Sightsong

自縄自縛日記

佐々木高明『照葉樹林文化とは何か』

2013-06-07 07:45:00 | 環境・自然

佐々木高明『照葉樹林文化とは何か 東アジアの森が生み出した文明』(中公新書、2007年)を読む。

アッサム~雲南~東南アジア北部あたりを中心とする「照葉樹林帯」。それは単に、分厚くてらてらした葉を持つ木々が支配的だという意味ではなく、共通する食文化や生活文化を持つ地帯だという広い意味である。

たとえばモチ。なぜかモチ食いはこの地帯でのみ伝統的に好まれ、食べられてきた。どうやらコメだけでなく、ほかの穀物にもそれぞれモチとモチでない種があるようで、長い間、モチが選好的に栽培されてきたということだ。実はモチ食いは、サトイモ食いから続くネバネバの伝統だという。

ほかにも、食べ物でいえばナレズシ、納豆、麹酒、茶、コンニャク。生活文化でいえば養蚕、漆、竹、山での歌垣。それぞれ分布が少し異なり、時代もまちまちではあるものの、これらをまとめて「照葉樹林文化」と呼ぶというわけである。とても面白い。

モチを含め、コメの起源については、場所も時代も諸説あって定まっていないようだ。ただ、コメ栽培と照葉樹林文化とは必ずしも重なるものではなく、焼畑や雑穀など半栽培文化を経て、水田でのコメの栽培に至ったという遷移の形が著者の主張である。

それに関し、柳田國男が晩年に『海上の道』で説いたような、日本への南からの稲作の伝播や、日本を単一の稲作文化圏とみなすような考えは、イデオロギーから導き出されたものであり、もはや学術的にも否定されているという。やはり、あれやこれやが並立し、地域的にも時代的にも混淆する世界のほうが、「こうあってほしい」一元的な世界よりも真っ当である。

本書では、コメ文化と照葉樹林文化の重要な担い手として、ミャオ族(モン族)が挙げられている。現在は雲南からベトナム・ラオス北部に居住している少数民族だが、もともと、長江流域で稲作をしていたという。やがて南に移動し、国境をまたがる山の民になったというわけである。

ところで、梅棹忠夫『東南アジア紀行』では、さらに最近の移動について説いている。19世紀、インドシナ半島における山づたいの本格的な移住の原因は、中国南部における反清革命運動たる太平天国の余波が、ミャオ族・モン族を南へ追いやったのだという。そして、1000mの等高線で切って、それ以下の部分を地図で消し去ってしまうと、あとに彼らの国があらわれてくる「空中社会」だとする。とても興味深い存在だ。


モン族のふたり(ベトナム北部、2012年)  Pentax LX、FA77mmF1.8、Fuji Superia 400


宮崎県木城町の照葉樹林(2012年)


大津「でんや」の鮒鮨 (ケータイで撮影、2008年)

●参照
只木良也『新版・森と人間の文化史』
上田信『森と緑の中国史』
そこにいるべき樹木(宮脇昭の著作)
東京の樹木
小田ひで次『ミヨリの森』3部作
荒俣宏・安井仁『木精狩り』
森林=炭素の蓄積、伐採=?
宮崎の照葉樹林
梅棹忠夫『東南アジア紀行』
柳田國男『海南小記』
村井紀『南島イデオロギーの発生』
2012年6月、サパ
2012年6月、ラオカイ
2012年8月、ベトナム・イェンバイ省のとある町


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4 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
Unknown (ひまわり博士)
2013-06-09 11:58:04
こんな本出ていたんですね。
ずいぶん昔に同じ中公新書で上山春平による「照葉樹林文化」と「続・照葉樹林文化」という本を読んだ記憶があって、書棚を漁ったらやっぱりありました。内容は他の類似書と記憶がごっしゃになっていて、よく覚えていないのですが、読んだきっかけは記憶しています。
「中央公論」に掲載された上山春平のインタビューが面白くて早速読んだことを覚えています。
ご紹介の本の著者である佐々木高明さんも「続・照葉樹林文化」では上山春平さんとともに名を連ねています。
ご存知でしたら失礼。
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Unknown (Sightsong)
2013-06-09 12:58:13
実はその2冊はずっと気になりつつも読んでいないのです。結果的に、『照葉樹林文化とは何か』は、それらの議論を踏まえた内容になっていました。仮説が多いため、さすがに2冊が書かれた60-70年代から、研究が進んでいるようです。
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Unknown (kincyan)
2013-06-12 06:16:57
なかなかおもしろそうな本ですね。1000mの等高線で切ると別の王国が見えてくるなんていうのも新鮮です。この本は図書館にありましたので、早速借りることに致します。
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Unknown (Sightsong)
2013-06-12 06:47:34
念のため、1000m云々は梅棹忠夫『東南アジア紀行』での説明でした。両方とも確かに新鮮で面白い本です。
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