津々堂のたわごと日録

爺様のたわごとは果たして世の中で通用するのか?

■手取り高

2017-02-15 09:09:25 | 熊本地震

 細川家旧家臣の御先祖探しには、「先祖附」と共に重要な役割を果たすものに、「改正禄高等調」がある。
これは明治七年に、士族である人たちが「白川縣權令安岡良亮殿」宛てに提出した、自身の改正禄高とその時期の自らの職務についての報告である。これが秩禄処分の元になっている。
「我が家は百石取りだった」と言われるお宅も、実質の手取り高は1/4そこそこであった。
例えば禄高百石の某家は改正禄高は貳拾八石七斗とある。どういう基準で算出されているのか判らないが、藩政時代の手取り高とも違うようだ。

天保二年藩財政の逼迫による「手取米減少」の際の「手取り高」についての記録によると
  一、熊本居 役付百石取・・・・・26石3斗
  一、熊本居 無役百石取・・・・・25石7斗
  一、在宅 役付百石取・・・・・ 同上
  一、在宅 無役百石取・・・・・ 25石5斗    などと有る。

寸志の家は熊本居で23石2斗、在宅で23石とあるが、寸志を上げるほどの家だから裕福であるとの取り扱いだろうか。
高禄の家では百石当り16石 とか細かい決まりがあり、ここでは省略する。
この後天保年間は大飢饉がつづく。詳しい史料を持たないが、さらに手取り米は減少したものと思われる。 

例に挙げたお宅の28石7斗という数字を見ると、熊本居 役付として天保二年より1石4斗ばかり改善していることが判る。

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする