上位拮抗という形容がぴったりで,馬券的には難解なレースとなった東京スプリント。
逃げ候補は2頭と考えていましたが,ポートジェネラルの発馬が悪かったため,ジーエスライカーがさほどの苦労もなくハナを奪いました。コアレスピューマが2番手につけ,ナイキマドリード,セレスハント,ティアップワイルドといったところが追走。ヤサカファインは中団の内目から。前半の600mは34秒1のハイペース。
前に行った馬たちがほとんどばてず,直線はこれらと追ってきた馬たちが横に並んで激しいせめぎ合いに。これを制したのは内から捌いたセレスハント。外を回ったティアップワイルドが2着で,コアレスピューマが大健闘の3着。
優勝したセレスハントは昨夏のサマーチャンピオン以来の重賞2勝目。相手関係は今日の方が上だったと思いますので価値ある勝利。ただ,もう1度走ればまた結果も変わると思えるメンバー構成で,今日は枠順などでも恵まれていた面があったことは確かだと思います。
騎乗したのは福永祐一騎手で管理しているのは松永幹夫調教師。揃って東京スプリント初制覇です。
第一部定義六の立場が,少なくともその時点においては名目的なものであるとすれば,この定義が意味しているところは,そうしたものが実在するのかどうかは不明ではあるけれども,実体のうち,無限に多くの属性によってその本性を構成されているものがあるとするならば,それをとくに神という,というほどの意味となります。そしてこの場合には,今回のテーマとして設定した第一部定義四についても,これを名目的に理解するべきではないかと僕は思います。
確かに第一部定義六がその時点では名目的定義であったとしても,第一部定理一一でその実在が証明されることにより,そこで実在的意味が付与されます。そこで第一部定義四の方からこのことに着目するならば,そこでいわれている実体というのは,そのように実在すると証明されている神のことであって,だから第一部定義四は名目的定義ではなく,実在的定義であると主張することは可能なことだと思えます。しかし,第一部定義六で属性といわれているものは第一部定義四で定義されている属性でなければならないというのもまた一面の事実ではないかと思われます。そこでもしもその属性というものが実在的に定義されているのであるとするなら,第一部定義六もまた実在的な意味を含んでいなければならないだろうと思うのです。よって第一部定義六が名目的な定義として理解されなければならないのであれば,第一部定義四もまた名目的に理解されなければならないであろうというのが,僕のひとつの結論になります。
このことから,第一部定義四をもしも実在的な定義として理解するためには,第一部定義六が名目的に理解されてはならない,つまり第一部定義六に実在的意味があるのでなければならないということがその条件になっていることが分かります。というのも,第一部定義四が実在的定義であるためには,何らかの実体が実在的でなければならないのですが,『エチカ』においては,第一部定理一四において,実在する実体は神だけであるということが証明されています。つまり第一部定義四がある実在的な意味を保持するためには,そこで定義されている属性というものが,神の属性である,しかも実在的な意味において神の属性であるという意味を保持しなければならないのです。
逃げ候補は2頭と考えていましたが,ポートジェネラルの発馬が悪かったため,ジーエスライカーがさほどの苦労もなくハナを奪いました。コアレスピューマが2番手につけ,ナイキマドリード,セレスハント,ティアップワイルドといったところが追走。ヤサカファインは中団の内目から。前半の600mは34秒1のハイペース。
前に行った馬たちがほとんどばてず,直線はこれらと追ってきた馬たちが横に並んで激しいせめぎ合いに。これを制したのは内から捌いたセレスハント。外を回ったティアップワイルドが2着で,コアレスピューマが大健闘の3着。
優勝したセレスハントは昨夏のサマーチャンピオン以来の重賞2勝目。相手関係は今日の方が上だったと思いますので価値ある勝利。ただ,もう1度走ればまた結果も変わると思えるメンバー構成で,今日は枠順などでも恵まれていた面があったことは確かだと思います。
騎乗したのは福永祐一騎手で管理しているのは松永幹夫調教師。揃って東京スプリント初制覇です。
第一部定義六の立場が,少なくともその時点においては名目的なものであるとすれば,この定義が意味しているところは,そうしたものが実在するのかどうかは不明ではあるけれども,実体のうち,無限に多くの属性によってその本性を構成されているものがあるとするならば,それをとくに神という,というほどの意味となります。そしてこの場合には,今回のテーマとして設定した第一部定義四についても,これを名目的に理解するべきではないかと僕は思います。
確かに第一部定義六がその時点では名目的定義であったとしても,第一部定理一一でその実在が証明されることにより,そこで実在的意味が付与されます。そこで第一部定義四の方からこのことに着目するならば,そこでいわれている実体というのは,そのように実在すると証明されている神のことであって,だから第一部定義四は名目的定義ではなく,実在的定義であると主張することは可能なことだと思えます。しかし,第一部定義六で属性といわれているものは第一部定義四で定義されている属性でなければならないというのもまた一面の事実ではないかと思われます。そこでもしもその属性というものが実在的に定義されているのであるとするなら,第一部定義六もまた実在的な意味を含んでいなければならないだろうと思うのです。よって第一部定義六が名目的な定義として理解されなければならないのであれば,第一部定義四もまた名目的に理解されなければならないであろうというのが,僕のひとつの結論になります。
このことから,第一部定義四をもしも実在的な定義として理解するためには,第一部定義六が名目的に理解されてはならない,つまり第一部定義六に実在的意味があるのでなければならないということがその条件になっていることが分かります。というのも,第一部定義四が実在的定義であるためには,何らかの実体が実在的でなければならないのですが,『エチカ』においては,第一部定理一四において,実在する実体は神だけであるということが証明されています。つまり第一部定義四がある実在的な意味を保持するためには,そこで定義されている属性というものが,神の属性である,しかも実在的な意味において神の属性であるという意味を保持しなければならないのです。