Sightsong

自縄自縛日記

高良勉『魂振り』

2012-02-05 19:35:52 | 沖縄

高良勉『魂振り 琉球文化・芸術論』(未來社、2011年)を読む。

本書は、沖縄の詩人による文化論・芸術論である。そのアイデンティティは、常に沖縄、琉球弧の基底からの独自性にある。

例えば、「文化遺伝子」という概念を提唱する。文化は、それを祖先から内奥で絶えず引き継いできたものであり、それを文化遺伝子と呼ぼうという発想である。すなわち、同一化のベクトルたる「日琉同祖論」を否定し(柳田國男伊波普猷折口信夫)、そのうえで、「沖縄学」の再改革が必要なのだとする。この概念そのものは確立されたものというよりも、おそらくは主張である。しかし、かつて「日鮮同祖論」や「日琉同祖論」が帝国の活動にリンクしていったことを思い出すなら、これは文化や血の混淆という結果論を飛び越え、それぞれの場における権力の臭いを霧消させる力を持っているように思える。これが排他ではないことは、本書後半において書かれているように、アイヌ、サハリン、韓国、中国、台湾、フィリピン、インドネシア、ブラジルとのつながりを希求していることからも理解できる。

新川明による本書書評(『未来』2011年10月)では、以下のように、このメッセージが、存在者各々の存在自体を浮き彫りにするのだとある。

「・・・自らの生存様式や意識の態様も「文化」そのものであると考えるとき、この概念が放射するメッセージが「人類文化の原種」という自己規定とあわせて無限のイマジネーションをかき立てずにはおかないのも事実である。」

裏返せば、ヤマトゥなるものへの不信がある。著者が身を置くのは、当然ながら、ヤマトゥという帝国からみればマージナルな位置とならざるを得なかった場であり、久米島事件における住民・朝鮮人虐殺事件、さらに遡って、琉球侵略、アイヌ侵略などを睥睨して「ウソと無恥の日本文化・思想」と断言している。勿論、すべて事実として、日本人(私)は受けとめ、応答しなければならないわけだが、現状は正反対である。すなわち、取るに足らぬものとして受け止めず、あるいは聞かなかったこととして、決して応答はしない。

文化論はもともとが短いコラムであって少し物足りないが、やはり面白い。

安谷屋正義の先鋭な抽象画は、私も沖縄県立博物館・美術館ではじめて目にして魅かれたのだったが(>> リンク)、ここでは、琉球弧からの垂直方向への自立の決意と孤独感と表現し、痛々しくも感動的であるとしている。さすがの言葉の力である。

宮良瑛子の「社会性の強い」作品(私はアイヌに捧げた作品しか観たことがない >> リンク)について、古臭さを指摘しつつも、あらためて時代の証言として発見される厚みと、さらなる抽象への飛翔を観察している。

岡本太郎久高島の祭祀イザイホー(1966年)を観察するにあたってさまざまな禁忌を犯したことは(>> リンク)、沖縄では多くのひとが語り継いでいることだと思うのだが、 それで彼が掴んだものとタブー侵犯との関連に想いを馳せている。

その次のイザイホー(1978年)を執念をもって記録した比嘉康雄については、久高島の「母性原理」にこだわっていたことを書いている。同様に久高島の母系社会を指摘した吉本隆明『共同幻想論』(1968年)よりも後の活動であるが、本書には、その影響は考察されていない。吉本の南島論の影響が沖縄においていかばかりのものだったか、知りたいところだ。ところで著者は、比嘉康雄が2000年に亡くなる1週間ほど前、小熊英二の講演会を一緒に聴き、それぞれの島々の伝統を調べ上げるべきだと話しあっていたのだという。これはまさに、『単一民族神話の起源』(1995年)(>> リンク)をはじめとする研究成果からの触発であったのだろう。

比嘉豊光『赤いゴーヤー』(>> リンク)の書評では、その写真に、「視線の低さ、柔軟さ、やさしさ」を見出している。これなどは同胞でなくては書くことができないものではないか。私などは時代性と先鋭性ばかりしか見ることができなかった。

森口豁写真展によせては、「ヤマト人としての責任を自覚し自問自答してやまない」信念を評価し、そこにあるのは「沖縄問題」というよりも普遍的な「日本問題」「差別問題」「人間問題」なのだと評価している。

まだまだ挙げきれないほど、さまざまな思索の種が本書には撒かれている。その中には、新聞だけでなく、『けーし風』『アフンルパル通信』といった草の根的に固く存在する場で公表されたものも少なくない(そういえば、駒込の「琉球センター・どぅたっち」で、高良さんは、なぜここに『けーし風』を置いていないのかと憤慨されていたとか)。今後、別の書『言振り』も出されるのだという。楽しみだ。

●本書で紹介されたもの
安谷屋正義
宮良瑛子
岡本太郎『沖縄文化論』
比嘉康雄『日本人の魂の原郷 沖縄久高島』
比嘉豊光『赤いゴーヤー』 
森口豁『ひめゆり戦史』
森口豁『最後の学徒兵』
森口豁『子乞い』
屋良朝博『砂上の同盟 米軍再編が明かすウソ』
世界臨時増刊『沖縄戦と「集団自決」』
野中広務+辛淑玉『差別と日本人』
グラウベル・ローシャ『アントニオ・ダス・モルテス』

●参照
小熊英二『単一民族神話の起源』
尹健次『民族幻想の蹉跌』
鹿野政直『沖縄の戦後思想を考える』
村井紀『南島イデオロギーの発生』
柳田國男『海南小記』
伊波普猷の『琉球人種論』、イザイホー
伊波普猷『古琉球』
与那原恵『まれびとたちの沖縄』
屋嘉比収『<近代沖縄>の知識人 島袋全発の軌跡』
岡本恵徳『「ヤポネシア論」の輪郭 島尾敏雄のまなざし』
島尾敏雄対談集『ヤポネシア考』 憧憬と妄想
島尾ミホ・石牟礼道子『ヤポネシアの海辺から』
島尾ミホさんの「アンマー」
齋藤徹「オンバク・ヒタム」(黒潮)
西銘圭蔵『沖縄をめぐる百年の思想』
戸邊秀明「「方言論争」再考」 琉球・沖縄研究所


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