁に替える人も居るかもしれないけど、素人などはそれこそ生涯にそれほど多くのギターを購入刷ることもないだろう。 さらに、ある程度高額なギターなら、生涯使用する事を想定しているだろう。 
ギターは大切に使用すれば、一生使用することも難しくない。 私は使用後は丁寧に拭きあげて、ボディーは勿論、特に弦の付いた手汗や埃を拭き取ってケースに保管している。 
よく、ネットや教則本などで言われているのは、ギターは部屋に出しっぱなしにして、いつもでも弾ける状態にすることが大切だ。 そうした意見を良く見かける。 いつでも弾ける状態を作ることはギターの上達に繋がると言う意見は確かにあるだろう。 でも、ギターを大切に使い続けるなら、ケースに保管することを私は推奨したい。 さらには、常に綺麗な状態を保つこともとても大切なギター上達には必須だと思って居る。
大袈裟に言えば、ギターが自分の大切な宝物である意識は大切だろう。 
もちろん、ピックでピックガードなどに傷が付く事や、弾くことで必然的な傷を付けてしまうことは当然致し方無いし、そうした事を気にすることもない。
しかし、私は今所有しているギター(合計4本)は全てとても大切な私の宝物として扱っている。
全てとても気に入っているし、全てを常に弾きたいと思っているので、4本のギターを出来る限り弾くようにしている。
メインで弾いているギターはクラシックギターだけど、それでも、出来る限り時間を作って、フラメンコギター、フルアコ、ソリッドも弾いている。 
フルアコは今回購入したので、まだ使用頻度は少ないけど、これから長く使用することは間違いないし、これが将来はメインのギターになるだろうと思う。 
今はクラシックギターがメインだけど、将来はジャズをメインにしたいと思って居るので、フルアコは大切な私の宝である。
さて、しばらく長く雨が続いていたけど、3日前ぐらいから夏らしい日が続く予報で、昨日も35度を超える気温だった。 日差しも強烈で、直射日光に当たると数分で汗が流れる程に暑い日が続く。
それでも、雨続きの日に比較すると湿度もある程度低くなった気もする。
もちろん、ギターを弾く時には窓を閉めて、エアコンをしっかりと付けて、部屋が涼しい状態で弾くのは当然だ。 ギターは見た目以上に体力を使う。
1時間、1時間半ぐらい連続で練習していると、体力や精神力もかなり消耗する。 実際に、ギターの練習を一日続けていると、夕方に筋トレをする体力が無くなっていたりする。 疲労して、夕方にはトレーニングをする気が無くなり、そのまま風呂に入ってのんびりと夕飯を食べてから、寝る前に少しギターを弾くと言うパターンが続く。 
しかし、本当はしっかりと計画的にトレーニングをしたいと思って居るので、ギターの練習時間を少し調整しようと思うのだけど、ついつい、ギターを弾く時間に当ててしまうのである。 
ギターの上達は練習時間に完全に比例する。 ギターの上達に何か特別なテクニックは無い。 私はこれまでの経験から感じている。 
兎も角、盲目的でも弾くことが上達の全てで、それ以外には進まない。
曲の中で押弦、運指、弾く指などが難しい個所は何度も繰り返してスムーズに弾けるまで練習することが当然である。 それでも、なかなかスムーズに弾けるには相当な反復練習が必要で、頭で考えているだけでは絶対に出来ない。
私も短い練習曲をスムーズに弾けるまでには相当な時間が必要で、100回、150回、200回と繰り返していても、それでもスムーズに弾けない時もある。 ギターで難しいのは右手ではなく、絶対に左指だ。 
弦を押える正確さ、押えるスピード、スムーズに移動するために無駄な動きを無くすことや、移動するタイミング、移動(押弦)するためにどの指でどのタイミングで離れるのか・・・。 そうした事を自分で考察しながら弾くことが上達する要素だろう。
個人差があるので、指の長さとか、柔らかさとか(これはとても重要)、各指が個別にどれほど動かせるのか・・・。 そうした個性をどのように生かせるのか。 自分の個性で出来る事を最大限伸ばせる事がギターの上達には大切な要素なのである。 
指が決して長くない女性ギタリストも多く居る。 そうしたギタリストの演奏を見ていても、決して指が短く感じない程に流暢な指使いで弦を押している。 
逆に女性の軟かく、柔軟性に優れている指の方がギターには向いているのだろうと思える程だ。 スポーツなどでもそうだけど、身体の柔軟性はとても大切な要素だ。 柔軟性は上達する為にはとても重要な要素だろう。 
指が長くても、柔軟性に欠けていては意味がなくなる。 
さて、長くいろいろと書いているけど、要するに各自で自分に合った方法論を見つけ出すのかがとても大切な鍵となる。
基本的な要素はそれほど多くはない。 それ以上に大切な要素は、自分のやり方を確立することで、それを見つけるのは簡単でもない。
これは何度も何度も繰り返して練習する時間の中で自然と見つけ出すことになるだろうと思う。 私はまだまだ初級者レベルだと思っているので、まだまだギターの上達には期待が持てる。 今後今の倍以上、それ以上に楽しくギターを弾ける日が来るだろうし、自分が思って居る以上に難しい曲も弾けるようになるだろう。 ジャズなら誰かとセッション出来るほどに上達することも可能だろうし、そうなる日が来ることを描いている。

追記、表題のもう少し我慢。 表題とは違った事を書きすぎて、肝心な表題に触れていないので、追記する。
この我慢とは、ギターを弾く時間、トレーニングをする時間を自由に出来る日が来るまで、後1年4か月の時を過ぎる必要が有る事だ。 
65歳の定年までの期間が残り1年4か月なのである。
その間は今の仕事も継続しているので、ギターを思って居るように自由な時間に体調も良い状態で弾くことが難しい。
仕事柄、どうしても一日完全に弾けない日がある事、明けの日には頭も身体の体調も良くないので、ギターをしっかりと練習する事が出来ない事。 
そうした事を考えると、週に完全にギターの練習に当てる時間は15時間程度がやっとである。 時には10時間程度も確保できない時もある。
週7日間で15時間でも実質的には日当たり2時間程度だ。
本来なら毎日3時間、4時間を継続したい。 週20時間程度を望んで居るし、出来る限り毎日ギターを手にしたい。 そうした事が可能になるのは、後1年4か月の時を待つことになる。 
それで、もう少し我慢と言う意味なのである。



感情と言う代償

2021年08月28日 | Weblog
 このコロナ禍の中で、まともに影響を受けている人々も多くいるだろう。
特に医療従事者や飲食店やその他のコロナによる営業利益が激減するような状況に陥ることになった人達は、当然だけど、コロナは最悪のウイルスとなるだろう。 
最近はそうした状況下で、いろんな不安や不満を募らせて、理不尽な行為を当たり前のように行動に移すような輩がいる。
こうした人達は、自分の不満、不平を正当化して、自分ではない誰かが原因で今の自分の人生(生活)を狂わせているのだ・・・。
そうした自己肯定の意識が招いている。 
もちろん、それだけが原因とは言わないし、電車内で若い女性に切りつける犯罪を犯した男や、硫酸を散布したりする行為を当たり前のように実行する意識は、通常の人間からの常識や正義観、倫理観、一般的なマナーなどのに対する不満を
何か形にしたいと思う意識だろう。
しかし、仮にいっし




自己中心的性格

2021年08月28日 | Weblog
 今朝は帰宅後、風呂の工事が午前中に始まる。
風呂の中にあるシャンプーやリンスは勿論、椅子、洗面器、その他の風呂掃除に使用する洗剤やその他・・・。 を風呂の外に出して、脱衣所にあるタオル類などの収納しているクローゼットなどをリビングに移動。
風呂の工事は今日中には完了する予定だけど、場合によっては明日まで掛かるかも。 この風呂工事はメーカーの材質や設計の問題なので、工事費用は当然だけど、無料である。 
風呂の中の備品を出している時に壁に黒い染みが見つかる。 昨日に妻が髪染めを使用して、その髪染め剤が飛び散っているのだ。
以前も同じことがあり、その時にはかなり注意をしたのだけど、再度同じことを繰り返している。 そもそも、こうしたことをするなら、どうしてもっと注意して、汚れをしっかりと洗い流すことができないのか?
しかも、風呂のその飛び散りはかなり拡散しているのである。 
妻は自分の髪の毛を染めることしか考えていない。 その液剤が付着した時には、洗い落とすにはかなり苦労することも意識していない。
なので、いい加減に洗っているだけである。
それを指摘しながら、私はその汚れを綺麗にしていた。
その時に息子はその事が煩いらしく、私に相当権幕で怒鳴るのである。
とても言えないような暴言を吐き、私に迫る勢いで2階の部屋から降りてきた。 私は特にそんな態度を無視していたけど、かなりの怒りようで、その態度はやっぱり息子はまだ子供の感覚から抜け出していないし、そうした性格なんだろうと改めて認識した。
30歳になり、まだ先を見据えている様子もなく、親元で甘えて育ったままの子供認識から脱することが出来ていない。
自分勝手な言い分、自分中心的な考え方。 
こうした若者は少なくないけど、これはある意味では病気的な性格だろうと思って居る。 何かに対して不満を増幅して、それに対する気持ちを爆発させるよな人格は、犯罪者には多々いるのである。
なので、こうした所謂「キレル」性格、そうした心を客観的に判断する事が出来ない人間の行動は、とても危ない。 
こうした、ある一点しか見えない視点で行動する人間は、時には平気で他人を傷付けたり、無差別に殺意を抱いたりするのだ。
私の息子もそうした人間とそれほど変る事が無い、人格の持ち主だと思ことは以前から認識している。
感情を制御するだけの抑止能力が欠けている。 カッ!と意識が高ぶると、自分の感情だけが先行して、自分の行為がどのような結果をもたらすのか? 他人や家族、友達や社会の中での自分と言う立場を全く観る能力が欠落する状態だ。 こうした人格は、仮に犯罪行為には至らないかも知れないが、少なくとも、他人を傷つけたり、他人から信頼を失い、迷惑を強制する事に繋がる。 
これは、犯罪の範疇ではないかもしれないけど、少なくとも、犯罪者と同じレベルの意識を持っていると言う事を、しっかりと認識して、自分の感情をどのように制御して、世間と調和したり、他人を思いやる気持ちに変える事ができるのか?
少なくとも、こうした人格を作る要素は、人生で何か決定的な屈辱を経験したり、ある意味では未来に対する絶望を経験したり、自分の感情を他者が理解で来ていないと言う意識など、幼少期や思春期にそうした挫折の経験を抑制できない心の病であるだろう。

私も若い頃には親に対する不快感や意識が全く違うこと憤怒したり、感情を抑制できない時も記憶している。
それでも、そうした意識の中でも、自分が絶対的な正義であると言うような、自己中心的な感情にはなれなかった。 
それは、世界には想像している以上の人間関係や、生活、経済的な貧困の中で生きている人が多々いる事を認知しているからだろう。
自分の人生の環境だけでは自分を思い描く人生が訪れる事はない。
少なくとも、人間は同じ意識や感情、感覚、経験、洞察力や知識、その他の多くの経験値が全く異なる。 
だからこそ、この世で生きる事は、とても難しく、他人との共有として、この世界を生きる必要が有るのである。
少なくとも、生きる事は、間違いなく、全く知らない人の力が必須で、自分もその中の1つの歯車で行かない。 という、認識が必要不可欠なのである。 
超有名人でも、この仕組みは変わらない。 どんなに著名な人や、大富豪でも、世の中の一つの歯車でしかない事は同じなのである。 
世界は全てが繋がっていて、単独で居られる歯車は存在していない。 
すべては、全ての人間は他人との接点を消し去ることは不可能で、それは死すること以外には出来ないのである。 
自己中心的な感情や認識は他人との歯車から離脱する行為である。 
これは、他人の人生を狂わせ、脅かす行為だ。  
私は自分の主張や個性を否定しているのではない。 少なくとも、最低限の他人との接点を自己の主張だけで、狂わることは人間としての責任を放棄した、この世に生きる事を否定する行為だと言うことだ。
これは、死を意味している。 
息子もこうした認識を理解し、これが当然の事のとして、人格形成の努力をして欲しいと願いたい。 
何時までも、親元でのんきに暮らしている人間は、社会的な経験から認識すべきだし、意識の根底から他人との関わり方をしっかりと意識する事が大切だ。 
出なければ、親だけではなく、世間から離れ、人が居ない地で1人で生活する事を選択すべきだろう。 

私も本当は、人里離れ、自由気楽に生活が出来るなら、そうした人生を望みたい。 経済的な安定が約束されているなら、誰とも合わないような場所で、静かに生活出来たら嬉しいとも思って居る。 

ほとんどの人はそうした生活を望んでも出来ないだろうし、望んでもいない人も多々いるだろう。

さて、今日は少し朝から気分が悪い。 
今日は風呂工事が始まっている。 











久し振りのランチ

2021年08月25日 | Weblog
 お盆休みにはこれまでは毎年姉達は我が家にある仏壇にお参りに着ていた。
ただ、去年、今年もお盆には訪れていない。 コロナ禍なので、なるべく外出も訪問も控えている。 
お寺での施餓鬼も去年も今年も私は参加していない。 会社の休みが合わないこともあるけど、お寺から告示では家族1人での参加の依頼が届いている。
お寺では数人の僧侶がお経を唱えて、かなりの飛沫が飛散する状況であるけど、もちろん、窓などは全開だし、扇風機などを数台も稼働させているので、飛沫が滞留するような事も無いだろうけど、それでも感染のリスクは確かにある。

今日は姉が1人で仏壇にお参りに訪れる。 その後は妻と私、姉の3人でランチをすることにしている。 どこでランチするかはまだ決めていないけど、ファミレス程度だろう。 大手のファミレスなどは感染対策も十分に出来ているし、大きな声で話さない限りは、マスク着用での会食なら大丈夫? だろうと・・・。
3人とも既に2回のワクチン接種も終えているし、長時間の食事でなければ問題なさそう。 さらに言えば、私の住む地域は所謂、田舎であるので、都心や大きな市町村に比較すると感染者も少ない。 
実際に、スーパーや大型量販店、ホームセンターやその他の飲食店の混雑状態は以前とあまり変わらない印象だ。
まだ、私の知る限りでは知り合いや友達などでコロナ感染した人は居ない。 
近隣の人からの感染者の情報も入っていない。 
こうした状態なので、やはり世間で連日コロナ感染状況が増加している状況を正直、あまり実感として感じることが少ない。 
しかし、だからと言って、感染リスクが無いわけでもないし、当然だけど、マスクの着用は必須だし、手洗いや、入店、出店などの際にはアルコール消毒をする事も忘れたこともない。
去年から外出は必要な日用品を購入する為と、時折息子の家に行く事、買い物の時に妻と外食することもたまにはあるけど、密集するような店や、リスクのある場所には行かない事も気にしている。 
今日もランチはするけど、出来る限り短時間で店を出ることにしている。 
今日も天気は良くない予報で、蒸し暑い日が続いている。 昨日も歯科医に行き、チーズやタバコを購入して早々に帰宅したけど、短時間でも外に入るだけでも、汗が流れるほどである。 
昨日は歯科医では先日義歯を入れたけど、結果的に食べる時には痛みがあり、使用できないので、調整と通常の定期健診を含めて治療をした。
義歯は調整後もやはり違和感を感じるので、しばらくは使用しない方が良さそうだ。 当初、義歯が歯茎の骨の部分に当たる場所が少し腫れ、傷も付いているので、余計に痛みがある。 しばらく外していたので、痛みは取れたけど、まだ少し炎症が消えていないので、塗り薬を処方された。
義歯に直接塗布して嵌めているけど、実際に食事の際には義歯を外して食べるようにしている。 もう少し炎症が収まるまでは義歯で食べたりしない方が良さそうだと思った。 
2週間後にもう一度診察に行くけど、おそらく何も変わることもなさそうである。 入歯の安定剤を使用することも考えているけど、毎回安定剤を塗布することも面倒だし、どの程度の効果が在るのかも分からない。 
もう少し様子を見ることにしよう。

さて、今日はそんなわけで、午前中にギターの練習をしようと思う。
昨日は歯科医、買い物などで午前中にギターを弾けなかったので、今日は午前中にしっかりと練習して、午後はランチなどで時間が取れない(帰宅してから2時間程度はギターは弾く)ので、午前中に2時間、午後に2時間、夜は1時間半。 
クラシックの練習曲もハイフレットを使用する曲が多くなってきて、指の移動スピードや押弦するフレット間も広くなり、難度が上がってきた。
特にハイフレットの場合には音符を読む力が必要で、ローフレットでは簡単に解る音符もハイフレットで即座に場所を判断するのは少し時間が必要だ。 
しかし、これはジャズギターにもかなり有効な練習になる。
ジャズではギターの全てのフレット上の音を理解できる事が必須で、メジャーは当然だけど、マイナーのフレットが多用されるジャズではマイナーの音を知ることは大切な要素である。
これまで、クラシックではあまりハイフレットの音域を使用することは少なかったけど、今後は練習曲でも多く登場するので、そうした事もあり、フレット全体の音を完全に覚える事も大切だと思う。
毎回、フレットの音を覚える練習にも時間を費やすことにしようと思う。 
さらには、ジャズで多用されるコードを覚える事。 ジャズのコードは意外と難しく、消音は指の先などで音を出さないように押える事が意外と難しい。 
開放弦の音を出さない押え方は指全体を常に使用する事になる。
さらには、音を必要とする音をしっかりと鳴らすことも大切なので、これはかなり難しい。 何度も練習する必要が有る。 まっ、少しづつ確実に覚えるよにしよう。 






ジャズギターの練習は?

2021年08月24日 | Weblog
 ジャズギターを本格的に始める事に決めて、それまでもいろんな教則本を購入しようと思い(実際に2冊購入した)、初心者でも解りやすい本を探している。 その中でも本当に初心者向けの教則本を1冊購入した。 ともかく、最初はジャズの雰囲気を知る所から始めることだろう。 ジャズに特化しているスケールやコード、リズムやアドリブで弾き熟す為の音楽的な理論など、勉強する事が沢山ある中でも、ともかく、挫折する事がない教則本を選択することは重要である。 ジャズに限らずだけど、ギターをある程度弾けるようになるまでには、それなりの練習量が必要だ。 譜面を読めるのは勿論だけど、いろんな記号の意味や音符は勿論だけど、どのフレットの音を弾くのか??
私はクラシックギターはある程度弾けるようになったし、今後もクラシックを主体としてギターを弾き続けることには変わりは無い。
ジャズだけとか、フラメンコだけとか、ポピュラーだけとか、ロックだけとかに専念することはしない。
これは私の性格を生かす意味ではとても大切で、元来、私は飽き性なので、同じ事を繰り返すことに苦痛を感じる性格だ。 これは、楽器を弾けるようになるにはとても残念な性格で、楽器でもスポーツでも同じだろうけど、何度も繰り返して練習する必要性は絶対的にあるのである。 
もちろん、何度も同じフレーズを練習することぐらいは出来る。 
それでも、数週間も同じ楽曲を繰り返して練習するには相当な忍耐が必要で、私にはそうした忍耐力はあまり持ち合わせていないのである。
そこで、他ジャンルの曲や練習を取り入れる事で、ギターを飽きずに続けることが出来るようになった。 時には適当に自分のオリジナル曲を弾いている時もある。 ギターの上達に必須なのは、楽しいと言う感覚。 これなくしてギターの上達はあり得ない。 
練習は繰り返して難しい運指や押えるフレット間が広ければやはり難しい。 さらには和音を右手でスムーズに弾くにはそれなりに練習する必要が有るし、ギターの全てのフレットの音をある程度知ることはとても重要だ。 
これはジャズに限らず、クラシックでも同じで、ハイフレットを使用した曲は少なくない。 同じ音でもフレットの違う場所にあること。 ギターはそうした意味ではかなり応用が利く楽器とも言える。 

ジャズは特にコード表記が覚えにくい。 いろんなコードネームがあるので、混乱しやすいのは確かだ。 しかし、肝心な事をしっかりと押えれば、それほど難しいわけでもなく、6弦、5弦のルートを覚えて、さらに3度、5度、7度などの音の組み合わせだと理解できると後はさらに、♭、♯の音を取り入れる、変化させると言うような考え方を身に付けれることが出来れば、それほど難しいわけでもない。 
ギターの場合には6弦があり、フレットは22フレットが一般的で、その各音を覚える事は重要だけど、それでも、ネックの全ての音を記憶することもそんなに難しい物でもない。 何しろ、ギターは同じ音がフレット上には沢山あり、まずは同じ音を覚えたら、その他の音も意外と覚え易い。
ギターのフレットは各半音で出来ているので、全音なら2フレット分移動するし、半音なら1フレット分の移動だ。
ただし、音階を理解して、1オクターブに半音は必ず2音入るのが通常のルースである。 これは♯や♭が付く音階(音階はC~Bまである)メジャースケールと言われる音階だけでも数個ある。
それでも、半音は2個と決まっていて、これ以外は敢えてオクターブを変化させる音階である。 ジャズなどは意外と多用されることもあるが、基本はクラシックと同じだ。
で、こうしたいろんなジャズなどの特有の音楽的な知識は必須だろう。
ただし、こうした所謂勉強は私は好きでもないし、あまりしたくない。
ギターは楽しく弾きたいし、出来れば自然に身に付けたい。
それでも、最低限の知識は必要だし、初心者でも無理の無い進捗ができるような教本があれば良いと思って居る。 
今は2冊をメインに練習しようと思って居るけど、まだ後数冊を買おうと思って居る。 教本は意外と高額だけど、レッスンを受けていない分、多くの教則本から自分が知りたい知識を得ることは独学者には必須の事だろう。 
さて、今日は午前中に歯科医に行き、午後からはしっかりとギターの練習ができるので、ジャズを2時間、クラシックを2時間。 これは最低の練習時間としよう。 夜も1時間半は練習して、5時間以上の練習を予定している。 


ギター練習

2021年08月20日 | Weblog
 今日は休み。 雨が降り止まない日が続いている。 九州、四国、中国地方は連日豪雨が続き、雨による災害も多発してる状態だ。 その他にも、岐阜、長野、愛知県の東部でも土砂災害、豪雨による浸水などもある。
今日もこの愛知県でも一日雨が降る予報だ。
甲子園では高校野球も開催されているが、連日の雨で中止、コールドゲーム、ノーゲームと連日試合はまともに出来ない状態だ。
先日は7回までの試合後にコールドゲームとなり、大阪桐蔭の勝利となったが、対戦相手の東海大菅生も3点差、1,2塁にランナーが居る状態で試合終了となったことは、納得できる物では無いだろう。
いくら規定で7回コールドが成立するとしても、野球というスポーツの展開からすると、逆転する可能性はかなり高い試合だった。
そもそも、この日もかなりの雨が降ることは事前に分かっていたことで、
なぜ、5回の時点でノーゲームにする判断をしなかったのか??
今年の甲子園は雨続きで、しかも豪雨クラスの強い雨が予報されている。
そうした中で昨日もノーゲームや中止、雨で試合が中断すると言う事が起きている。 当たり前だけど、もっと雨の予測をしっかりと把握して、試合をするのかを事前に判断する必要は当然だけど、大会関係者には責任がある。 
単純に雨が降ったら中断、さらにはコールド、またはノーゲームをすればいいだろうなんていい加減な考えは改めてもらいたい。
選手は少なくとも真剣に試合をしているし、出来る限り良い環境で試合をしたいと願っている。 グランドが雨で溢れて、ボールがまともに転がらないような状態で野球をまともに出来るはずは無い。
今ではプロの試合だって、事前に雨の予想がある場合には中止にするのは当たり前になっている。 ましてや、アマチュアである高校生達が悪天候で正常な試合展開を出来る訳が無い。
以前からずっと~~~思って居る事だけど、どうしてドーム球場で試合をしないのか??? 高校野球は日程が決まっているし、順延できる期間も限りがある。 ならば、雨などによる影響がないドーム球場で開催するべきだろう。
さらに、毎年最高気温が更新されるような灼熱状態で試合をする事も、相当な学生へのリスクがある。 仮に熱中症などで体調を崩して、場合によっては死亡する危険もあるだろう。 
そうした事を踏まえても、ドーム球場での開催に移行する事をしっかりと計画的に進めるべきだ。 
何も甲子園が聖地でもない。 大切なのは高校生がこれまでの努力を100%出して、悔いのない試合が出来る環境を整える事こそだ大会主催者の義務である。 甲子園の土なんて意味がない。 試合に負けたチームが袋にたっぷりと甲子園の土を持ち帰る姿が映し出されるけど、甲子園の土に何も意味は無い。
欲しければ、持ち帰り用に甲子園の缶詰でも作って、手渡した方が良いだろう。 さらに言えば、ドーム球場もその年毎に場所を変えて、全国を網羅できるような仕組みも大切だ。 甲子園に近い近隣県からの出場校には有利に働く仕組みも改善すべきことだろう。 
沖縄から北海道までの可能なドーム球場を毎年持ち回りで開催する方が、よほど公平性を担保できる。
今時、真夏の炎天下で激しい試合をする事を当たり前と考えているようなおバカな大人達はしっかりと意識を変える必要がある。
先日終了した東京オリンピックでも、テニスなどの試合を時間帯を変えて、夕方からに変更したり、そもそも、マラソンは以前から早朝からの開催時間に変更している。 さらには、野球はドーム球場である。 
ソフトボールなども試合の時間を変更して開催となった。 
そうした今は当たり前の事をなぜ高校野球は出来ていないのかが不思議でならない。 甲子園に拘るおバカ者だけが、まるで聖地のような意識を持っている何か新興宗教のような意識の人間の考えが怖いとさえ思う。

さて、今日はこれからギターの練習をしっかりとしようと決めている。
午前中にクラシック、午後はジャズ、それぞれ各3時間程度やりたい。
午前中は少し時間が足りないけど、まっ、午後からと、夜の時間を考えれば、各3時間程度の練習は可能だ。 
クラシックとジャズの両方を同時進行することは意外と上達する難しさはある。 でも、逆にモチベーションからするととても良い方法で、同じギターでも、ジャンルの違う練習をする事、違うギターを弾くことはそれ自体がとても新鮮だし、互いに良い効果もあるのである。
ジャズはまだ初歩の初歩で、なかなか先に進めていないけど、それでも、これから数年後にはそれなりに弾けるようになっているはずである。
クラシックは今後もさらに上達できるようにしたいし、今後もしっかりと継続する。 仕事を定年して辞めてからは、今より倍以上もギターを弾く時間が出来るので、それまでにある程度の容に出来ている事が目標である。
なので、先日はジャズの為にフルアコを購入した。 
少し先走った感はあるかもしれないけど、将来的にフルアコで弾くことを決めているので、ならば最初からフルアコで練習した方が良いだろう。 
ギターは丁寧に扱えば一生物である。 私が死ぬまで恐らく大切に扱って居る限りは破損するような事もないし、おそらく、特にメンテする必要もないぐらいだろう。 
さて、では練習、練習、練習である。

フルアコ到着しました

2021年08月16日 | Weblog
 昨日の午後2時半にフルアコ(Ibanez AF95BS)が到着。
時間指定予定通りに到着した。 段ボールにしっかりと梱包されていて、ソフトケースに入っている。 このIbanezのソフトケースは格安のエレキなどのケースとは格段に違い、このケースでも十分に外出時でも使用できるレベルの物である。 格安のギターと言うには少し違うけど(メーカー定価で105000円)なので、まっ、中間的な価格だろうか?? もちろん、私はもう少しハードなケース(最低でも形が崩れないケースが欲しい)を求めているので、やはり、ケースはポイントで購入刷ることにしようと決めている。 
で、以前CórdobaGKstudioLimitedを購入した際に付属しているケースの方がもう少ししっかりとした作りなので、こちらのケースを使用してみようと思って、
AF95を入れて見る事に・・・。 で、入らない。 幅も長さもケースの方が5Cm程度狭いのである。 クラシックギターよりも、ボディー幅、長さも長いとは思わなかったので、少し驚いた。 
フルアコはイメージとして、アコギやクラギよりも全体的に小さいだろうと勝手に思って居たので、これは少し認識が違った。 
で、早々に段ボールから取り出して、全体を確認、傷などは勿論無い。
各パーツ類も問題なし。 ブリッジは調整後マスキングテープで固定されている。 マスキングを取り、チューニングした、早々に弾き始めてみた。
不安だったブリッジは、完璧にぴったりと張り付いている状態で、まったく動くような不安はない。 
弦高もかなり低くセッティングされているので、これはかなり弾き易いと実感した。 ネックの幅はソリッドのSG(現在所有しているエレキ)よりも若干広いかな? ネックの厚みも若干厚い感じだろうか。
しかし、これぐらいが丁度程よい感覚である。
細すぎず、厚すぎず、とても弾き易い設定だろうと実感する。
肝心の音に関しても、これがジャズという雰囲気を裏切らないメローな音である。 弦は標準で付いている弦よりも若干細く、テンションも低い弦に交換済みなので、実際には少し音自体は煌びやかな感じになっているのかもしれないけど、これぐらいなら文句を言うレベルではない。
もう少し弾き込んで、慣れて来たら次回はもう少し太い弦の選択も考えている。 ただし、弦のテンションが上がるのは私は望んでいないので、ギターにも、指にも優しい弦の選択をする事になる。
これは押弦が楽になることで、弾き易さは各段に良くなる事を経験している。 
クラギなどではハードテンションの弦が推奨される傾向にあるけど、
これが意外と押弦が難しい原因になっていて、セーハなどの押弦がかなり難しい事になる。 
セーハはどうしても親指と人差し指の力は必要で、単音を押えるだけなら、腕の力(自重)で押える事も可能だけど、セーハは腕の力(自重)とか言う問題ではなく、完全に指で挟む力が必要になる。 これは、セーハする人差し指の他に、他の弦を押えるために全ての指を使用することが必要になるので、当然だけど、腕の力(自重)では押える事は不可能だからだ。腕の力(自重)というのは、指で弦を押える意識ではなく、出来る限り指先から力を抜いて、腕の重さで押えると言う意識である。
こうすることで、指への負担が軽減されると言うメリットがある。
弦を押弦する際も、限りなく最低限の力で音がしっかりと鳴る程度の力で十分だと言う感覚。 これはしかし、意外と難しい。 
どうしても、複数の音を同時に押える場合には、自然な指の形を作ることは相当な経験が必要になるし、正しい形で押弦する事が重要である。
これがなかなか難しい。 特に離れているフレットを押える場合は、どうしても指はかなり無理をして押える事になるので、押える力以上に指を開く力が必要になり、そのために押えるときの力加減を制御するのは早々に練習が必要だろう。
さて、今日は午前中は家事でギターの練習はあまり出来ない。 洗濯物だけでも、4回分もあり、それをコインランドリーで乾燥させるために出かける。
さらには、帰宅してからも、洗濯物を畳んで片付ける。 
それから、仕事の準備をして、制服も全数交換なので、その交換もする。 
まっ、これぐらいは大したこともないけど。
今日も雨が降り続けていて、予報では午前中は雨は止む予報だったけど、雨は止まずに降り続けている。 
午後からはさらに雨脚が強くなり、本降りになる予報だ。
明日からも雨の心配がある天気予報で、しばらくは洗濯物を外に干せるような日ではない。 
コインランドリーは梅雨時は繁忙期なんだけど、この1週間はかなり混雑している。 今朝は早くから行って、大型の乾燥機は空きがあったので、丁度良かった。 標準サイズの乾燥機は意外と乾燥するスピードが遅く、10分で100円で、大型に比較すると100円で2分程度長く稼働する。
でも、私は何時も大型のコインランドリーを使用する。 例えば、同じ300円で、標準は30分。 大型は24分なんだけど、乾燥度合いは大型のランドリーの方が乾燥しているのである。
これは、乾燥する容量が大きい方が短時間で乾燥すること。 さらには、おそらく、乾燥能力が高いので、大型のランドリーの方が時間は短いけど、乾燥する能力が高い分だけ、短時間で乾燥するのだろう。
ほとんどの人は標準を選択するが、時間が長いだけで、実際には乾燥能力は同じであることをあまり知らないのではないか。
私はこれまでも同じ洗濯物の量を標準と大型で同じ300円で乾燥した結果、やはり大型のランドリーの方が乾燥度は高い事を経験している。 
なので、空きも大型の方が多く空いている事もあり、私は大型ランドリーを常に使用している。 
さて、今日は午後からギターの練習をしっかりすることにしている。 トレーニングも今日はしっかりと熟したい。 
午後12時半から2時間はクラシック、その後1時間半はジャズ。
夕方4時半からトレーニングを30分。 その後は風呂に入って、夕食を済ませてから、ジャズを1時間程度練習する予定である。 
本来なら、クラシックに専念した方がギターの上達は早いのかも??知れない。 でも、例えば、今後3年間をクラシックだけに専念して、その後にジャズを始めると、私の年齢からすると、ジャズが最低3年後に何とか弾けるようになるとして、70歳を超えてしまう。
その時の年齢的の問題などを考慮すると、やはり今が最低限の年齢だろう。クラシックとジャズ、フラメンコを同時進行することはかなり難しいし、なかなか思っている進捗にはならないのだろう。しかし、少なくとも、1年毎にギターを弾くための能力が低下することも確かで、記憶力はもちろん、身体が覚える能力も各段に差がでる。
なので、今が最低限(もうすでにピークは過ぎているし、かなりの努力を要することは理解できる)の時間的なリミットだ。
クラシックだけで十分にギターを弾くことが満足できるなら、それに越したこともないだろう。 しかし、私はクラシックが本当に弾きたい曲ではない。
ギターで弾きたいのは本当はソロギターで、海外の多くの著名なギタリスト達のように、弾きたいと思っている。
なので、ジャズもそうだけど、アドリブで好きに弾いたり、自分のオリジナル曲を制作したいとも思って居るので、どうしてもジャズを勉強して、ある程度の音楽理論を覚えながら、ギター演奏を楽しみたいと思って居る。
クラシックを選択したのは、当然だけど、やはりギターの基礎をしっかりと身に着けるにはクラシックギターが最高の基礎力を養うには最善だと思うからである。 さらに、クラシックギターはギターの中でもネックの幅も最大だろうし、少なくとも、フレット間も最大だろうし、これは標準でもある。
そうした規格のギターを弾き熟すことが、フルアコやフラメンコ、ソリッドエレキを弾くためにはとてもメリットが多い。 
昨日は30分程度だけど、フルアコを弾いて、想像以上に弾き易く、音色も想像を裏切らない音色だった。 正直、実際に手にするまでは不安な気持ちが強かったけど、そうした不安は昨日で完全に払しょくされている。 
ギター自体の重さは思っている以上に思いと感じたけど、これぐらいの重さの方が安定感があるので、逆にとても弾き易く感じる。
軽すぎるギターは安定感が足りずに、弾いている時にギターが動いたり、ヘッドが下がってくるのだけど、このフルアコはそうした事もなく、ギターストラップを購入する予定だけど、ストラップも必要ない程である。
私はクラギと同じように足台を使用して、クラギと同じ姿勢でフルアコも弾くことに決めているので、昨日はその安定感を感じ、ストラップは要らないだろうとも思った。
まっ、2週間後にはケースを注文するので、その時に同時購入するストラップも決めているけど、価格的にも1000円しない物なので、実際に使用して本当に必要ないと思ってもまっ、そんなに損した気分にならないだろう。
さらに、ストラップを使用すれば、さらに安定感を得ることも出来るだろうし、スタンドアップの姿勢でも弾くことも可能なので、もっと経験を積んだら、立ち姿でも弾けるようにしようと思う。
将来的には誰かとセッション出来る日が来るだろうと思うし、その時には立ち姿での演奏が必要になるだろう。
クラシックもデュオの演奏もあるけど、フラメンコやジャズに比較するとそんなに多くもない。 その点はジャズはセッションすることがほとんどだと言っても良いだろう。
これから3年後にはセッションも出来るほどのレベルを目指している。 
これまでもギターはとても楽しいと思っているけど、今後はさらにその楽しさは倍増するだろう。



雨続きの夏

2021年08月14日 | Weblog
 真夏のこの季節に梅雨時のような雨が続き、九州、四国、中国地方では豪雨災害も多発している。 毎年の事になってしまった豪雨、崖崩れ、河川の氾濫などが、かつて経験したことのない場所や、過去の事例を遥かに来れる災害となっている。 コロナ感染が過去最高を更新し続けている状況で、さらに、自然災害に見舞われることは、耐える事が難しい程だろう。
まだ、数日間は雨が続きそうな気配なので、私の住む町はそうした災害が起きる可能性は低いけど、それでも、警戒することは当然である。
さて、雨続きの嫌な天候が続いているけど、気分は悪くない。

明日の午後にはフルアコが到着する。 実際に手にすることも初めてだけど、試奏したこともないギターだ。
それでも、以前も同様にネット購入したギターの3本はとても気に入っている。 
今後も手放す気持ちはない。 
すべて、ネットで見て決めた。 でも、今回もそうだけど、少し迷ったことは確かだが、それでも、手元に置きたいギターであることは間違いない。
明日が楽しみである。
自分の感性を信じたい。 今回で恐らくギターの購入は数年間は無いだろうし、2度と無いかもしれないし、そう思って居る。 
これ以上ギターの本数を所有しても、弾く時間を考えると、全てを十分に弾き熟すには無理が有るかもしれない。 それでも、今後はクラシックをメインとして、ジャズも本格的に弾けよう様に努力しようと思う。 
それ以外にもポピュラー曲もソロで弾く曲を練習している。
これから、ギターを弾くことがもっと楽しい時間になることは間違いない。