倉沢愛子『9・30 世界を震撼させた日 インドネシア政変の真相と波紋』(岩波書店、2014年)を読む。
1965年9月30日、インドネシア国軍将軍たちが殺害されるクーデターが起きた。黒幕は、今に至るもはっきりしていない。それよりも重要なことは、この事件が、スカルノの失脚とスハルトの権力奪取というプロセスの中に位置づけられること、それが東西冷戦構造の中でこそ起きたものであること、そして、クーデター後、共産党シンパや華僑を対象とした大虐殺事件が起きたことである。(大虐殺については、ジョシュア・オッペンハイマー『アクト・オブ・キリング』のテーマになっている。)
本書は、その流れを丹念に追ったものであり、これまでほとんど知られることのなかった歴史を示してくれる。たいへんな力作であり、良書である。
クーデター発生まで、スカルノ政権は、親中国であり、共産主義(組織としてPKIがあった)への傾倒を強めていた。米国が直接手を下したかどうかについては明示されていないものの、間接的に、共産主義勢力の殲滅を指向したことは確かであった。その意向のもと、インドネシア国軍は、クーデターはPKIが首謀者として起したものであり、また、PKIは市民の殺害対象者リストを持っている、性的異常者の吹き溜まりであるといったデマを流し、PKIを憎悪と恐怖の対象に仕立てあげていった。その結末として、殺さねば殺されるという異常心理により、市民が市民を殺すという悲劇が起きたということなのである。
実際に、米国大使館は、権力交代の時期に、「我々が取るべき態度」として、次の内容を含む文書を国務省に送っている。
「PKIの罪悪、謀反、残虐性についてのストーリーを広める。(これが現在のところ我々が国軍のためにできる、最も必要とされている援助であろう)」
日本はどうであったか。スカルノの夫人・デヴィは、『アクト・オブ・キリング』上映時のトークにおいて、佐藤首相から齋藤大使を通じ、虐殺の加害側に資金が渡ったという発言をしている。本書には、そこまでの証言は書かれていない(同じデヴィ夫人)。しかし、明らかに、佐藤政権は米国に追従し、共産主義勢力の滅亡を強く望んでいた。そして、虐殺の事実を認識しながら目をつぶり、スハルト政権下の開発独裁により得られる大きな利益を享受した。すなわち、日本の経済社会も、この歴史と無縁ではありえない。
現在では、インドネシアの司法も、PKIの謀略説を否定している。それでも、教科書からその記述を消そうとすると、大きな抵抗勢力があってできないのだという。歴史修正主義はここにも存在する。