思考の部屋

日々、思考の世界を追求して思うところを綴る小部屋

フランクルの『夜と霧』の第一回目を見て思うこと(2)宗教への関心

2012年08月04日 | 思考探究

[思考] ブログ村キーワード

 前回では、想像を絶する過酷な収容所環境においてアパシー(無感情、無感動)という心理的な状態になる中で最後まで人間性を失わない天使の心をもつ人々の話について書きました。

 番組では次のような収容者とフランクルの様子が語られます。が、

 つらい労働の後、すし詰めの貨物車、くたびれ、腹をすかし凍える闇の中、そこでフランクルが目にしたもの・・・・それは神に祈りをする人々の姿でした。また労働の間のわずかな食事休憩。一人の男が樽の上に上がりイタリアオペラのアリアを歌い始めました。ほんの一時であっても音楽で心を癒している人々。

 神に祈り、音楽を楽しむ、それがつらい収容所生活を支える大きな力になっていたことを。フランクルは発見したのです。

そして、講師の諸富祥彦教授は、

 真っ暗な絶望的な収容所の状況とは別の世界、宗教的な祈り、芸術、音楽の世界へチャンネルを持っている人だけが生き残れることができた。

と述べられていました。

 昨日のブログにも書いた、「繊細な性質の人間がしばしば丈夫な身体の人々よりも、収容所生活をよく耐え得た。」という事実はまさに「感受性の豊かさが生きる力になった。」ということです。

 著書『夜と霧』では、上記の祈りとイタリアオペラの話は別々に語られています。

・ 祈り
  旧版・新版ともに政治への関心と宗教の関心の中で(p119・p55)。

・ イタリアオペラ
  旧版・新版ともに非情の世界に抗しての収容所の芸術の中で(p129・p69)。・

 テキストでは「感受性の豊かな人が丈夫な人よりも生きのびた」というところに「政治への関心と宗教の関心」だけが説明されています。

 このようなわたしの記述は、作品『夜と霧』の価値を云々するものではなく、私の探求心である「人はなぜそのような考えに至るのか」という思考の世界に興味があるためで、『夜と霧』に当っては著者であるフランクリンから霜山徳爾先生、池田香代子先生さらに講師の諸橋義彦教授の語る言葉や表現に及び、私のもの理解の過程の記録(日)でもあるので承知してください。

 昨日のブログに書いた通り「宗教」について、すなわち「宗教への関心」が生への結びつきのひとつになるというところに重点を移したいと思います。

 新旧の「宗教への関心」「宗教的関心」についての記述箇所についてテキストでは旧版のみが掲載されていますので、新版も引用したいと思います。

<『夜と霧』旧版・宗教的関心>
 囚人の宗教的関心は、それが生じる場合には、始めから想像以上の最も内面的なものであった。新たに入ってきた囚人はそこの宗教的感覚の活発さと深さにしばしば感動しないではいられなかった。この点においては、われわれが遠い工場から疲れ、飢え、凍え、びっしょり濡れたボロを着て、収容所に送り返される時にのせられる暗い閉ざされた牛の運搬貨物の中や、また収容所のバラックの隅で体験することのできる一寸した祈りや礼拝は最も印象的なものだった(p119)。

<『夜と霧』新版・宗教への関心>
 被収容者が宗教への関心に目覚めると、それはのっけからきわめて深く、新入りの被収容者は、その宗教的感性のみずみずしさや深さに心うたれないではいられなかった。とりわけ感動したのは、居住棟の片隅で、あるいは作業を終え、ぐっしょりと水がしみこんだぼろをまとって、腹をすかせ、凍えながら、遠い現場から収容所へと送り返されるときに、閉め切られた家畜用貨物車の闇のなかで経験する、ささやかな祈りや礼拝だった(p55)。

 この『夜と霧』の新旧版は、著者であるフランクルが言葉を換え表現を変えていることをこの番組とは関係なく書いたブログ内で話したことがあります。旧版では囚人になりますが「ユダヤ人」という言葉は出てこないが、新版では「ユダヤ人」という言葉が明記されています。勘違いするのはナチスドイツの強制収容所への強制収容対象者はイスラム教徒や同性愛者、政治犯等も含まれています。

 こういう視点に立つと迫害される者、迫害する者の考え方がよくわかります。書き方にも心の変遷にも現れてくるということです。

 話の視点がずれてしまいますが、宗教への関心という話ですが、信仰をもつ人々という視点に話を移したいと思います。

 私は在家の仏教徒ですが、宗教的な関心は高くあらゆる宗派に及びます。したがってキリスト教に関係する聖書は勿論ですが、布教本も読むことがあります。今手元に『主のための放浪者』(いのちのことば社)という一冊の本があります。著者はコーリー・テン・ブーム(Corrie ten Boom)という女性信者の方です。

 強制収容所に収容され親族から友人を数多く亡くし、それを目撃した方です。戦後は聖職者と布教活動をされるのですが、女性収容者が辱めや虐待の中でさらに死の恐怖に晒されながらも信仰の中に生きた話が語られています。

 死にゆく人々は、神のおそばに行けることで死の恐怖に耐えていたようです。耐えることができと言った方がよいかもしれません。そして日々の祈りをする者は命を長らえたことも書かれています。

 信仰の凄さをさらに印象付けるのは「あなたの敵を愛せよ」という神の言葉の実践です。戦後の1947年のミュンヘンでの話。爆撃尽くされたミュンヘンで残された教会は地下室。そこでかつて我が身をも虐待した国の民である人々に説教をした後の話です。

<『主のための放浪者』(いのちのことば社)「あなたの敵を愛せよ」>

 私が彼を見たのはミュンヘンの教会であった。・・・・・・略・・・・・

  そういう時だった。わたしが、他の人々に逆らって歩いて来る彼を見たのは。一瞬、わたしはオーバーと茶の帽子を見た。次に、青い制服と死の象徴ともいえるどくろの記章のついた帽子を連想した。たちまち忌わしい記憶がよみ返った。
  
 頭上に裸電球がぶら下がっている大きな部屋、床の中央にうず高く積まれた哀れな衣服と靴の山、この男の前を全裸で通る恥辱。わたしは目の前を歩く姉のかばそいからだを、皮膚の下にあらわな肋骨を見た。ベッツィー、何とやせていたことか! そこはラベンズブルックであった。

そしてこちらに歩いて来る男はかつての看守の一人-----最も残酷な看守の一人であった。
 今、彼はわたしの前に、手を差し出して立っている。「よい説教でした。おっしゃるように、わたしたちのすべての罪が海の底深く沈められているのを知るのはありがたいことです。」
 
 しかしわたしは、赦しについていとも流暢に語ったこのわたしは、その手を取ろうともせず、手帳をまきぐっていた。もちろん彼は、わたしを覚えてはいないだろう。あの何千人もの女囚の一人を、どうして覚えていられようか。
 
 しかしわたしは、彼と彼のベルトに下がっている革のむちとを覚えていた。わたしは、わたしの逮捕者の一人と面と向かっていたのである。わたしの血はまさに凍りそうであった。
 
 「あなたはラベンズブルックのことをお話の中で言われましたが」と彼は言った。いえ、彼はわたしを覚えてはいないのだ。
 
 「その後」と彼は続けた。「わたしはクリスチャンになりました。わたしがあそこでした残酷な行為を、神はお赦しくださったと思っています。けれどもあなたの口からも同様に、それを開きたいと思うのです。」 再び彼の手は差し出された。
 
 「赦してくださいますか?」
 わたしはそこに立っていた-----わたしの罪は幾度も幾度も赦されなければならないのに-----赦し得ないわたし。ベッツィーはあの場所で死んだ-----彼は彼女の恐ろしい、徐々に迫って来た死を、単に頼むだけで消すことができようか。
 
 彼がそこに、手を差し出して立っていたのは何秒でもなかったであろう。しかしわたしにとっては、何時間ものようであった。わたしは今までのうち、最も困難な仕事と戦っていた。
 
 わたしはそれをしなければならない-----わたしにはそれは十分わかっていた。神が赦されるという使信には先行条件がある。それはわたしたちに敵対する者をわたしたちが赦すことである。

 「しかし、人を赦さないなら、」イエスは言われる。
 
 「あなたがたの父もあなたがたの罪をお赦しになりません」と。
 
 わたしはこれを神の命令としてだけでなく、日々の経験として知っていた。わたしは戦争の終ったあと、オランダで、ナチの残虐行為の犠牲者のために施設を設けていた。以前の敵を赦すことのできた人々は、外の世界へ帰り、身体的な痛手にかかわらず、生活を建て直すことができた。いつまでも心に悲しみや痛みをいだいている者は病人になった。それは実に単純で恐ろしいことであった。
 
 わたしはなおも、冷たい心のままで立っていた。しかし、赦しは感情ではないことを知っていた。赦すことは意志の行動である。心の動きはともあれ、意志は行動に表せるはずである。「イエス様、お助けください!」声もなくわたしは祈った。「わたしは手を差し出すことはできます。それだけはできます。どうぞ感情をお与えください。」・・・・以下略

<以上同書p64~p65から>

フランクルの『夜と霧』は全く関係がなく、信仰という話で上記の話を掲出しました。これもまた『夜と霧』に関係ない話ですが、「人は実在する神をもたねばならぬ」という話をします。

  京都学派の宗教学者波多野精一(はたの・せいいち、1877年7月21日 - 1950年1月17日)先生という方がおられました。同じ長野県の生まれの方ということではないのですがの波多野先生の全集第四巻「宗教哲学」の第一章「実在する神」は、シュライエルマッヘルから始まります。

> シュライエルマッヘル(Schleiermacher,1786-1834)は宗教の立場を「高次の実在主義」(Hoeherer Realismus)と呼んだ。宗教において自我は現実世界を超えてはるかに高き実在との関係に入る。宗教はその対称性を無制約的に肯定する。その否定は宗教にとって実に致命傷というべきであろう。かくの如き高次の実在が、さらに立ち入って個々の宗教において、いかに体験また表象せられるにせよ-----例えば、あらゆる差別、あらゆる変化を超越する、純一なる存在そのものとの合一によってはじめて宗教的渇望が癒されるにせよ、あるいはすでに一個の石片、一本の樹木において崇むるに足りる神体が見出されるにせよ-----それの対象の実在性の前提のもとに宗教的意識がはじめて成り立つ点は、何の相異もない。・・・・以下略

 そしてこの第一章第一節は中世ドイツ(神聖ローマ帝国)のキリスト教神学者、神秘主義者マイスター・エックハルト(Meister Eckhart, 1260年頃 - 1328年頃)の

> 宗教においては「人は考えられる神で満足すべきではない、人は実在する神をもたねばならぬ。」

という言葉で終わっています(波多野清一著「宗教哲学」岩波書店全集から)。

 冒頭のシュライエルマッヘルとはどのような人物かというと、

※フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』によると、

 フリードリヒ・ダニエル・エルンスト・シュライアマハー(Friedrich Daniel Ernst Schleiermacher, 1768年11月21日 シレジア・ブレスラウ(現ポーランド・ヴロツワフ) - 1834年2月12日 ベルリン)は、ドイツの敬虔主義の影響にある神学者・哲学者・文献学者。日本語では、シュライエルマッヘル、シュライエルマッハー、シュライアーマッハー、シュライアマッハーとも表記される。
概要
 自由主義神学(リベラル派)の祖とされ、「近代神学の父」とも評される。ロマン主義の神学者として知られる。自著『宗教論』において、「宗教の本質は知識や行為ではなく、直観と感情である」とした。感情を中核にした信仰概念の把握をとくとともに、近代聖書解釈学を代表する人物である。
 哲学者としては、通常ドイツ観念論に属する思想家として把握される。
 文献学、聖書解釈学や法解釈学といった様々な個別解釈学の分野を超えて、日常言語までを含めた言語的所産の「理解」に関する原理についての一般解釈学の理論を提唱し、解釈学の祖ともされる。

と書かれています。ここに名の表記の問題を見ることができますが捨ておきます。

注目すべきは、エックハルトの「人は考えられる神で満足すべきではない、人は実在する神をもたねばならぬ。」という言葉です。これはエックハルトの「霊的識別の講話」の中に書かれている言葉で、

<宗教改革著作集13『カトリック改革』教文館>

・・・・また人間は自分の頭で想像したものにすぎない神に満足してはなりません。なぜなら、(神についての)思考が消え失せれば、神も消え失せるからです。むしろ我々は本質的な神を持たなければなりません。・・・・

<エックハルト「霊的識別の講話」p13>

 原文は実在=本質存在のようですが、このように書かれています。まさに信仰の究極をあえて言葉で語らうならば・・・・・ということになると思います。

 フランクからエックハルトへと話を伸ばしてしまいました。

 『夜と霧』の中で二チェーの言葉が出てきます。

「なぜ生きるかを知っている者は、どのように生きることにも耐える」(新版p128)

 神は死んだというニーチェ、存在の本質存在を問うとき、力への意志となるもの持たなければなりません。神であるのか理念であるのか、哲学なのか思想なのか、一念なのか・・・・。

 無神論者にしろ、信仰者にしろ人にはその道が法の現れとしてあるということだと思います。

 Eテレ「100分de名著」フランクの『夜と霧』という番組の第一回目を見て語られた「宗教への関心」について自分の思考の変遷を書きました。

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