津々堂のたわごと日録

わたしの正論は果たして世の中で通用するのか?

■小国黒川(温泉)入湯の効用

2024-03-22 10:13:14 | 熊本

 かってはひなびた温泉郷であった奥阿蘇の黒川温泉が有名になったのは、そう古い話ではない。
カリスマと言われた後藤哲也氏の指導の下に、黒川温泉郷がテーマを一つにして今日の名声を勝ち取ったのは1900年代後半のことである。
そんな温泉郷だが、いつのころからお湯が出ていたのだろうか?言い伝えとして次のような話が残る。

 いつの頃か、豊後の中津留に住む貧しい塩売りを生業とする若者・甚吉には、病気で寝たきりの父親がいるが、その父親が瓜をたべたい
という。金がない甚吉は思いあまって、商売ものの塩をお地蔵様にお供えした後、瓜畑に入り瓜を盗む。甚吉は地主に見つかり首をはねら
れてしまうが、落ちたのは身代わりとなられたお地蔵様の首だったという。

 肥後藩のある人物が、このお地蔵様の首を肥後に持ち帰り供養をしようと考えるが、その帰途黒川に差し掛かった時、お地蔵さまは急に
重くなり、この地に祭ってくれと仰った。
そこで黒川の人たちが御堂を建立してお祀りすると、その場所から温泉が湧き出たと伝わる。
「黒川地蔵尊」として、今も大切に祭られている。

 渡邊玄察が著した「拾集物語」(渡辺玄察日記)に次のような記事がみえる。
もうこの時期には整備された入湯施設があったようだ。地獄という湯溜まりから薬湯が流れ下り、岩に当たるなどして柔らかなお湯となる
と「頭から足までずいを洗い落とす」という。霊験あらたかな温泉効用である。皆様もどうぞお出でまっせ。

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 一、同(元禄)六みつのと酉の年 
     此年之三月廿二日に阿蘇殿へ参上申候處に明る廿三日より小國黒川の湯御入湯被成候とて御夫婦被遊御出候に被召連
     御供仕候て罷越三廻り二十一(?)日入湯仕候 彼黒川の湯は湯坪よりもちごくと申候ゆの川有之候 其湯の川の湯薬
     にて候ゆながれ候故いわいしにあたりやわらかに湯がなり候に付薬にて候 偖又湯川にてうち流し申候故にあたまか
     ら足迄ずいをあらひとをす道理にて候 もし/\黒川の湯に行候人など有之候時のために申遣候

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