Sightsong

自縄自縛日記

与世山さんの「Poor Butterfly」

2010-11-22 01:24:23 | アヴァンギャルド・ジャズ

ふと聴きたくなって、与世山澄子『Interlude』(Tuff Beats、2005年)を久しぶりに棚から取りだした。那覇の与世山さん本人の店・インターリュードで録音された音は、冗談のように外界の嫌なノイズを遮断する空間で聴くまさにその音で、いますぐにでも歩いて行きたいと思うが、ここは残念ながら那覇ではない。しかし、与世山さんに逢いたい、そんな気持で聴くのも悪くない。

インターリュードには何度足を運んだかな。「安里そば」の材料が無いと言って近くのサンエーに走ったり(そんな、申し訳ない)、美味しいですと言ってコーヒーを淹れてくれたり、出演した映画『恋しくて』のシナリオを懸命に読んでいたり。夜は夜で、客の注文をさばくのにてんてこ舞いで唄いはじめるのが12時を回ったり、たまたま同席した初対面のアンチャンが唄を聴いて「忘れられない夜になった」と感動していたり。やっぱり行きたいぞ。

『Interlude』の曲はどれも良くて、冒頭のベースが響く「Interlude」も、甘甘の歌詞を可愛く唄う「Misty」も、寂しくなる「Somewhere in the Night」も、ビリー・ホリデイが唄っていたはずの「Left Alone」も、つまり最初から最後まで聴き入ってしまう。歌詞をいとおしむように丹念に唄う与世山さんの姿が見えるようで。

なかでも「Poor Buttefly」は沁みる唄である。『ジャズ詩大全 6』(村尾陸男、中央アート出版社)によると、『蝶々夫人』を巡る奇妙な勘違いから生まれたものらしい。与世山さんはヴァース(2種類ある)から唄う。そうでないと、これが日本人の物語であることがわからない。米国人と恋に落ち、戻ってくると言って去ったその男を待ち続ける哀れな蝶。ほんのひと時が数時間になり、数時間が数年になり。私は彼が戻ってくると信じている、けれども戻ってこなかったとしても溜息をついたり泣いたりはしない。私はただ死ぬだけ。そんな歌詞である(「I must just die」だって)。

以前、青山のBody & Soulに与世山さんを聴きに行ったとき、たまたま友人のKさんも来ていて、ああこんな歌詞だったんだと呟いていたのが記憶に残っている。

他のものを聴きたくなって、サラ・ヴォーン『Sassy Swings the Tivoli』(Emarcy、1963年)と、そのサラに捧げられた、カーメン・マクレエ『Sarah - Dedicated to You』(BMG、1990年)に収められた「Poor Butterfly」と比べてみる。サラは誰もが認める完璧な歌手、淀みなく溢れ出てくる声で唄う。しかし軽すぎる上に、ピアノが妙にオリエンタル臭を出そうと中国風メロディのオブリガードを入れるのも気にいらない。ヴァースも唄わない。そしてカーメンの声は金属であり、いまの気分には合わない。やはり与世山さんの「Poor Butterfly」がいい。

そういえば、那覇に行くとインターリュードと梯子していた民謡バー・いーやーぐゎーは、ついこの間、店をたたんだ。やはりここは那覇ではないから、駆けつけることができなかった。

●参照
いーやーぐゎー、さがり花、インターリュード
城間ヨシさん、インターリュード、栄町市場(いーやーぐゎー → インターリュード・・・同じ行動ばかりしていた)
35mmのビオゴンとカラースコパーで撮る「インタリュード」
与世山澄子ファンにとっての「恋しくて」


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