マイナス8度の氷点下の朝、透き通った空気、肌に刺さるような冷たさはありますが、何ときれいな朝焼けでしょう。
(コントラストが何とも言えません)
(曙色と言ってよいように思える)
(遠く右方に見えるのが八ヶ岳)
曙色(あけぼのいろ)
日本語の色名にはいろいろな表現があります。
共通認識のような訴える色名。
曙の色だよ!
あけぼの【曙】
夜がほのぼのと明けようとするころ。夜明け方。
古典の清少納言の『枕草子』の冒頭の「春はあけぼの やうやう白くなり行く山際少し明かりて紫だちたる雲の細くたなびきたる・・・」はあまりにも有名です。
色彩に関係知る本を見ると次のように解説されていました。
夜明け前、しだいに白み始めた空は、刻一刻その色を変えます、明け方の東の空の色を表わす曙色浅い黄みの赤。東雲色(しののめいろ)ともいいます。
中国の曙紅(シューホン)は強い赤です。
江戸時代には曙染めという、裾の部分を少し白く残し、その上を紅や紫や藍などでしだいに濃くぼかしながら染めていく模様染が流行しました。
曙色も江戸時代に使われるようになった。『色々な色』(光琳社出版から)
「東雲色(しののめいろ)」
しののめ【東雲】
とても響きのいい言葉です。早朝を表現する古語ですがいいですね。
分らん色は、「そういうときの色だよ!」と日本語の色表現は土にもなり植物にもなり時にはねずみ色にもなる。
わからん時は、私のわかる時のことを語る、「そういう時の感覚器官が感じる色」と。
その延長線上にあるのが例え話(アレゴリー)だ。
どうにかわかるように説明したい。そんな時に発揮するのが例えだ。
「百聞は一見に如かず=Seeing is believing」
曙色からこのような話になったのだが、うつくしいものは美しく、きれいなものは綺麗だ。
おもしろいなあ。と思いつつ、なぜかそのとき視野にとびこんできた、横に書かれているリンク記事「月を差す指はどれか?」をひらきたくなり「あたりまえのことを方便とする般若経」をよみました。よまされた、というべきか。
・・・すうっとみにしみました。
玻璃の天でも主要人物のひとりにこういう言葉をはかせていました。
「- 神っていうのは、限りなく無力で、哀れなんだろうな。だからこそ、その悲しみを知る目で、人を見つめる。- そういう目で見つめられるから、人は救いを感じられるんじゃないかな」