日帰りで北海道に行った。夕方から飛行機の時間まで、札幌で、めふん(鮭の血合いの塩辛)、ほやの塩辛、ほたるいかの一夜漬け、じゃが芋なんかと酒を飲んだ。真っ暗になってもまだ北海道、というのが信じられないが、これは欠かせない。
道中、気分転換に、山下洋輔『ピアニストを笑え!』(新潮文庫)を再読した。ベルリンでのエルヴィン・ジョーンズの様子がそこには描き出されていた。演奏家というスタンスはあるとはいえ、これほどの文章表現ができるジャズ評論家はそうはいないだろう。特に、依然としてジャズ喫茶での耳がどうのとか言っている縮小均衡の様子を見るとそうおもう。
「エルヴィンが現われ、スティックを振り下ろし、あっという間にエルヴィン・サウンドが響き渡った。それと共にやる前は精悍に引き締まっていたエルヴィンの顔が急にダラリとなり、目は、何やら悩まし気に中空の一点を見つめ、口は半開きとなった。全神経が音に集中しているのだ。若い共演者達の出すどんな音の動きも逃さず全身が反応しようとしているのだ。すばらしい身のこなしで、一分の隙もなくエルヴィンは演奏を進めた。ここぞという時には、エルヴィン独特のダブルのタム、フロアタム、シンバル、バスドラムが全体重をかけて一瞬の内に鳴らされた。円熟し、ある高みをきわめた、としかいいようのない演奏だった。段々と大波に呑み込まれたようになり、我々は顔を見合せ、何度も「ギャハハハ」と笑った。これは、何かすごいものに出くわしたとき起る我々の通常の反応である。」
エルヴィン・ジョーンズが居ると居ないとで音楽がまったくの別物になっているに違いないと感じる録音は多い。サイドマンとして参加しているものでは、リー・コニッツ『Motion』やトミー・フラナガン『Overseas』などはその最右翼だろう。
リーダー作としては、『On the Mountain』(OW、1975年)を思いつく。ヤン・ハマーのキーボード、ジーン・パーラのベースと組んだトリオ作だが、これを自宅でかけるとすこぶる評判が悪い。ヤン・ハマーの安っぽい電子サウンドがツマの気に入らないのだが(トニー・ウィリアムスとヤン・ハマーとのライヴ映像を見ていたときもケチをつけた)、それよりも、裏へ裏へと回って行き、あるところでドスッとはまるエルヴィンのドラムスのほうを聴くと、実にいい感じなのだ。
テナーサックスのジョージ・コールマンと組んだ『Live at the Village Vanguard』(ENJA、1968年)も好きな作品である。冒頭の「By George」は、アウトして入ってくるコールマンのテナーがいきなりエルヴィンと絡む。こういうとき、変に和音が邪魔をしないピアノレストリオは快感だ。
違う音楽になってしまっているという意味では、ジョージ・コールマンの普段の魅力を言い表すのは難しい。奇態でも尖ってもいない(、といって甘いスムーズなやつでもない)サックスは、それほど評価されないことが多い。ジョージ・コールマンはマイルス・デイヴィスの『My Funny Valentine』にも参加しているが、その世評も似たようなものだろう。しかし、その着実さと渋さが、ジョージ・コールマンの持ち味なのだとおもっている。
『My Horns of Plenty』(Verve、1991年)
『Amsterdam After Dark』(Timeless、1978年) ピアノのヒルトン・ルイスにサインを頂いた
> ラシッド・アリかハミッド・ドレイク、ウィリアム・パーカー
鋳鉄か斧のような存在ですね。ところでYKさんは普段ライヴ活動をしているのですか?