思考の部屋

日々、思考の世界を追求して思うところを綴る小部屋

呼吸と日本文化・本間生夫

2010年10月07日 | 文藝

 「調身(ちょうしん)」「調息(ちょうそく)」「調心(ちょうしん)」、身を調え、呼吸を調え、そして心を調える。心身を調和を図り、落ち着くべきところへ整えていく世界にとって、この「身・息・心」の関係は密接な関係にあります。

 心が乱れれば呼吸も乱れ、身体へも影響を及ぼす。緊張のあまりの身振るい、興奮のあまり過呼吸となり身体を痙攣させる、全てはそのように表われます。

 ひと呼吸、ひと呼吸の一休さんではありませんが、今朝はこの呼吸に視点を置いた話を紹介したいと思います。最近はどうもテレビ番組紹介ばかりになってしまいますが、惹きつける番組が多く、語らずにはいられない、紹介しないわけにはいかない衝動に駆られます。

 NHK教育の「視点・論点」この番組は、ニュース解説と異なり、その道の達人の個性豊かな主張といった趣のある番組です。

 10月5日に昭和大学医学部の本間生夫教授による「呼吸と日本文化」という番組が放送されました。

 明治大学の斉藤孝教授は、身体論において日本的呼吸法の重要性を説き「腰肚文化(こしはら・ぶんか)」における呼吸の重要性を説いています。腰をすえる、肚をすえることが日本文化の特徴であり、現在そのよき「腰肚文化」が失われつつあり、取りもどす必要があると多くの著書で語っています。

 今朝は、呼吸研究の専門家の先生のお話です。能という日本の世界に誇る古典芸能における呼吸がその中心となりますが、大変呼吸というものの不思議と能の芸術論を知ることができました。

 なお、いつもの通り私情が入らない、本間先生の言葉をそのまま起こし、誰もが参考にできるように起こしました。

 放送の冒頭に本間先生は「専門は呼吸生理学、常道と呼吸に関する研究を手がける。」と紹介されていました。

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【本間生夫教授】
 生命を維持していくために必要な呼吸、私たちはあまり意識することはなく、そのありがたみを実感することもありません。その呼吸が心を反映すると言われると興味を持つ人もいると思います。

 呼吸の科学的研究を通して、心と呼吸の関わりを説明し、日本の古典芸能である能に焦点を当て日本文化と呼吸の密接な関係を明らかにしていきたいと思います。

              

「能と呼吸」私の能との出会いは、15年前ある本がきっかけでした。その本を通して、観世流シテ方の梅若猶彦(うめわか・なおひこ)さんと出会いました。それから彼の御能を何回か観るうちにお能における心の表現をは何なのか、興味を持ち始めました。

 動きは静的で大きくなく、表情は表(能面)の中に隠れて見えません。

 能の心の表現は呼吸である。呼吸生理学者がそこに至った過程をお話ししたいと思います。

 呼吸リズム・呼吸運動の指令は脳の中にある呼吸中枢で作られています。酸素を取り入れまた、体の中の二酸化炭素の量を調節する呼吸中枢は、脳幹という脳にあります。

 生きるのに必要な脳です。ここで作られる呼吸を代謝性呼吸と呼んでいます。一方外界の温度など外的環境の変化や内的環境で変わる呼吸を行動性呼吸と呼んでいます。この行動性呼吸の中に喜怒哀楽の感情即ち情動に関わる呼吸があります。

 私たちはこの呼吸を情動性呼吸と呼んでいます。この呼吸が脳のどこで作られているのか、そしてどのような働きをしているのか、これが今日のテーマにつながってくる疑問です。

          

 能に情動をつかさどる中枢があります。その中枢は大脳の内側、脳の最も深いところにあり、大脳辺縁系と呼ばれています。ここはたくましく生きるための脳と言えます。この大脳辺縁系の中に扁桃体と呼ばれるアーモンドのような形をした部分があります。

 扁桃体は情動を生み出していると言われています。私たちは次のような研究を通してみました。それは不安実験です。現代において不安を感じない人はいないくらい誰もが経験するネガティブな情動です。被験者の指に電気ショック用の電極を取り付け、2分以内に電気ショックが来る、と伝えます。

 実際に与える必要はないのですが、そのリズムの間、被験者は電気ショックがいつ来るのかと不安になります。これを予知不安と言いますが、この時の呼吸の変化と脳波の変化を捉えるのです。ただ脳波だけでは脳外の活動部位は解りませんので、開発してきた双極子追跡法(そうきょくし・ついせきほう)で脳波に組み込み測定しました。不安に駆られている間、被験者の呼吸数は増加し、その呼吸に同期して、ここが重要なのですが呼吸に伴って情動の中枢である、扁桃体が活動していたのです。

 興味深いことに、不安度が高い人ほど呼吸数の増加が激しく、不安度が低い人ではあまり変化しないのです。

 そして不安度と呼吸数の変化はきれいに相関し、呼吸が変化するにつれて不安も変化してくるのです。つまり同じ刺激であれば、呼吸数の変化を見ればその人の不安度が分かるのです。

 この結果が呼吸と心の関係へという研究へと導いてくれました。不安に限らず悲しみや、怒りなどネガティブな感情を抱くと呼吸が速くなり、喜びや安心など、ポジティブな感情を抱くと呼吸はゆっくりとなります。

 さて情動は心につながります。この心の表現には、二種類の表現法があります。身振り手振り表情の変化など、自分の心を外の表現する方法と、まったく外に表すことがなく内面だけで表現する方法です。

 外に表すことを外的表象、内面だけで表現することを内的表象と呼んでいます。

 日本は古くからこの内的表象を重んじる国です。この心の表象の違いは、舞台芸能にあらわれてきます。多くの舞台芸術、特に西洋の舞台芸能では、心の表現は外的表象です。表情豊かで美しいしぐさ、彼らは身体の表現の美しさに価値を見出します。

 役者の身体性が物を言います。以前名優と言われる女優さんの脳の活動を調べたことがあります。彼女はわたくしの目の前で、突如泣きはじめ、そしてピタッと泣くのをやめ普通の表情に戻っていました。

 彼女は、「私は今悲しくないのですが、演じました。」と、正に真に迫った演技だったのですが、脳の中では大脳皮質の運動中枢の活動が強まっていました。情動の中枢ではなかったのです。

 さてもう一方の内的表象です。先ほど心の内的表象は日本的だと申しましたが、それは日本の古典芸能に深く関わってきます。日本が世界に誇るお能は、600年以上前に生まれその舞台様式が現在まで変わっていないのが世界の中でも稀であると言われています。

 このお能における心の表象が内的表象なのです。私は梅若さんに頼みシテ方の何人かの脳の活動と呼吸を調べさせて貰いました。研究室でお能の名曲である「隅田川」の中で、子供を失い嘆き悲しむ母親を演じてもらいました。その時表情は全く変化していませんでしたが、唯一呼吸が変わっていました。激しく乱れていたのです。 

 脳の中では情動の中枢である、扁桃体が強く活動していました。しかも冒頭で述べた不安と同様、その脳の活動は呼吸に同期していたのです。悲しみや不安など情動の変化は呼吸の変化に伴って出現しているのです。梅若猶彦さんは、彼の書の中で、

 お能の先達は心が変わると呼吸が変わること、呼吸を変えると身体の様相が変わることに気づきそれを芸術体系へと組みこんで行った。

と述べています。私は呼吸の生理学者であり、生きるための呼吸の研究をもっぱらにしてきました。しかしこの10年の研究から、呼吸と心の関係を見出し、私自身その呼吸の美しさを表現したいと思うようになりました。そして創作の「オンディーヌ」を創りました。

          

 泉の妖精が人間の男に恋をし、しかし最後に人間の男は彼女を裏切り、泉の掟(おきて)によって息ができなくなり死ぬ、というヨーロッパで有名な戯曲を題材にしています。

 この物語を能に創り変えたひとつの理由は、我々呼吸の臨床の世界に「オンディーヌの呪い」という疾患、すなわち睡眠時無呼吸症候群と呼ばれる疾患があるからでもありますが、大きな理由は魚であり、魚は生きるための呼吸中枢死か持ち合わせていない、一方人間は意思で呼吸を変えられるのでいくつかの呼吸中枢を持っている。

 呼吸と心は一体という考えから、妖精は一つのただ純粋な心を持ち、人間はいくつかの心を持ち合わせている、邪悪な心も持ってしまう、というところにあります。

 「能オンディーヌ」は国内ばかりでなく、来年ヨーロッパでも講演する予定です。心の内的表象と呼吸、そぎ落とされた美。芸術としての呼吸の美学。日本の文化は、呼吸から生まれているのではないでしょうか。それは呼吸が心を映しているからです。

以上


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 能に関しては、今年の夏に「この花は誠の花にあらず」で紹介しています。有名な観阿弥・世阿弥篇による花伝書(風姿花伝)という名著がありますが、能は素人ですが実に深みのある古典芸能です。このブログには、道元禅師の「花」についてのtenjin95のコメントがあり道元禅師を研究されている方には参考になると思います。

 今朝の終わりに、ひと呼吸、ひと呼吸でのんびりと生きましょう。

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2 コメント

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Unknown (nabesan)
2010-10-07 10:03:52
この番組は私も視聴しておりました。
偶然ですが、ゆうべのNHK教育の「こだわり人物伝」がレナード・バーンスタインを取り上げて、彼の弟子、佐渡裕が、マーラーの第5交響曲、アダージェットの指導の時に、日本の能を持ち出したと言っていました。西洋音楽の休符を日本人音楽家は「間」として捉えるという話も聞いたことがあり、日本人の「内的表象」に根ざした文化が、西洋の芸術に新たな表現や解釈をもたらしているのは喜ばしいものです。
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能の世界 (管理人)
2010-10-08 21:24:45
>nabesan様
コメントありがとうございます。
 能の世界は実に不思議な世界です。幽玄の美。上田秋成の雨月物語も文学の世界ですが重なる部分があります。秋成はなぜこれを物語にしたくなったのか、日本の古典を知り尽くすとそこに至るのか、不思議な世界です。

 日本人の「内的表象」に根ざした文化が西洋に新たな芸術の世界をもたらす、の一つに建築があります。ブルーノ・タウトというドイツ人の有名な建築家がいます。日本で生活していると日本の古い建築物の持つ独特な感性に気が付くようです。
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