スピノザの『エチカ』と趣味のブログ

スピノザの『エチカ』について僕が考えていることと,趣味である将棋・競馬・競輪などについて綴るブログです。

ラッシャー・木村&検証の前提

2013-06-14 18:30:51 | NOAH
 鶴見五郎は全日本プロレスでの後期は国際血盟軍の一員として仕事をこなしました。その国際血盟軍のリーダーだったのがラッシャー・木村です。
 国際血盟軍の総帥ですから,当然ながらかつての国際プロレスに所属していました。当時は金網デスマッチを数多くこなしたことから,金網の鬼と呼ばれていました。ただ,金網デスマッチという試合形式は,おそらく興行的に苦しかった国際プロレスが,集客のために企画したものであり,たぶん木村にとって自身が望んでいたようなスタイルではなかったのではないかと思います。
 何度かいっていますように,僕のプロレスキャリアのスタートは,国際プロレスが倒産した後です。ですから僕は国際プロレス時代の木村については何も知りませんし,木村の金網デスマッチを見たこともありません。
 国際プロレス倒産後,木村はアニマル・浜口,寺西勇と共に新日本プロレスを主戦場に選択。ここでアントニオ・猪木に敵対する大ヒールという役回りで仕事をしました。これがちょうど僕のプロレスキャリアのスタート期に重なっていまして,猪木と木村の初対決はテレビで視ています。
 その後,猪木とハンデキャップマッチをやらされるなど,考えてみれば屈辱的な扱いも受け,さらに浜口が後のジャパンプロレスの前身となる維新軍へと移籍するなどして,影は薄くなるばかり。同じように猪木に敵対するヒールとして,パートナーに恵まれていなかった新日本のブッチャーとも組んだりしていましたが,結局のところ大きな足跡といえるようなものは何も残せず,最後は追われるようにして新日本プロレスを去りました。
 その後,一時的にUWFのリングにも上がっていたのですが,佐山が主導するようなスタイルと木村が合うわけもなく,すぐにそこでの仕事も終えています。
 全日本で仕事をするようになったのはその後。おそらく国際プロレス倒産から全日本プロレス参戦までの期間というのは,木村にとってプロレス人生で最低の時代であったのではないかと思います。

 ここまでのすべての条件を勘案した上で,現状の考察自体の課題となっている,絶対的な仕方と,一定の仕方というのが,対義語的関係に該当するのかどうかを確かめてみることにします。
 現在の考察では,ふたつの観点が俎上に上っているといえます。すなわちそれは,神あるいは神の属性attributaが変状するというときに,絶対的な仕方で変状するといわれる場合と一定の仕方で変状するといわれる場合であり,もうひとつは,様態が様態化している神の属性を表現する場合に,絶対的な仕方で表現するといわれる場合と一定の仕方で表現するといわれる場合です。しかし,僕の考えでは,これら両方の観点に関してこれを検討する必要はありません。なぜならば,確かに神がある様態に変状するということと,様態が神の属性を表現するということは,事象として考えるならば完全に違ったことといわれなければならないでしょうが,それらふたつの事象が,同じように絶対的な仕方あるいは一定の仕方と形容され得るのであれば,その形容している絶対的な仕方と一定の仕方との間にある関係は,どちらの場合にも同様であると考えなければならないであろうからです。むしろそれが異なった意味を有して各々の観点を形容するのであれば,異なった形容の仕方をするべきです。しかしスピノザは現に同一の形容をしたのですから,そこに託されている意味は同一であると理解するべきだと思います。よってどちらか一方の観点を検討することにより,確かに絶対的な仕方と一定の仕方というのが対義語的関係に該当するという結論を得ることができたならば,もう一方の観点についてはそれ以上の検討は不要であると僕は判断します。
 この条件から考えるならば,おそらく,神が様態に変状するといわれている場合の方を検証する方が簡単であると思います。というか,第一部定理二五系というのは,個物res particularisが神の属性を一定の仕方で表現するといっているのですが,何かそれとは別のものが,神の属性を絶対的な仕方で表現するといういい方は,『エチカ』では用いられていません。よって,様態の表現の方の観点からはこれについて検討することはほぼ不可能といってよい状況なのです。
コメント
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