シャーロット・カーター『赤い鶏』(ハヤカワ文庫、原著1997年)、『パリに眠れ』(ハヤカワ文庫、原著1999年)は、ストリートでテナーサックスを吹く女性を主人公にした作品のシリーズだ。このあともいくつか同じ主人公が活躍する作品があるらしいが、邦訳は評判がいまひとつなのか、これっきり出ていない。なお、表紙に描かれた楽器は、2冊とも明らかにアルトサックスであり間違っている。
久しぶりに読んだが(例によって完全に忘れているので新鮮な気持ちで読める)、その翌日には忘れてしまう程度の内容である。ミステリという面では、大したひねりも驚きもなく、少なくとも頭は使わない。それでいいのだ、気分転換になったし(笑)。
となると、面白さを見出すのはディテールになる。
『赤い鶏』では、ニューヨークのストリートで吹く主人公ナンに近づく男が、演奏を貶して次のように毒づく。
「ひでえ音だと言ったのさ。だいいち、どこで手に入れたんだ、その楽器―――L・L・ビーンか?」
これをどう解釈すればいいのだろう。安物とくさしたのか(「ユニ○ロか?」のように)、それとも全く別のものという意味か。ちなみにわが家はL・L・ビーン好きであり、おもわず笑ってしまった。
こんなのも面白い。怒り心頭のときにつぶやけば、アホらしくなって怒りがおさまるかもしれない。もちろん『キャリー』は、ブライアン・デ・パルマの禍々しい大傑作(または大愚作)映画のことだ。
「わたしは自分が《キャリー》のシシー・スペイセクだったらどんなにいいかと思いながら、縁石の上に立っていた。あのくそいまいましい黄色い車が車輪二つでスリップしながらコンクリートの壁に激突し、空高々とふっとばされるところを思い描くだけ、そしてわたしはと言えば、平然として唇にかすかに笑みをうかべ大火事を見つめている。」
『パリに眠れ』は、題名の通りパリを舞台にしている。パリに対するナンの狂信的な憧れと、被差別の側にある黒人としての屈折とがこれでもかというくらいに描かれている。そんなにパリは良いものか。私は10年以上前に1週間滞在したが、(仕事だから当たりまえだが)うっとりするような思い入れはない。仕事が終わって、最後に「Sunset」というライヴハウスでビレリ・ラグレーンを聴いたことだけは楽しかった。ビレリは、ジャンゴ・ラインハルトの再来と称されたギターだけでなく、米国への憧れのような素朴な歌をも歌っていた。この主人公ナンとは逆ベクトルだ。そういうものか。
ビレリの背中をなでてサインを貰ったが、本人はもはやこのような愛らしい少年ではなかった
この作品で面白いディテールはと言えば、ナンとその恋人(両方ともストリートのジャズミュージシャン)が、バーで米国の大物ジャズミュージシャンを見つけるところだ。いちいちジャズ・マニアぶりを発揮しながら交わす噂話が笑える。作者は誰か特定の人物のことを想定しながら書いていたに違いないのだが、それが誰だかは私にはわからない。
「「いま流れてるのはだれの演奏?」 わたしは尋ねた。 「曲は《ハイ・フライ》よね」
「ジャッキー・バイアードだよ。知ってるくせに」
アンドレはひと握りのカシューナッツを口に放りこむと、グラスにつがれたワインを半分ほど飲みくだした。 「実は、彼のことは昔から嫌いだったんだ」 かの大物ミュージシャンをそれとなくあごで示しながら、アンドレはひそひそ声で言った。 「そりゃあ、まずいとは思ってたよ、彼を好きになれないのはね。でも、どうしてもだめなんだ。あいつはケツの穴の小さいうぬぼれ屋じゃないか」
「ほんとよね。デヴィッド・マレーがあの人のことをどういってたか、あとで教えてあげるわ」
●ジャズ・ミステリ
○フランソワ・ジョリ『鮮血の音符』
○ビル・ムーディ『脅迫者のブルース』
「たまのミステリー」はいいですね。ところでこの2冊、もう出回っていないみたいです。Amazonの古本では1円くらいであります(うーん)。