来る11月5,6日、前進座で恒例の川田禮子冠船流家元、それに先立つ8月11日(土)には東武東上線大山駅の板橋区文化ホールで同じく第14回川田功子冠船流「葉月の会」の公演会が開催される。このお二人、人も知る川田四姉妹の長女と3女。末妹の公子さんは“みやらび太鼓“主宰者。姉妹競うようにそれぞれ年毎に公演を開催するエネルギーには感嘆。
さらに、禮子、功子両師匠、それぞれ九段と池袋で琉球料理「みやらび」を経営されている。禮子家元は亡父の松夫さんが開設したお店の経営を実にお嬢さんの裕美子さん・3代に亘り継承している。通常10年未満でオーナーが変わる料理店の中でこの両姉妹「みやらび」の継続は異数。
昭和30年代の後半、沖縄から上京して初めてこの姉妹による冠船舞踊を見た時の印象は忘れられない。それまで安謝の15夜や劇場で見た“ハーラーリ、テーファー”の琉舞と比べ、あまりにメリハリの効いた踊りに“これはまるで能、仕舞では“と思ったほどの違和感を覚えた。
先日、この天下の両家元・師匠と同席する栄誉・僥倖を得た。皆さん、私のお隣の家元、お幾つだと思います。個人情報漏洩で申し訳ありませんがなんと数え74歳、さらにお隣の功子師匠70歳!いくら毎日踊りで鍛えているとは言え、この若さには敵いません。右はマーケティングプロジューサーの円さん。
さらに、禮子、功子両師匠、それぞれ九段と池袋で琉球料理「みやらび」を経営されている。禮子家元は亡父の松夫さんが開設したお店の経営を実にお嬢さんの裕美子さん・3代に亘り継承している。通常10年未満でオーナーが変わる料理店の中でこの両姉妹「みやらび」の継続は異数。
昭和30年代の後半、沖縄から上京して初めてこの姉妹による冠船舞踊を見た時の印象は忘れられない。それまで安謝の15夜や劇場で見た“ハーラーリ、テーファー”の琉舞と比べ、あまりにメリハリの効いた踊りに“これはまるで能、仕舞では“と思ったほどの違和感を覚えた。
先日、この天下の両家元・師匠と同席する栄誉・僥倖を得た。皆さん、私のお隣の家元、お幾つだと思います。個人情報漏洩で申し訳ありませんがなんと数え74歳、さらにお隣の功子師匠70歳!いくら毎日踊りで鍛えているとは言え、この若さには敵いません。右はマーケティングプロジューサーの円さん。
池袋の「みやらび」に初めて足を運んだのは、私18才 今は亡き母 マツ子さんと一緒でした。
私の大学進学で上京した際に訪ねたのでした。
母の旧姓は、名渡山で、母の兄 名渡山兼松(カネマツ)の ふたりの娘は 「川田圭子と川田和子」
冠扇流の名取でした。
川田の舞いは、これまでの琉球舞踊とは特に表情が違い、にこやかであったりして、とても魅力を感じたものです。
特に、従姉妹 圭子姉は、からだを悪くして、沖縄の我が家に養生に長期滞在したりしていましたので、姉妹のように親しんでいたのですが、残念ながら、若く美しいのに、早くに亡くなりした。
初めて親元を離れての東京生活の始まりの時!の緊張感と共に
「みやらび」でいただいたお料理の数々、そして琉舞。
母を含め、皆の笑顔。。
お陰で、ほんとうに懐かしく思い出しました。
今も変わらず美しい川田姉妹。
又、お会いしたいです!