思考の部屋

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フランクルの『夜と霧』第三回目を見て(1)フッと花ひらく

2012年08月16日 | 思考探究

[思考] ブログ村キーワード

 心理学者のV・E・フランクルの思想について語ることが多くなっています。“「生きる意味」を求めて”Eテレ100分de名著では今月フランクルの『夜と霧』を教材に明治大学文学部の諸富祥彦教授がわかり易く解説されています。

 昨夜の第3回は「運命と向き合って生きる」でした。どんな人のどんな人生にも意味があるという「生きる意味」そして今回語られたのはこの生きる意味を見つけるために手がかりとなる「人生の価値」についてのお話でした。

 その3つの価値とは、

 情熱をかたむける~創造価値~

 心ふるわす経験~体験価値~

 人生にどう向き合うか~態度価値~

についてでした。番組全てが印象的にわたしの経験の中に記されていくのですが、その中で特に印象に残ったのは第3の態度価値の解説後にゲストの伊集院光さんが、

【伊集院】 それを絶望している人に対して「態度価値」というものがありますよと話した時に、・・・・人の心は動くんですかね。

旨を諸富先生に語った時に、先生は次のように語りました。

【諸富】 フランクルが語った直後に人生が変わるということはありえないんですね。
 けれどもどこかでフランクルの語った言葉、伊集院さんが語った言葉、どこかで種として残り続ける。
 それが、ある時、ある状況で、ある場面を迎えたときにフッと花ひらくんだと思うのです。
 本当に必要な時にその言葉が生きてくるときがある、とわたしは思います。

と答えられた時にとても感動しました。「フッと花ひらく」というこの言葉がとても響きました。

 情熱をかたむける~創造価値~

 心ふるわす経験~体験価値~

 人生にどう向き合うか~態度価値~

それぞれに感動的な話がなされました。詳細に今朝は書く時間がありませんが、個人的には「フッと花ひらく」という言葉が究極でした。

 「念ずれば花ひらく」という詩人の坂村真民さんの有名な言葉がありますが、この「念ずれば」と「フッと」とは心的な動態でみると消極・積極的な真逆のように思ってしまうのですが、個人的に重なっている自分を今見ることができます。

 仏教思想家の金子大栄さんに「花びらは散っても花は散らない」という言葉があります。

 散っている花が、咲いていると言えるか。

という当然な疑問を持つのですが、心の中に残り続ける種があってそれが、

 「それが、ある時、ある状況で、ある場面を迎えたときにフッと花ひらく」

 自ずから花ひらく。

わたしの意志の発動としてではなく、「フッと花ひらく」

 人生に意味を求めるのではない、人生の方から意味を求めてくる。

というフランクルの思想がよくわかります。

 「個人あって経験あるにあらず、経験あって個人あるのである」(西田幾多郎)

 「個人がある」のではなく「個人ある」の意味が開けてきます。「~が」の特定なくして既に存在する「個人」、そこには自ずからの起源があるように思いました。

 フランクルの『夜と霧』から詳細にその思想が語られているこの番組、私的に勝手に解釈しています。この第三回についても書いていきたいと思います。

ということで感動の一夜が明けました。

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