王座戦五番勝負第一局。
振駒で羽生善治名人の先手。後手の木村一基八段は先手から角交換させるという変わった手段。一手損角換り3の類型と考えていいと思います。相腰掛銀に進展。途中で後手が三手損という進行になり,先手が飛車を切って猛攻,後手がその飛車を打ち下ろして反撃に転じたのが第1図で夕食休憩の局面。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/2f/c8/3582a56a8f64ee247f0d058193051f54.png)
僕は検討していてなかなか先手をよくすることができませんでした。実戦は▲2二と△2四銀の交換を入れてから▲4九金。後手は△4五歩と桂を外し,▲2三とに△6九角と打ちました。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/79/94/fa16ed74dd70572395b3048d4ce94f4d.png)
▲6八銀はこの一手。そこで△6二金だと▲3四角成△7二金(飛)▲5九金で大変との解説。そこで△6二金▲3四角成△7八角成▲同玉△7二金はどうだろうとほのぼの検討していたら,いきなり△7八角成で,▲同玉△8八金▲6七玉と進みました。ここで△6五歩が厳しい追撃ですが,▲4四角。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/55/e3/22c58c934a4d5fc7345618856dd89300.png)
この角打ちがいい手で,後手の攻めは切れました。第3図はすでに先手勝勢といえる局面でしょう。実戦ももう少し進みましたが,先手が勝っています。結局,△6五歩と突くところで別の手があればということになるのですが,そもそも第2図で△6九角と打ったのが問題だったということになるのではないでしょうか。
羽生善治王座が先勝。第二局は17日に指されます。
この反論に対しては,スピノザの立場から,今度は次のように反論することが可能であるように思えます。すなわち,たとえ弱い意味の立場であったとしても,もしも人間の精神が自分の身体に対してある決定を下すならば,そのときには必ず人間の身体はその命令された通りの運動ないしは静止をなさなければならないということを主張する必要があるのですが,人間の身体には,このような命令が不可能であるような現象が生じるというものです。
単純にいいますと,たとえば瞬きなどというのは人間の身体のある運動であることは間違いありません。そこで人間の精神が,こうした運動というものをしないように自分の身体,あるいはもっと限定的にいうならば自分のまぶたに命令を下すとしましょう。そうすると確かにある一定の時間は人間は瞬きをしないでいるかもしれませんが,最終的にはこの命令に反して瞬きという運動をするでしょう。そこでそのときに,まだ人間の精神が自分のまぶたに対して,瞬きをしないように命令を下していたとするなら,このときには人間の身体は,自らの精神の命令に反して運動をしたということになります。いい換えればこれは,人間の身体は,実は自分の精神による指令によって運動ないしは静止に決定されているのではなく,むしろ身体そのものの原因と結果の連結と秩序によって運動し,また静止しているということの,ひとつの経験的証明であるといえるでしょう。そしてこのようなことは,とくに瞬きに限定せずとも,ほかの運動の場合にも多くあるということは,いうまでもないのではないかと思います。
振駒で羽生善治名人の先手。後手の木村一基八段は先手から角交換させるという変わった手段。一手損角換り3の類型と考えていいと思います。相腰掛銀に進展。途中で後手が三手損という進行になり,先手が飛車を切って猛攻,後手がその飛車を打ち下ろして反撃に転じたのが第1図で夕食休憩の局面。
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僕は検討していてなかなか先手をよくすることができませんでした。実戦は▲2二と△2四銀の交換を入れてから▲4九金。後手は△4五歩と桂を外し,▲2三とに△6九角と打ちました。
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▲6八銀はこの一手。そこで△6二金だと▲3四角成△7二金(飛)▲5九金で大変との解説。そこで△6二金▲3四角成△7八角成▲同玉△7二金はどうだろうとほのぼの検討していたら,いきなり△7八角成で,▲同玉△8八金▲6七玉と進みました。ここで△6五歩が厳しい追撃ですが,▲4四角。
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この角打ちがいい手で,後手の攻めは切れました。第3図はすでに先手勝勢といえる局面でしょう。実戦ももう少し進みましたが,先手が勝っています。結局,△6五歩と突くところで別の手があればということになるのですが,そもそも第2図で△6九角と打ったのが問題だったということになるのではないでしょうか。
羽生善治王座が先勝。第二局は17日に指されます。
この反論に対しては,スピノザの立場から,今度は次のように反論することが可能であるように思えます。すなわち,たとえ弱い意味の立場であったとしても,もしも人間の精神が自分の身体に対してある決定を下すならば,そのときには必ず人間の身体はその命令された通りの運動ないしは静止をなさなければならないということを主張する必要があるのですが,人間の身体には,このような命令が不可能であるような現象が生じるというものです。
単純にいいますと,たとえば瞬きなどというのは人間の身体のある運動であることは間違いありません。そこで人間の精神が,こうした運動というものをしないように自分の身体,あるいはもっと限定的にいうならば自分のまぶたに命令を下すとしましょう。そうすると確かにある一定の時間は人間は瞬きをしないでいるかもしれませんが,最終的にはこの命令に反して瞬きという運動をするでしょう。そこでそのときに,まだ人間の精神が自分のまぶたに対して,瞬きをしないように命令を下していたとするなら,このときには人間の身体は,自らの精神の命令に反して運動をしたということになります。いい換えればこれは,人間の身体は,実は自分の精神による指令によって運動ないしは静止に決定されているのではなく,むしろ身体そのものの原因と結果の連結と秩序によって運動し,また静止しているということの,ひとつの経験的証明であるといえるでしょう。そしてこのようなことは,とくに瞬きに限定せずとも,ほかの運動の場合にも多くあるということは,いうまでもないのではないかと思います。
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