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自縄自縛日記

シンポジウム 普天間―いま日本の選択を考える(1)

2010-03-20 22:02:26 | 沖縄

法政大学沖縄文化研究所・普天間緊急声明呼びかけ人の主催により、シンポジウム「普天間―いま日本の選択を考える 日米安保と環境の視点から」(2010/3/20@法政大学)が開催された。司会は岩波書店『世界』編集長の岡本厚氏。

■ 加賀乙彦 (作家)

以下の発言。

○二・二六事件から憲法施行までを描く小説(『永遠の都』)を書き終えて疲れてしまったが、70歳になり、さらに戦後を書いてほしいとの要請があり(『雲の都』)、戦後史を勉強した。
○1952年の主権回復、その直後の「血のメーデー」から書き始めた。当時学生だった自分が感じたのは、米軍基地が「安全に日本を護ってやるため」が存在するという見方が間違いであることだった。1972年に「血のメーデー」被告に、全員無罪の判決が出された。沖縄の施政権返還はその後だ。
戦後のもっとも重苦しく、暗く、不自由なことは、外国の軍隊が入ってきていることだ。密約も含め、安保、一方的な平和条約が日本を苦しめている。
○最近、『不幸な国の幸福論』を書いた。日本の公共投資は、米欧を合算するより多く、そのほとんどを借金で賄っている。
○戦後、多くの人は全面講和を主張していたが、結局は片側講和になった。しかしもし実現したなら、北方四島はソ連領になっていただろう。サンフランシスコ平和条約は必ずしも悪いことばかりではなかった。
日本から米軍基地をすべて撤退してほしい。沖縄だけのことではない。いまは新しい時代を迎えつつある。

■ 宇沢弘文 (東京大学名誉教授)

御大、以下の発言。

○ティム・ワイナー(NYタイムス記者)が書いた『CIA秘録』(2007年)には、以下の報告がある。
― マーシャル・プランは戦後最大の対外援助であり、300億ドルに達した。受け取った国は、それを自国の通貨で積み立て、米国政府の指示で使うことになっていた。つまり対外援助などではなく、米国の産業や経済の利益を専ら目的としたものだった。
― 総額の5%(8億ドル)は、CIAに入るようになっていた。その大部分は各国の指導者に配り、その指導者たちが米国の言うなりに働いた。最終的には主な国で失敗し、日本だけで成功した
― 参謀本部第二部長・有末精三(諜報担当)は、日本の敗戦後すぐに、極秘資料をマッカーサーの諜報担当に渡し、スパイになると申し出た。児玉誉士夫は戦略物資をだまし取り、個人資産としていた。
― 1948年、A級戦犯であった児玉や岸信介は釈放された。岸はその足で首相官邸を訪れ、弟の佐藤栄作官房長官(当時)から背広を受け取り、「これで我々は皆、民主主義者だ」と言った。CIAは、岸を首相にするよう金を使った。
○そして60年安保。多くの若者が犠牲となった。その後、若者の社会正義や知的な志が失われた。現在は最低レベルにある。
○最大の被害を受けたのは沖縄だ。
日本の全土から米軍基地はすべて撤退すべきだ。そのための国民運動を提案したい。

■ 増田寿男 (法政大学総長)

以下の発言。「綺麗な海」との表現にはひっかかる(小沢一郎もそうだが)。汚い海なら良いのか、ということ。その意図はないにせよ。

○安保改定から50年、いまだそれは存在し、日本を縛っている。
○普天間の議論が喧しいが、「日本からの撤退」という声は聞こえてこない
○今こそ日本人としての見解を出すべく議論すべきだ。
○辺野古を見てきたが、ジュゴンが流れ着くような綺麗な海だった。
○沖縄を見捨てたままでいいのか。

(つづく)
※各氏の発言については、当方の解釈に基づき記載しております。


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