しっとう?岩田亜矢那

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引き続きポスティングぅ  真田山・大阪陸軍墓地

2015年01月03日 18時37分19秒 | 近くに行きたい
三光神社の裏には特徴的な墓石が規則正しくずらりと並ぶ。
全体ではこの7~8倍はあるんとちゃうかな~



今でも陸軍省の石柱が残るように、終戦までは陸軍省の管轄で関係の無いものは入れなかったそうな。

遺骨は約4万3000余柱、墓標は4800柱と清国とドイツ戦病没者10柱が建立されている。

引き続きポスティングぅ  三光神社 真田の抜穴

2015年01月03日 16時08分36秒 | 近くに行きたい
すっかり松も明けて、もうすぐバレンタインデー
って事で本日も引き続きポスティングぅ、昨日みたいには極寒でなくて助かった。

三光神社に立ち寄った。
こちらは真田幸村の抜け穴で有名!



この穴は大阪城まで続いていて、
橋下徹将軍さまがマスコミをまく為に時折使ってるとか、使ってないとか。
(ほんとは直ぐ先で行き止まりとなってるけど)



あと、こちらは七福神の寿老人(寿老神)を祀ってるのが珍しい。

平成27年(2015年)鏡開きはいつ?

2015年01月03日 10時51分43秒 | 歳時記
ニュースなんかでは
「今日11日は鏡開きの日」
なんて報道される事が多いし、
場合によっては鏡餅の箱にも
「1月11日にお食べ下さい」
と書いてあったりする。

まあ、現在では殆どの場合
大きなお餅を割る(開く)
のではなく、裏のパッケージをめくって
中の小さいお餅を出すだけの
「セロファンめくり」でしかないのだが
ここは折角、縁起物として鏡餅を飾ったのだから
最後もちゃんとしたい物である。

まず、大前提となるのが
「貴方のお住みの地域の『松の内』はいつまでですか?」
という事である。

『松の内』とは
新年に際し歳神様を迎えるために道しるべとして門ごとに門松が置かれるが
この松飾りのある期間のことを「松の内」と言う。
神様が鎮座するための場所は鏡餅である。
つまり、松の内は歳神様が家に居たはる期間である。

その『松の内』期間とは
1月15日の小正月までである。
それが江戸時代に関東ローカルで勝手に
1月7日までに変更してしまったのである。
その理由が
「徳川三代将軍家光が1月20日に亡くなったので
 鏡開きを1月11日に変えた。、
 松の内が終わる前の11日に鏡開きするのも不自然なので
 松の内も7日に変えた」
んだとか。

つまり歳神様は、15日までお家にいたはんのに
松飾りを撤去して、鏡餅を割ってしまう、
中に歳神様がいたはる鏡餅を11日に割るという暴挙を
家光如きの命日どうのこうのという理由で
江戸の住民が行い出したのである。
そら、徳川幕府も倒れるわ!
武家社会も無くなるわ!

だから、関東ローカルの方は
1月11日に鏡開きをすれば宜しい。
但し、そこにはまだ歳神様が鎮座されている、
という事を、心して開くように。

さて、古来よりの伝統を重んじる
我々関西人は、松の内が明けた
15日、若しくは20日
が「鏡開き」の日である。

但し、お正月飾りを神社で燃やす
「どんど焼き」は15日なので
若し20日に鏡開きをすると、
そのお飾りを燃やせないという、
昨年も述べた「鏡開きのパラドックス」が発生する。

よって、きっどさん家では
「鏡開きは1月15日」
を採用している。
さて皆さんのお家は??

《追記》
関西でも京都では鏡開きは1月4日である。
これは花街では、12月13日の
「事始め」から鏡餅を飾る関係かな~?
と推察される。
現在の様に真空パックが無い頃なら
1ヶ月以上飾っておいたら、
カビが生えたり、ひび割れは必至だからね。
まあ、京都では歳神様は
「早よ来て、早よ帰らはる」
て事である。

意味がわかると怖い話1691 「行商人の荷物」

2015年01月03日 00時29分26秒 | 意味がわかると怖いコピペ
行商人の荷物に紛れての密入国計画は早くも暗礁に乗り上げた。
「関所の人間とは知り合いで、顔を見ればすぐ通してもらえる」
などと商人は言っていたが、どうやら担当者が替わったらしく馬車のすぐ隣で揉めている。
「悪いが俺がお前を通すのは今回が初めてだ。確認させてもらう」
「いえ、無闇に麻袋を開けたり叩いたりしますと品物がダメになってしまいます」
「ならば品名を述べよ。以前から申請されている品物と、今回の積荷に相違がなければ通してやる」
商人が従うべきか悩んでいる様子が麻袋の中からもうかがえた。
一体何を融通の利かないことをしているのだ。
荷台には他にも荷物があるのだから、いくらでも誤魔化せるだろうに。
身動きも取れない袋の中、暑さと息苦しさも合わさって次第にいらだってきた。
しばらくして、ようやく商人が一つ目の品名を言うが早いか、
自分は全身をバネにしてその上に乗っていた荷物を力の限り撥ね付けた。