スピノザの『エチカ』と趣味のブログ

スピノザの『エチカ』について僕が考えていることと,趣味である将棋・競馬・競輪などについて綴るブログです。

岡田美術館杯女流名人戦&批判の条件

2017-02-06 19:16:03 | 将棋
 湯原温泉で指された昨日の第43期女流名人戦五番勝負第四局。
 里見香奈女流名人の先手で角道オープン三間飛車上田初美女流三段が早々に1筋の位を取ったのをみて角道を止め石田流に。後手は銀冠に構えました。先手から仕掛けて飛車角交換の変化に進む将棋でした。
                                     
 先手が飛車を打ち込んだ局面。ここで後手は☖4六銀☗同歩☖9九角成と進め,もし☗4一銀から攻められたら受けに回るのがよかったのではないかと思います。駒得が大きいので受けきれば自然と後手の勝ちになったでしょう。
 実戦は☖1三玉と早逃げしたのですが,これが早逃げにはなっていませんでした。すぐに☗1六歩と突かれ☖2五歩☗1五歩☖2六歩で玉頭戦のようになったものの自ら開けた空間に☗2五銀と打たれてしまいました。
                                     
 これが☖3六桂と打たれる手を防ぎつつ後手玉の上部脱出を防ぐ攻防の好手。玉頭戦は手厚く指せた方が自然と有利になるので,第2図は先手の勝勢に近いのかもしれません。
 里見名人が勝って2勝2敗。第五局は22日です。

 スピノザが生きていたのは17世紀のオランダです。オランダに限定する必要はなく,この時代のヨーロッパ諸国に生きていた人間にとって,女が男と同等の権利jusをもって政治に参加すべきであると主張することの方が,よほど困難であったろうことは簡単に想像できます。むしろスピノザが『国家論Tractatus Politicus』で展開したように,女は政治に参加すべきではないと主張する方が容易であったでしょう。つまり現代の民主主義国家における言論状況と真逆であったと思われます。
 だからスピノザの政治論が許容されるというわけではありません。いい換えればジャレットの批判はきわめて真っ当なものです。ただ,もしスピノザが現代の民主主義国家で生きていたとしても,同じような政治論を展開したであろうとはいえません。むしろ,女も男と同等の政治に参加する権利を有すると主張したのではないかと類推します。もちろんこんなのは僕の類推にすぎませんし,仮定自体が非現実的ですから,そうした想像自体に何か意味があるとは僕も思っていません。ただ,そうした状況の相違を無視して,20世紀あるいは21世紀の民主主義国家に生きる人間が,17世紀の思想家の政治論を批判するだけでは,批判としては十分ではないのではないかという疑問が僕にはあるのです。たとえばスピノザと同じ時代に生きていた政治学者が,困難を乗り越えて女も男と同等の権利を有して政治に参加するべきであるという見解を表明していたとして,そうした見解と比較することによってスピノザを批判するのが,政治論という枠組の中では正当な批判になり得るのではないでしょうか。
 ただし,これはあくまでも政治論という枠組のなかにおいて妥当することです。すでに述べたように,スピノザが展開したこの種の政治論というのは,明らかにスピノザの哲学思想と相反するものなのです。したがってその間に齟齬があるということについては,スピノザに対する批判として時代状況と無関係に正当であろうと僕は思います。同時にそこに齟齬があるがゆえに,スピノザが現代に生きていたら,『国家論』で示した政治論とは真逆のことを主張したであろうと僕は想像しているのです。
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