(つづき)
ただ、「KBCラジオという呼び方は今後使いません」と言いながら、夜中にKBCラジオの昔のジングルやピンキーのアナウンスが流れてきたり、「24時間のスロープ編成」と言いながら「オールナイトニッポン」や日曜朝夜などの箱もの録音番組も引き続き放送されていた。
当初は「○○ SLOPE」という無機質な番組タイトルだったが(夜と土曜を除く)、いつの間にか「○○ SLOPE」のあとに「奥田智子のマシュマロスタジオ」や「沢田幸二のイケイケドンドン」などのサブタイトルが付くようになり、他局の編成との違いもなくなり、迷走しているのがよくわかった。
また、「INPAX」を暗に批判するような発言を番組内で耳にすることもあった。
社史にはどれくらい不評だったかは書いてないが(当たり前か…)、一説によると「INPAX」になってからもともと低かった聴取率が半分になったという話もある。
現在のKBCラジオの出演者たちも、「INPAX」を過去の「汚点」と思っているのか、KBCにとっての大事業であったにもかかわらず、あまり触れようとしていない気がする。
RKBにとっては、ライバルが勝手に自滅してくれて、かつ、「こういうことをやってはいけない」というお手本をごく間近でみることができたわけで、思いがけない「貯金」を手にしたことになる。
ただ、それは努力して得たものではないだけに、最近はその「貯金」が底をつきつつあるように思える。
「仲谷一志アワー サプリメントスタジオ」の失敗などは、その好例と言えよう。
(つづく)
ただ、「KBCラジオという呼び方は今後使いません」と言いながら、夜中にKBCラジオの昔のジングルやピンキーのアナウンスが流れてきたり、「24時間のスロープ編成」と言いながら「オールナイトニッポン」や日曜朝夜などの箱もの録音番組も引き続き放送されていた。
当初は「○○ SLOPE」という無機質な番組タイトルだったが(夜と土曜を除く)、いつの間にか「○○ SLOPE」のあとに「奥田智子のマシュマロスタジオ」や「沢田幸二のイケイケドンドン」などのサブタイトルが付くようになり、他局の編成との違いもなくなり、迷走しているのがよくわかった。
また、「INPAX」を暗に批判するような発言を番組内で耳にすることもあった。
社史にはどれくらい不評だったかは書いてないが(当たり前か…)、一説によると「INPAX」になってからもともと低かった聴取率が半分になったという話もある。
現在のKBCラジオの出演者たちも、「INPAX」を過去の「汚点」と思っているのか、KBCにとっての大事業であったにもかかわらず、あまり触れようとしていない気がする。
RKBにとっては、ライバルが勝手に自滅してくれて、かつ、「こういうことをやってはいけない」というお手本をごく間近でみることができたわけで、思いがけない「貯金」を手にしたことになる。
ただ、それは努力して得たものではないだけに、最近はその「貯金」が底をつきつつあるように思える。
「仲谷一志アワー サプリメントスタジオ」の失敗などは、その好例と言えよう。
(つづく)
これは私の勝手な推測ですが、インパックス構想と準備にはかなり時間をかけたのではないかと思うんです。もしそうであれば、構想といざ発進の間には、大きな出来事があります。それは「バブル崩壊」です。満を持してスタートするはずだったインパックスが、バブル崩壊の影響をかぶっていたとすれば、後には引けない見切り発車だったのかなあと思ったりしています。
スタートしたものの、こんなはずじゃなかったというところが多々あったのではないかと思います。
たしかに景気が良ければ、手直しを加えながら継続することもあり得たのでしょうが、時代がそれを許さなかった、すなわち撤退しかなかったのでしょうね。
しかし「INPAX」を終了するとき、何らかのコメントみたいなものはあったんでしょうかね?
自分の中では「いつの間にか終わってた」という印象があります。
結果的に今まで以上に一方通行になってしまっただけで、リスナー側の心を掴み損ねた気がします。
即時性のFAXを使ったニュースのリアクション投稿をもっと活発にすれば違ったかもしれませんが・・・・。
確か1993年頃に西日本新聞か毎日新聞にINPAXを止めた背景を新番組告知と並べて掲載していましたよ。
記事にはKBCが失敗を認めたような内容でした。
http://www.nab.or.jp/index.php?cmd=read&page=%C6%FC%CB%DC%CC%B1%B4%D6%CA%FC%C1%F7%CF%A2%CC%C1%BE%DE%2F2003%C7%AF(%CA%BF%C0%AE15%C7%AF)%C6%FE%C1%AA%A1%A6%BB%F6%C0%D3
そうだったんですね。
たしかに「サプリメントスタジオ」も単体でみればよくできた番組だったのかもしれませんが、仲谷氏のそれまでのキャラクターとか前後の番組とか、「流れ」という観点でとらえると、かなり違和感のある番組だったような気がします。