ヘンリー・スレッギルは、1990年になって、新たなユニット「ヴェリー・ヴェリー・サーカス」での作品を発表し始める。
編成は、スレッギルのアルトサックスやフルートのほかに、チューバ2人、ギター2人、トロンボーンまたはフレンチホルン1人、そしてドラムス1人。ベースの役目をチューバ2人に負わせ、その「うねり」の上をブランドン・ロスのギターや、バンマスにしてトリックスター、スレッギルが踊るわけだ。
「ニュー・エアー」のあと、80年代に「セクステット」において、オーケストラルなもののリソースを使って少人数の機動性を活かした(ケビン・ホワイトヘッドによる『Spirit of Nuff... Nuff』解説)経験を発展させたとも考えられるが、根っこはもっと前にあった。
1979年に公表した『X-75 Vol.1』(Novus)は、ベース4本による「うねり」の中を、スレッギルとジョゼフ・ジャーマンが泳ぐ試みであった。「Vol.2」が出なかったことは、おそらく商業的にも続けられなかったのだろう。しかし、10年以上を経て、微分的なベースよりも連続的なチューバを使って、この未完のプロジェクトが再浮上したのである。
「ヴェリー・ヴェリー・サーカス」の作品としては以下が残されている。
■Spirit of Nuff... Nuff (Black Saint, 1990)
■Live At Koncepts (TMR, 1991)
■Too Much Sugar For A Dime (Axiom, 1993)
■Carry The Day (Columbia, 1995)
■Makin' A Move (Columbia, 1995)
完成度は様々だが、「ジャンルの横断、混淆、折衷など、いわば今日的な問題を孕んで」(千葉文夫『ファントマ幻想』、青土社)いるクルト・ワイルともイメージが重なる。実際に、スレッギルは1985年のオムニバス盤『Lost In The Stars ? The Music Of Kurt Weill』(A&M)にも編曲・指揮で1曲だけ参加している。
ただ、ワイルも祭祀もその背中には暗くて重いものがある。「ヴェリー・ヴェリー・サーカス」も、豊穣で猥雑ながら暗い音楽との一面があり、リスナーにとっては少々辛いところである。そのため、狂躁的に明るく珍妙な部分があると、そのアルバムは聴く者の脳を揺さぶって離さないものとなるような気がする。
その意味で、素晴らしいアルバムは「Try Some Ammonia」と「Better Wrapped/Better Unrapped」という、ラジオ用にも編集された2曲を含む『Too Much Sugar For A Dime』と、アフリカのパーカッションと歌のあとにトニー・シードラスのアコーディオンがテンションを妙なところに高め、トリックスターのアルトサックスがお出ましになる「Come Carry the Day」を含む『Carry the Day』、それから既述した『Makin' A Move』だと思う。
『Too Much Sugar For A Dime』は、「ヴェリー・ヴェリー・サーカス」として唯一日本盤が出た作品であり、プロデュースがビル・ラズウェル、ジャケットが大竹伸朗という異常な顔ぶれである。「渋さ知らズ」ファンにも改めて聴いてほしいと思う。お祭りの非日常性、怖さ、底なしの楽しさが詰まっている。
「ヴェリー・ヴェリー・サーカス」には、アフリカやアジアの要素も入っている。これは「こざかしいアンチ西側価値観」ではない。「ケモノは自分で作ろうと思ってケモノ道は作らない。ただ毎日そこを歩くだけだ。」と言う大竹伸朗(『カスバの男』、集英社文庫)が、出自はケモノでもないくせにケモノ的な作品を作り続けているのにも近いイメージがある。
スレッギルはこの後、「Make a Move」や「Zooid」というグループでの活動に移行するが、今世紀になってから極端に寡作になっているようだ。
ところで、ピアニスト、マイラ・メルフォードは『Makin' A Move』に存在感のある参加をしている。楽器こそ違え、自己のバンドではトリオから2管クインテットに中心を移しており、スレッギルの「サーカス・ミュージック」の流れを受け継いでいるとも評価されている(ジョン・アンドリュースによる『アバヴ・ブルー』評、DOWNBEAT 1999年11月)。
編成は、スレッギルのアルトサックスやフルートのほかに、チューバ2人、ギター2人、トロンボーンまたはフレンチホルン1人、そしてドラムス1人。ベースの役目をチューバ2人に負わせ、その「うねり」の上をブランドン・ロスのギターや、バンマスにしてトリックスター、スレッギルが踊るわけだ。
「ニュー・エアー」のあと、80年代に「セクステット」において、オーケストラルなもののリソースを使って少人数の機動性を活かした(ケビン・ホワイトヘッドによる『Spirit of Nuff... Nuff』解説)経験を発展させたとも考えられるが、根っこはもっと前にあった。
1979年に公表した『X-75 Vol.1』(Novus)は、ベース4本による「うねり」の中を、スレッギルとジョゼフ・ジャーマンが泳ぐ試みであった。「Vol.2」が出なかったことは、おそらく商業的にも続けられなかったのだろう。しかし、10年以上を経て、微分的なベースよりも連続的なチューバを使って、この未完のプロジェクトが再浮上したのである。
「ヴェリー・ヴェリー・サーカス」の作品としては以下が残されている。
■Spirit of Nuff... Nuff (Black Saint, 1990)
■Live At Koncepts (TMR, 1991)
■Too Much Sugar For A Dime (Axiom, 1993)
■Carry The Day (Columbia, 1995)
■Makin' A Move (Columbia, 1995)
完成度は様々だが、「ジャンルの横断、混淆、折衷など、いわば今日的な問題を孕んで」(千葉文夫『ファントマ幻想』、青土社)いるクルト・ワイルともイメージが重なる。実際に、スレッギルは1985年のオムニバス盤『Lost In The Stars ? The Music Of Kurt Weill』(A&M)にも編曲・指揮で1曲だけ参加している。
ただ、ワイルも祭祀もその背中には暗くて重いものがある。「ヴェリー・ヴェリー・サーカス」も、豊穣で猥雑ながら暗い音楽との一面があり、リスナーにとっては少々辛いところである。そのため、狂躁的に明るく珍妙な部分があると、そのアルバムは聴く者の脳を揺さぶって離さないものとなるような気がする。
その意味で、素晴らしいアルバムは「Try Some Ammonia」と「Better Wrapped/Better Unrapped」という、ラジオ用にも編集された2曲を含む『Too Much Sugar For A Dime』と、アフリカのパーカッションと歌のあとにトニー・シードラスのアコーディオンがテンションを妙なところに高め、トリックスターのアルトサックスがお出ましになる「Come Carry the Day」を含む『Carry the Day』、それから既述した『Makin' A Move』だと思う。
『Too Much Sugar For A Dime』は、「ヴェリー・ヴェリー・サーカス」として唯一日本盤が出た作品であり、プロデュースがビル・ラズウェル、ジャケットが大竹伸朗という異常な顔ぶれである。「渋さ知らズ」ファンにも改めて聴いてほしいと思う。お祭りの非日常性、怖さ、底なしの楽しさが詰まっている。
「ヴェリー・ヴェリー・サーカス」には、アフリカやアジアの要素も入っている。これは「こざかしいアンチ西側価値観」ではない。「ケモノは自分で作ろうと思ってケモノ道は作らない。ただ毎日そこを歩くだけだ。」と言う大竹伸朗(『カスバの男』、集英社文庫)が、出自はケモノでもないくせにケモノ的な作品を作り続けているのにも近いイメージがある。
スレッギルはこの後、「Make a Move」や「Zooid」というグループでの活動に移行するが、今世紀になってから極端に寡作になっているようだ。
ところで、ピアニスト、マイラ・メルフォードは『Makin' A Move』に存在感のある参加をしている。楽器こそ違え、自己のバンドではトリオから2管クインテットに中心を移しており、スレッギルの「サーカス・ミュージック」の流れを受け継いでいるとも評価されている(ジョン・アンドリュースによる『アバヴ・ブルー』評、DOWNBEAT 1999年11月)。