ベーシストの齋藤徹さんが、里国隆のホームヴィデオによる映像記録を送ってくださった。
「第1回発表会/関西奄美北大島民謡/おさらい大会」(1985年5月19日、尼崎サンシビック)における、特別ゲストとしての登場である。これは嬉しい。
これまで里の映像としては、「あがれゆぬはる加那」を唄っている短いものしか観ることができなかったのだ(>> リンク)。NHKのドキュメンタリー『白い大道』(2005年)にも、里本人の映像は入っていなかった(>> リンク)。
民謡の発表大会であるから、勿論、他の唄者たちも登場する。その中で、里は3回も登場する。
1回目:里国隆(三線、唄)+中村ヤエ(唄、三線)
2回目:里国隆(竪琴、唄)+萩原キミエ・松山美枝子(唄、三線)
3回目:里国隆(竪琴、唄)
驚いたことに、里の語りは軽妙であり、会場も相方も笑わせる。唄を指定したところ、相方の萩原キミエと松山美枝子が仰天、耳打ちすると、「風の吹きまわし」だとして(予定通り?)「あがれゆぬはる加那」に変更する始末。考えてみれば、里は樟脳売りをしながらあちこちで唄っていたのであり、売り込みの語りが達者でなければならないのだった。
それにしても、どこかがびりびりと響くような唄声は、文字通り唯一のものだと思わせる。呻きなのか、叫びなのか。喉を震わせているのか、頭蓋全体が音を発しているのか。貴重な記録を観ることができた。
ところで、他の唄者にも、里と同じく大きな竪琴を演奏する人がいる。かつて、竪琴を持って唄う樟脳売りは、どれほどいたのだろう。島尾ミホ『海辺の生と死』には、昔の奄美の話として、島に流離してくる人々のなかに「立琴を巧みに弾いて歌い歩く樟脳売りの伊達男」がいたとある(>> リンク)。ひょっとしたら、里本人だったのかもしれない。
里国隆は、この映像の1か月少しあと、1985年6月27日に亡くなった。