(つづき)
福岡県飯塚市の「幸袋公民館」のバス停。
幸せがいっぱい詰まっているような感じである。
このバス停には、飯塚地区の「1番」と「20番」が停車する。
このバス停がある国道200号(旧道)には、以前は「飯塚~直方~黒崎~小倉」の急行バスも走っていたが、現在その急行は「直方~黒崎間」のみの運行となっている。
国道200号直方バイパスも開通し、飯塚から黒崎方面は新道のみでほぼつながったので、この旧道が国道であり続ける意味があるのかはやや疑問だが、長崎街道のルートを今に伝えるという点では、意味があるのかもしれない。
(つづく)
福岡県飯塚市の「幸袋公民館」のバス停。
幸せがいっぱい詰まっているような感じである。
このバス停には、飯塚地区の「1番」と「20番」が停車する。
このバス停がある国道200号(旧道)には、以前は「飯塚~直方~黒崎~小倉」の急行バスも走っていたが、現在その急行は「直方~黒崎間」のみの運行となっている。
国道200号直方バイパスも開通し、飯塚から黒崎方面は新道のみでほぼつながったので、この旧道が国道であり続ける意味があるのかはやや疑問だが、長崎街道のルートを今に伝えるという点では、意味があるのかもしれない。
(つづく)
私は六本松で友人と食事していて「ニュースコープ」での放送を見ました。壊れた安全地帯が写ったので、「西鉄同士でぶつかったんか?」と話題にしましたが、さにあらず、傷ましい事故でした。
翌日の新聞によると、運転手は逮捕され、現場で眠気に襲われたと証言、バス運転手の休憩など労働の適正さが問題とされ、大きく報じられました。
昭和51~52年頃のことだったかなぁ。
さて、この時期の筑豊は福岡と北九州の両方から同じような急行バスで結ばれ、飯塚―直方間は両方へ向かう急行バスが多数走っていたものと想像されます。
福岡からは直方行き、田川行き、大隈行きのほか、飯塚止めもあり、全て八木山越えて飯塚バスセンターまでは同一経路でした。
特急もありましたが、中津行きか大分行きでした。特急だと、博多駅交通センターの次の停車停留所は飯塚バスセンターだったのではなかったか。
前出の「大蔵もしくは荒生田」での交通事故・・・ニュースで報道されていたのはかすかに記憶があります。昭和51・52年頃と言えば、事故の現場は電車と車道が並走する交通量の多いところで、おそらく、大蔵の交差点?だと、そこから右折して戸畑方面に向かうバスもあり、確かに危ない交差点だと私は思います。
一応、ジモティーなんで、ここらへんはウロウロしていました。
急行バスも昔に比べれば、減りました。地元のバスの本数も、車社会の今日、減りつつありますけど、車を持たない人や、免許を持たない私のような人間には、不自由すら感じますね。
福岡から直方、田川、大隈行き、懐かしいです。
以前はそれぞれ一定の本数があったのだと思いますが、私が物心ついたとき(?)には、既に大隈行きは一日一往復とかでした。
そういえば幼い頃、飯塚から八木山峠ではなくしょうけ越え(県道60号)経由の福岡空港行きというのに、一度祖母に乗せてもらったことがありました。
大雨の日だったのですが、八木山峠よりも厳しいヘアピンカーブをかなりのスピードで走行していて、とても怖かったです…。
「ニュースコープ」懐かしいですね。
子供の頃は「RKBニュースワイド」→「JNNニュースコープ」をはしごするのが夕方の楽しみでした。
れぱんさん、ごぶさたしております。
>急行バスも昔に比べれば、減りました。地元のバスの本数も、車社会の今日、減りつつありますけど、車を持たない人や、免許を持たない私のような人間には、不自由すら感じますね。
たしかにそうかもしれませんね。
私もバスについて、あーしろこーとしろと好き勝手にブログに書いていますが、私自身は車も運転するので、本当にバスを必要とする人の気持ちは理解できていない面があると思います。
「公共交通」には「バスがないと本当に困る」という方の意見をもっと拾ってほしいですね。