「幸せとは求める過程にある」といいます。選択の科学のアイエンガー教授は、幸せには普遍的な定義はなく、もし仮にあるとするならば既にすべての人々が幸せであろうといいます。
「幸せは常に変化しています。ではどうしたら自分により意味深い幸せへと導く決断ができるのか。直感が教えてくれるのは、あなたがたった今欲しいものは何かという情報です。
直感はあなたが明日あるいは明後日欲しくなるものは教えてくれません。直感は今この瞬間に欲しいものしか教えてくれないのです。」
この言葉には目が覚めます。
直感とは限りなく貪欲、欲望の世界に関連し人を大いに乱れ苦しみさせますがまた、直感無くしては幸いへの道筋もできない、そこには理性の力を借りなければいけない、より善き直感はより善き理性との習慣づけされた微妙なバランスにおいて見えてくるようです。
ほどほどというあいまいさの中にひとつの目覚めを感じます。
Eテレ100分de名著の「銀河鉄道の夜」は昨夜が最終回、タイタニックの事故で亡くなった少女が登場します。
(Eテレ「100分de名著・銀河鉄道の夜第4回から)
自己犠牲と言ってはあまりにも悲しみの話で終わってしまいます。物語では、灯台守がこのような言葉を語ります。
「ああそうです。ただいちばんのさいわいに至るためにいろいろのかなしみもみんなおぼしめしです。」
この言葉も人によっては、勝手な言い草に聞こえるかもしれませんが、「微妙なバランス」の世界観の内に聴かないと「ほんとうの幸い」の意味を自分のものとすることができないと思います。
以前寅さん映画の名言の話をしました。さくらの夫博の父親(諏訪颷一郎・志村喬)が寅さんに語る「本当の人間の生活・人は一人では生きていけない」の話です。
【颷一郎】
「寅次郎君、旅の生活は楽しいかね」
【寅さん】
「気楽なもんだよね。それに、女房、子供がいないから身軽でいいですよ」
【颷一郎】
「そう、あれは、もう十年も昔のことだがね、わたしは信州の安曇野という所に旅行をしたんだ」
(松竹KK「男はつらいよ 寅次郎恋歌第8作から)
【寅さん】
「へえ~。先生も旅したことあるの」
【颷一郎】
「うん。バスに乗り遅れて、田舎の畑道を一人で歩いているうちに日が暮れちまってね。暗い夜道を心細く歩いていると」
【寅さん】
「キツネの話でしょ……」
【颷一郎】
「いや、そんな話じゃないんだ。ポツンと一軒の農家が立っているんだ。りんどうの花が庭いっぱいに咲いていてね。開けっ放した縁側から、灯りがたくさんついた茶の間で家族が食事をしているのが見える。わたしゃね、いまでも、その情景をありありと思い出すことができる。庭一面に咲いたりんどうの花、あかあかと灯りのついた茶の間、にぎやかに食事をする家族たち、わたしは、その時、それが、それが、本当の人間の生活ってもんじゃないかと、ふと、そう思ったら、急に涙が出てきちゃってね。・・・・・・人間は絶対に一人じゃあ生きて行けない」
この語りは、思うに「ほんとうの幸い」を語るもののような気がします。
この幸いはその瞬間にあり、走馬燈のように思い出の中に消えていきますが、贅沢、質素そういうものにも関係のない、普遍的な温かさがあるように思います。
「幸せには普遍的な定義はない」と冒頭では言いましたが、一刹那には求めることができるように思います。とめどなく生の中にいるので過ぎ去った思い出になってしまい郷愁となり悲しみの原因にもなってしまいますが、その瞬間をしっかり自分のものとし、常態の常ならないことをもしっかりと身にまとうならば「ほんとうの幸い」を知ることができる、「選択の科学」にしても「銀河鉄道の夜」しても、また寅さんにしても、自分にとって心地よい感慨に至るものならば見逃してはいけない、そんな気がします。