思考の部屋

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ガイア理論と人の命

2012年04月09日 | 思考探究

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 ジェームズ・ラブロックという人物名を聞いてすぐわかる方もおられるかと思いますが、「ガイア理論」の提唱者として有名な方です。なおノーベル賞作家のウイリアム・ゴールディングが(仮説)ガイア理論の名づけ親です。

 フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』では次のように紹介されています。

ジェームズ・ラブロック(英: James Lovelock、1919年7月26日 - )は、イギリスの科学者であり、作家であり、環境主義者であり、未来学者。大英帝国勲章を授与され、王立協会会員。グレートブリテン島の南西、コーンウォール在住。地球を一種の超個体として見たガイア理論の提唱者として有名である。

「ガイア理論」とは何か、これについても同様に調べると、

ガイア理論(ガイアりろん)とは、地球と生物が相互に関係し合い環境を作り上げていることを、ある種の「巨大な生命体」と見なす仮説である。ガイア仮説ともいう。
 生物学者リン・マーギュリス、気象学者アンドリュー・ワトソンなどが支持者に名を連ねる。

と地球を「巨大な生命体」とみなす環境保護を主眼においた思想であることが分かります。

 これは哲学者梅原猛先生が提唱した「草木国土悉皆成仏」の仏教的思想と同じではないかと思われがちですが、梅原先生が「エコの思想も近代科学の発展のシステム内でのこと」といわれるようにこのエコ運動から払拭すべき思想面を語られていました。

 エコ運動もあくまでも既成の近代科学物理学の発展を前提に自然環境との折り合いを念頭においているからで、今回の福島原発問題を機にその視点を変えるべきことを語る者です。

 「ガイア理論」はどうなったのか、地球のシンフォニーの思想はどうなったのか、ガイアの時代が来たのではないか。

<ジェームズ・ラブロックと原子力の関係>

 地球を一つの生命体という思想から当然の帰結になると思われる反原子力です。そこで彼の思想において「原子力」はどのように考えられているかと先ほどのフリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』を見ると

原子力
 
ラブロックは温室効果による地球温暖化の脅威について懸念するようになってきた。2004年、彼は「原子力だけが地球温暖化を停止させることができる」と宣言し、仲間の環境保護活動家らと袂を分かち、メディアに大きく取り上げられた。彼は、化石燃料の代替としてエネルギー需要を満たしつつ、温室効果を削減する現実的な解は、原子エネルギーしかないと考えた。
 
2005年、新たなイギリス政府が原子力に関心を寄せ始めたのを背景として、ラブロックは再び公然と原子力支持を表明し、環境保護運動家らが原子力反対運動をやめるべきだと主張した。
 
彼が原子力支持を公に表明したのは最近だが、その考え方は長年持っていた。1988年の著書 The Ages Of Gaia で、彼は次のように書いている。
 「私は常に放射性崩壊や原子力を、正常で必然的な環境の一部としか見ていない。我々の原核生物の先祖は、超新星による様々な元素の合成で生まれた惑星規模の放射性降下物の塊り上で進化したのだ」

<引用以上>

と書かれています。手元に彼(ジェームズ・ラブロック)の著書『ガイアの復讐(The REVENGE of GAIA)』があります。その中の第五章「さまざまなエネルギー源」に「原子力エネルギー」のことが書かれています。

<引用上記書『ガイアの復讐』から>

 原子力エネルギー

 今のところ、原子力エネルギーはその反応の種類によってふたつに分かれる。まずは核分裂で、これはトリウムが中性子を吸収してできるウラン二三三や、ウラン、プルトニウムといった、元素の大きな原子核が分裂する際に発生するエネルギーを利用する。世界の原子力発電所で行われているのは今のところこちらの反応である。また原子力潜水艦や核兵器にも利用されている。

 もうひとつの反応は、水素やその同位元素といった軽い元素の核融合である。太陽や他の多くの恒星は、この反応によってパワーを得ている。まだ公共利用のための電気を供給するには至っていないが、「水素爆弾」 の爆発エネルギーの一部はこの反応によるものだ。技術的な問題が解決して、実用的で効率のよい発電所が建設されれば、それが未来の電気の源になると私は考えている。

<以上p154から>

と書かれ核融合、核分裂の話が続き、途中次のように書かれています。

<引用>

 チェルノブイリと原子炉の安全
 フランクリン・ルーズヴエルトが一九三三年の就任演説で、「われわれが恐れるべき唯一のものは、恐れることそのものだ」と述べたのは有名な話だ。

 多くの人間は心の中に理不尽な恐怖を抱えている。望まないのに忍び込んだ、身震いするような恐怖だ。私の場合、それは圧倒するような泥水の激流である。そそりたつ水の壁がぐんぐん迫ってくるのを見たり聞いたりすることに恐怖を感じる。あまりに速く動くものを見ると、逃げられない気がするのだ。

 それはばかげた恐怖だと自分に言い聞かせる。私は高台に住んでおり、海からもじゅうぶん離れているので、津波が家まで襲ってくることはありえない。近くの川の上流に満々と水をたたえた大きなダムがあるわけでもない。それでもなお、この悪夢のごとき光景は私の夢に忍び込む。

なぜ多くの人々が同様の恐怖を核の大惨事に抱くのか、なぜ思慮に富んだ説明をもってしてもその恐怖を鎮めることができないのかが、よく理解できる。

 廃棄物の出ないエネルギー源はすぐにも必要だが、現時点では核分裂エネルギーに匹敵するものはない。では原子力に対する恐怖をどうやって克服すればよいのか0激流に対する私の恐怖を念頭に置いて、危険に直面しているふたつの家族を比較してみるとわかりやすいかもしれない。

 一方の家族は、中国にある巨大な三峡ダムの一六〇キロメ1トル↑流に住んでいる0強力で効率のよい再生可能エネルギーの好例だ。もう一方の家族はチェルノブイリの原子力発電所の一六〇キロメートル風下に住んでいる。こちらは誤った原子力技術という悪い例である。

 もしダムが決潰したら、おそらく猛烈な勢いで長江を下っていく波に呑まれて百万人の人々が命を落とすだろう。チェルノブイリ原子力発電所が蒸気爆発を起こし、続いて火災が発生すれば、放出された放射能の大部分は東風に乗り、生成物はウクライナとヨーロッパの広い地域に撒き散らされる。多くの人々は、チェルノブイリ事故で百万人とはいかないまでも幾万もの人々が命を落としたと考えている。しかし、このあとで見ていくように、チェルノブイリの死者は七十五人にすぎない。

<以上p170-p171から>

 なぜ人の命を功利主義的な考え方に置くことができるのだろうか、サンデル教授教授の白熱教室ではないがどちらに正義があるのか、と問うて結局「原子力エネルギー」を善き生き方、地球を一つの命と考える思想に重ねているのです。

 人とはこのようにも考えることができるということです。安全神話といわれますが「安全」という普遍的なものがあるのか、普遍という言葉の欺瞞性を見るような気がします。

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