Sightsong

自縄自縛日記

パトリシオ・グスマン『真珠のボタン』

2015-10-12 21:15:17 | 中南米

連日の岩波ホール。パトリシオ・グスマン『真珠のボタン』(2015年)を観る。『光のノスタルジア』(2010年)の続編的なドキュメンタリーではあるが、また別の視線を野心的に取り入れており、まったく独立した作品となっている。

チリ南部のパタゴニア。北はアタカマ砂漠、西は太平洋、東はアンデス山脈、南は極寒の地と四方を閉ざされ、独自の文化を育ててきた地であった。先住民は自らをチリ人とは見なさない。かれらは、無数の島々をカヌーで行き来する「海のノマド」であった(「陸のノマド」たるモンゴル周辺の人びとと同様に、異なる複数の周波数を発する喉歌を伝えていることは興味深いことだ)。また、宇宙を見つめ、星々の絵を自らの全身に描く不思議な文化を持っていた。

『光のノスタルジア』において示された視線は、アタカマ砂漠を宇宙への窓とする天文学者の視線でもあった。本作での宇宙への視線は、先住民の視線でもあった。そして、水は、地球46億年の歴史のはじめに、宇宙から隕石によってもたらされた(すなわち、灼熱のマグマオーシャンから水蒸気の雲が生成され、それは豪雨となり、海を作った)。

先住民は西欧によって踏みにじられる。野蛮な文明人は、先住民狩りを行い、また持ち込んだ病原菌で先住民の多くを病死に追い込んだ。「真珠のボタン」ひとつで獲得したひとりの先住民は、ヨーロッパに連れていかれ、英語を話すようになり、故郷に戻っても自分の人生を得ることはなかった。1970年に民主選挙により大統領に就任したアジェンデは、先住民に多くを返そうとして、3年後、アメリカの操るピノチェトのクーデターにより失脚し、殺された。

3千人を超えると言われる虐殺の被害者たち。『光のノスタルジア』は、広大な砂漠に棄てられた人びとを見つめた。一方本作は、海に棄てられた千人を超える被害者たちを追う。しかも、金属のレールを身体に結わえられ、ヘリから投げ落とされる様子まで再現しながら。ピノチェトの悪を追及するグスマン検事は、海底に沈むレールを引き上げさせた。そこには、犠牲者のボタンが付着していた。時間を超えた奇妙な符合。

少数ながら、先住民の血を引く人びとがいまも生きている。その人たちは、カメラを凝視する。かつては存在を許されなかった視線であり、そしてまた、そこには、過去の記憶という権力が持ちえなかった視線もあった。これらはまた、いまの日本において無数に生成され続けなければならない視線でもあるだろう。

●参照
パトリシオ・グスマン『光のノスタルジア』(2010年)
G・G・マルケス『戒厳令下チリ潜入記』、ドキュメンタリー『将軍を追いつめた判事』


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