実用主義というアメリカを中心にした一つの思想の流れがあって、今ではと言っても古くなりつつあるのですがプラグマティズム(pragmatism)と呼ばれています。
「実用」が示すように便利ならば何でもよい、行動第一主義的なものの考え方です。アメリカのブルジョアジーの哲学とも呼ばれているようです(『岩波哲学小辞典』から)。
哲学者の名としては、パース、ジェイムズ、デューイが出てきます。無意味な哲学的な空論を排除しする意図で形成され、行動を思考の上位におき、観念の意味と真理性を行動上の帰結・成果として理解する立場です。
人間の知的活動はもともと人間が環境に適応して行くための方式で、観念や真理はこの生活過程での矛盾や障害を解決するための道具(insutrument)にほかならずしたがってそれらは決して固定した性質のものなく、他の全ての道具のように、われわれの生活経験の中でたえず試練されて改善されてゆくべきものである、というデューイの考え方に至れば、最大多数の最大幸福という功利主義の欠点も改善される余地があるという思想でもあることが分かります。
この三人の中のジェイムズに絡んで「オメラスから歩み去る人々」というアーシュラ・K・ル・グィン作の短編の物語の話を書きました。ひとりの幼子の犠牲が多数の人々の幸福を維持しているという架空話で、この国オメラスから立ち去る人々が、「改善されてゆくべきものである」という気づきを持った人々ということです。
このオメラスの話の際に宮沢賢治『グスコーブドリの伝記』にも言及しました。宮沢賢治の理想とする人物を描いたとする物語でブドリという少年が多くの体験、経験を重ねイーハトヴォの人々の幸せのために身を投じた話です。
科学技術の進歩と人々の心の進化の話で、思うに数理的な論理思考と人間の形而上学思考の折り合いのような話です。何が人々のためになるか、決して最大多数の最大幸福という功利主義に見えてくるほころびを見逃さない新たな基準、今現在の議会制民主主義のほころびいまだにほころびはほころびのまま、さらにほころびは広がりつつある現状を今私たちは見ています。
歴史は繰り返す。くり返し日本史ではなくくり返し世界史の事例を紹介したいと思います。18世紀のパリの様子です。ダブロー・ド・パリ日本語訳では『十八世紀パリ生活誌』で著者はメルシェという人です。
<『十八世紀パリ生活誌(下)』メルシェ著 原宏編訳 岩波文庫から>
暗黒の地下牢
人間は獄中においてもなお生きることを願うものなのだ。その証拠にビセートルの「暗黒の地下牢」の中でさえ、人は生きているではないか。大気を奪われ、光を奪われた人間が、孤独と倦怠と暗黒の苦痛に堪えている。人間はこういう墓穴の中にいるような状態でもなお、死神の矢を逃れようとするものだ。苦痛も彼の心から生に対する愛着を消し去りはしない。
恐ろしい地下牢の中に隔離されているので、彼が見る世界は湿っぽくて、まっ暗な暖炉に限られている。彼はたとえ世の中から葬り去られてはいても、悲惨な生涯を終えるのは怖いのだ。
そういう地下牢は実在するのである。柱に斜めにうがたれた穴から、日の光が何とか射しこみはするが、それにしても何という日の光だろう! 暗い牢獄から囚人を出してやると、自由な空気を吸ったとたんに、まるで酒でも飲んだようによろめく。「新鮮な空気が彼を酔わせる」
ネッケル氏はこんな考察を行なったとされているが、そのとき彼は不幸な男のよろめきの原因を誤解していたのである。そのとき看守が強く訴えたことによると、囚人が命を失わないように、今より少しだけ暗くない地下牢に、囚人を入れなけれはならない、というのであった。徐々に牢を移してゆくことによってのみ、囚人は死から逃れることができるのだ。
しかもこの地下牢というのは通常、犯罪者いかけられるお慈悲なのだが、当の犯罪者は、地の底で自分が入っている牢の空間さえも自由にできないのである。なぜなら多くの場合、重い鎖でつながれているからだ。何というお慈悲だろう!
この章を終るにあたり付け加えておくが、私は、悲しいことに、そういう地下牢に、今なお四、五人の囚人が幽閉されていると確信している。その地下牢というのは松明(たいまつ)を持たなけれは降りていけない、大気も、光もない場所なのである。ビセートル式の言い方では、この不幸な人たちは、「地下牢人」と呼はれている。
ビセートル、シャラントン等々の他にも、警察はいくつかの監獄を持っている。ヌーヴェル・フランス〔パリ北郊の地名〕のシャロレエ城を監獄のひとつにしたし、もうひとつをモンルージュにつくっている。そこで行なわれている投獄の大部分は、法律外のものである。しかし多くの場合、それは諸々の事情のために余儀なくされたものだ。そういう投獄は家族の決定で行なわれている。偏執狂、狂人、乱暴で軽はずみな男等々は、通常の法律では罰することができないうちに、世の中に無限の損害を与えることだろう。この恐るべき権力は、権力乱用と紙一重だ。しかしまた抑止力と敏速な処置とを同時に必要とするような犯罪が、どんなにか多いことだろう! (一七八八年)
<以上同書p294>
1788年に書かれたパリの牢獄の話です。この話で思い出すのが吉田松陰先生が野山の獄に投獄された際、そこに居たい人々です。家族から見放された人々、身分的には高い人ですが、放蕩三昧、変人、不倫・・の人々が投獄されていました。恥ずかしくて人々の前に出せない、「家(いえ)の恥じ」となる家族や親戚をおしこめたわけです。日本には座敷牢というものがありました。それはすでに歴史から外されたものとなっていますが、歴史上の教育的見地からすると「人権侵害」という事実で登場します。
上記のパリの生活誌著者メルシェは、最後の言葉が響く、
>法律外のものである。しかし多くの場合、それは諸々の事情のために余儀なくされたものだ。そういう投獄は家族の決定で行なわれている。偏執狂、狂人、乱暴で軽はずみな男等々は、通常の法律では罰することができないうちに、世の中に無限の損害を与えることだろう。この恐るべき権力は、権力乱用と紙一重だ。しかしまた抑止力と敏速な処置とを同時に必要とするような犯罪が、どんなにか多いことだろう!<
正常と狂気の間、当事者のみならず、現代社会ではどう見ても狂気と思われる決定、行動を目にします。それは私の規準だからと言われればそれまでですが、これぞ差別(しゃべつ・仏語)という平等が見せる実在です。
一律ではない現状こそが平等であるという事実。ある面、個性あふれる現実です。
私たちは歴史から何も学んではいない。
「われわれの生活経験の中でたえず試練されて改善されてゆくべきものである。」というデューイの考え方、噛みしめたいものです。
追記 最近「臨場」という映画を見ました。警視庁の鑑識班が登場するテレビドラマになっているものです。
映画は通り魔殺人を中心にしています。そこには理不尽な死を遂げた人々が声があります。実際現実社会で似た事件が次々と起きています。何かが壁になっているのでしょう。起きないためにではなく、起きたときの早期犯人捜しに力が入っています。
必要なことですが、起きないための議論はなされているのでしょうか。保安処分という社会防衛に話になりますが、守られる人権という壁のクリアーがあります。でも誰も手を付けたがりません。これが現実です。