津々堂のたわごと日録

爺様のたわごとは果たして世の中で通用するのか?

■お姫様の避難

2017-02-09 17:14:41 | 歴史

 明治10年の西南の役勃発直前、北岡邸にお住まいだった三人の姫君は焼き払われる直前の城下町を脱出して、立田邸に逃れられた。

                  ■御姫様の逃避行

 

処で「熊本御城下の町人」を読むと、明治五年の事とされるが細川家から「御前様のお駕籠」を預かってくれるようにと、中古町の副戸長に頼みがあったという。
まさに権威の象徴ともいえる「お駕籠」である。この時期になると無用の長物になったのだろうが、売り払うという訳にもいかず、「預かって欲しい」という事になったらしい。中古町では預かりものに傷でもつけたら大変だと断りを入れたらしいが、どうやら旧藩時代の御威光を以て 押し付けられたらしい。
参勤交代もなくなり、大仰なお附きもなくなり、東京ー熊本間の旅も船旅が主流になってくる。後は人力車ででもあろうか。
そんな中、明治10年の三人のお姫様の長きにわたる西南の役からの逃避行は如何であったろうかと考えた。
たぶん「お駕籠」であったろうと想像するのだが如何だろうか。
お預かりの「お駕籠」は西南の役に於いて焼失したそうだが、細川家からは戦時のこととて「已む無し」という事であったらしい。
 

コメント
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