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自縄自縛日記

福島原発の宣伝映画(2)『目でみる福島第一原子力発電所』

2013-12-28 15:52:41 | 環境・自然

福島第一原子力発電所の宣伝映画『目でみる福島第一原子力発電所』(企画:東京電力、1991年)が、科学映像館により配信されている。やはり同じ目的で製作された『黎明』(1967年)、『福島の原子力』(1985年)に続くものである(>> リンク)。

まずは伸びるエネルギー需要への対応が必要なことを述べたあとに、福島県浜通りが地盤も気候条件も最適であることが紹介される。そして、GE社とのターン・キー契約(運転開始までメーカーが責任を負う)により、30mの断崖を掘り下げて設備を建設したのだと続ける。

たしかに、これだけを見ていたのでは、違和感を覚えないだろう。しかしながら、「3・11」の事故のあと、まさにこのターン・キー契約のために個別のコスト削減の交渉が難しいことが、「折角の高い地盤を掘り下げる」という方法になったことがわかっている(NHK・ETV特集『シリーズ原発事故への道程 前編 置き去りにされた慎重論』、2011/9/18)(>> リンク)。すなわち、冷却水を30mまで持ち上げることはコストアップになり、パッケージのターン・キーでは改善が難しいという事情であった。その観点から、GE社との打ち合わせや、掘り下げる土木工事や、キーそのものの映像を観ることには辛いものがある。

そして、原子力発電の仕組みと安全性について、繰り返し説明がなされる。

立地・建設のプロセスを問題とする視点もあったし、放射性廃棄物の処理の問題も取り上げられていた。しかし、技術的な安全性については、多くの人が信じていたのである。もっとも、その一方では、石橋克彦『原発震災―破滅を避けるために』(『科学』誌、1997/10)(>> リンク)のように、事故を予見したかのような適確な問題提起もあった。

ここでは、設備は故障し、人間はミスをするものだという観点から、何かの異常が起きた際には、「止める」、「冷やす」、「閉じ込める」を徹底するのだと紹介している。実際のところ、「止める」ことも、「冷やす」ことも、「閉じ込める」こともできなかった。

もうすぐ事故から3年が経とうとしている。

>> 『目でみる福島第一原子力発電所』(科学映像館)

●参照(原子力)
福島原発の宣伝映画『黎明』、『福島の原子力』
『これでいいのか福島原発事故報道』
山本義隆『福島の原発事故をめぐって』
開沼博『「フクシマ」論 原子力ムラはなぜ生まれたのか』
高橋哲哉『犠牲のシステム 福島・沖縄』、脱原発テント
前田哲男『フクシマと沖縄』
鄭周河写真集『奪われた野にも春は来るか』、「こころの時代」
『neoneo』の原発と小川紳介特集
『"核のゴミ"はどこへ~検証・使用済み核燃料~』
鎌田慧『六ヶ所村の記録』
『核分裂過程』、六ヶ所村関連の講演(菊川慶子、鎌田慧、鎌仲ひとみ)
『原発ゴミは「負の遺産」―最終処分場のゆくえ3』
使用済み核燃料
『活断層と原発、そして廃炉 アメリカ、ドイツ、日本の選択』
大島堅一『原発のコスト』
小野善康『エネルギー転換の経済効果』
原科幸彦『環境アセスメントとは何か』
『科学』と『現代思想』の原発特集
石橋克彦『原発震災―破滅を避けるために』
今井一『「原発」国民投票』
『大江健三郎 大石又七 核をめぐる対話』、新藤兼人『第五福竜丸』
有馬哲夫『原発・正力・CIA』
黒木和雄『原子力戦争』
東海第一原発の宣伝映画『原子力発電の夜明け』
『伊方原発 問われる“安全神話”』
長島と祝島
長島と祝島(2) 練塀の島、祝島
長島と祝島(3) 祝島の高台から原発予定地を視る
長島と祝島(4) 長島の山道を歩く
既視感のある暴力 山口県、上関町
眼を向けると待ち構えている写真集 『中電さん、さようなら―山口県祝島 原発とたたかう島人の記録』
1996年の祝島の神舞 『いつか 心ひとつに』
纐纈あや『祝の島』

科学映像館が公開する映像の数々


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