”朝吼夕嘆・晴走雨読”

「美ら島沖縄大使」「WeeklyBook&Reviews」「マラソン挑戦」

「本社転居、四度目のスタート!一層のご指導、ご鞭撻を!」

2010年11月29日 | 「美ら島沖縄大使」便り

          

 今から33年前の昭和53年東京は三田の17坪のマンションオフイスで創業から3年、東京本社ビルは慶応大学東門向かいのアネックス三田(40坪)で20年、西五反田駅前の第一誠実ビル(180坪)で10年と三度移転。

今回は恐らく経営者として最後になるであろう500人強社員を擁する800坪近い「神楽坂プラザビル」へ引越し、今週月曜に初出勤しました。

飯田橋駅から江戸情緒漂う小振り、瀟洒な割烹店並ぶ街並み眺めつつ徒歩10分弱、新オフイス会長室へ初出勤しました。

正面玄関フロントには多くの顧客、取引先から移転祝い、激励の贈花を頂き有難うございました。

“新しい酒は新しい皮袋に”といいますが、合併3社の新オフイスへの合同転居、それぞれの持つ慣習、拘りを越え”小異を捨てて大同に着くべく”新たな出発、価値創造を目指し、さらなるお客様満足向上に邁進致します。

今後とも一層のご指導、ご鞭撻、お引き立ての程よろしくお願い申し上げます。

       

      (新入居・「神楽坂プラザビル」正面前で)

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「夢のYRP“ドコモR&Cセンター”見学」

2010年11月28日 | 「美ら島沖縄大使」便り

        

 一年程前から首都圏IT企業に従事する奄美出身者の「IT懇話会」に参加しています。メンバーはITベンチャー企業オーナー、上場IT企業管理者、研究機関勤務と多彩。このところ毎回奄美出身のNew Comerが増えています。 

 例会はメンバーによる幹事、世話役持ち回りの隔月開催、お互いの企業、ビジネス内容紹介と情報交換。後に続く懇親会では遠く故郷を共有するメンバー同士だけに腹蔵ないデスカッション交流にストレス解消と共に明日へのエネルギーを貰いますが、最近は故郷の振興にも関心を強めつつあります。     

 そんな中、先月は当社の取引顧客先でもあるNTTドコモ社に勤める所属メンバー永田さんの案内で会員一同、京浜急行電鉄久里浜線のYRP野比駅の「ドコモ研究開センター」を見学、噂には聞いていましたが、遠隔、4次元、省エネ等々次世代の移動通信通信、未来の先端WEB技術世界には圧倒されました。これはドコモのCSR活動の一環で、事前時申し込めさえすれば誰でも見学出来るとのことです。

 多彩な展示と説明を聞きつつ、あまり良い趣味ではありませんが、私はついついスティーブン・ジョブズがここを見たらどう反応すると思いました。

存知の人も多いと思いますが、我国唯一と思われるアルファベット駅名「YRP」とは“横須賀リサーチパーク”略称、NTT、パナソニックNEC日立三菱東芝KDDIソニー富士通と我国を代表する通信メーカー60余社が集結する一大通信R&Cセンターですが、こんなに一ヶ所に集結するのは国家万一の場合のリスクヘッジは大丈夫かとも気になりました。いやはや、我ながら捻ねた感想でした

           
              「奄美キュラムン(美女)に囲まれ!」

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「オキナワからワセダへ」~“大濱総長時代の「沖縄留学生」”

2010年11月27日 | 「Weekly 読書感想」
 これは「早稲田大学史記要」(第41巻)に記載、挿入されている2008年10月に早稲田大学史資料センターと「早稲田大学琉球・沖縄研究所」(勝方恵子所長)とが共催したシンポウジムの別刷冊子。
 沖縄出身の大濱信泉氏が1954年から12年間、早稲田大学総長を務めた時期、沖縄は米軍の統治下にあったため復帰運動がうねり、大学内では学生運動が盛んな時代。
 この時期、沖縄県内学生は当時の文部省と琉球政府の協議の下、県内で選抜し北海道から鹿児島までの国立大学に留学の特別措置のいわゆる“国費・自費”制度が実施されていました。私立大学でも早大、中大、国際キリスト大(ICU)の3大学にも沖縄現地選抜による留学制度があり、早稲田では“大濱奨学生”と呼ばれていました。
 シンポジウムでは大濱総長就任から辞任までの間、早稲田に在学していた沖縄出身学生の由井昌子(元沖縄タイムス編集委員長)に大城将保(元沖縄県立博物館長)に私の3人がそれぞれ在学時期の経験や思い出を勝方恵子国際教養学部副学部長の司会によるレポート証言集。このシンポジウム中、私は特に司会の勝方教授から奄美復帰後の“在沖奄美人”として在琉登録、許可証保持を義務付けられ、この制度享受資格が無かった時代背景への証言を求められました。
              
 
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「お世話になりました!五反田の皆さん!」

2010年11月26日 | 「美ら島沖縄大使」便り

                  

 創業の地・三田から移転10年、いよいよ本日で五反田を去ることになりました。

 10年前「三田から五反田移転」のご挨拶したところ、江戸っ子の知人が“あ!シゲタの会社もいよいよ終わりか”と言ったそうです。その意味が分からなかったのですが古い東京を知る人は麻生、白金に隣接する三田は慶応街の高級イメージに対し、五反田は戦前、私娼窟・花町に大雨の度に目黒川が溢水、長靴無しでは歩けない川筋街。いまでこそ駅前は学研、ポーラー、大明、ヒロセ電機等上場会社が林立するビジネス街に変貌しつつありますが、私達が引越した時はまだファッションホテルにデリガルマンションが目立つ道路脇には溢水防止の土嚢袋が積まれていました。

 いまでも東口には風俗街イメージを引き継ぐ特飲街がありますが、少し離れた高台には池田山殿山島津山や正田美智子皇后の旧邸でも有名な高級住宅地。その意味で五反田は“聖と俗”共存の街ともいえます。

 ところで我社がお世話になった「第一誠実ビル」はそのデザイン設計、素材等で近隣建設業者間では有名な高級ビルだったそうで入居の際は「3期決算書提示とオーナー面接」があったのには驚きましたが、後で一部近隣マンション入居者の業種を知るに付け、納得しました。

 このビルオーナーは当社もヘルスキャードクターとしてお世話になった地元開業医さんですが、初代が戦前近隣花街担当医として駅前にも「第二誠実ビル」を建設する等資産形成、成功された方で、ビル名も誠さん、実さんというご家族の名前から命名されたようです。

三田に続き五反田は我が創業人生、第二の思い出の街になります。創業20年から30年の我社中興時、大変お世話になった「第一誠実ビル」大家さんはじめ、近隣の皆さん有難うございました。

          

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 「奄美で出会ったキュバー女性」

2010年11月21日 | 「奄美災害体験報告」

    

 先般の奄美豪雨災害に付随して思わぬ奇遇と前回、奄美郷土料理店「あきつ」を紹介しましたが、このお店を後に奄美空港へ向う途中、フライト時間待ちを利用して立ち寄った「田中一村博物館」等も所在する空港最寄の「奄美パーク」内。食堂でいそいそと働く外国女性が目に付きました。

観光、一時滞在かと声を掛けると何と奄美居住の中南米・キュバー出身女性。たまたまキュバーを訪れた奄美出身のご主人と出会い来島7年になるとのこと。キュバーと奄美、それぞれ島嶼出身、意外な出会いがあるものと感慨一入でした。

弁護士・カストロにドクター・ゲバラと博覧強記、ご自分も弁護士を目指したが上手く行かなかったと流暢な日本語、遠く故郷を懐かしむ風情微塵も無く、豪雨災害何処吹く風と尽きることのないその語りとパワーに辟易ではなく、圧倒されました。

 

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「関東城岳同窓会」に出席しました。

2010年11月18日 | 「美ら島沖縄大使」便り

          

                   (校歌斉唱)

 先月、那覇で母校100周年パーティ終わったと思いきや、今月13日土曜日には早やお馴染の霞ヶ関ビルで開催された「関東城岳同窓会」。参加者は沖縄から上京の那覇高副校長、「養秀(県立一中・首里高)同窓会長」等来賓に62期卒の現役大学生を含め70余名。

 空路出席の与儀「100周年事業事務局長」より一千人以上の参加があった先般の母校100年祭模様や募金達成率等々について報告がありました。それによると全体目標には未だ6割。期毎の達成度合いは当然のことか高齢になるに従い高くなっており、!幸い我が12期は辛くも目標達成にホッとっしました。

山路会長挨拶に、「島唄同好会」余興、抽選会等々イベントの後に校歌斉唱で大団円!

今年古希の我が12期が当日参加者の平均年齢と思われるほどに何処の同窓会でも見られる高齢者構成とは言え、毎回80歳を越えた先輩諸氏の矍鑠たる積極性と活躍には刺激を受け、学ぶところ少なくありません。何時もながら功成り名を遂げた錚々たる先輩に囲まれ、いささか怯みますが、同期を越えた幅広い交流には又得難いものがあります。それにしても我12期2人に対し7期5人、8期10人、10期8人、11期6人の出席率格差、同期結束性の弱さか、リーダーシップ不在か考えさせられました

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「日帰沖縄出張の先週!」

2010年11月17日 | 「美ら島沖縄大使」便り

         

 先週10日木曜は田町の「笹川記念館」で沖縄県企業誘致セミナーの後、東海クラブでの「WUB東京」例会へ駆けつける。メンバーで元日本総研スッタフの小畑さんによるAbilityIntelligence、左脳、右脳等々問題解決パワーについての「業務遂行力の強化に向けて」のテーマー講演。随所に示唆を受けました。

 翌11日は沖縄日帰り出張。県内若手ITベンチャー経営者への「創業、継続、承継」と苦労、失敗談披露講演。講演会後の懇親会冒頭、乾杯音頭、挨拶後、そそくさと空港へUターン直行。フライト待つ間、空港レストランで暫し県庁職員と会食懇談、情報交歓。

 さいたま市の自宅に着いたのが午前一時前。翌朝12日、執行役員会でしたが思ったほど疲れなかったのは機中、モノレールでの爆睡の効果か!

 翌日の役員会終了後、4年間の中国勤務経験を活かし、再び在沖ITベンチャービジネスの第一線に復帰した東京出張の後輩沖縄女性を慰労、激励。その衰えることのない意欲と情熱に明日を背負う次世代の輝きと共にエネルギーを貰い、前日までの疲れを

忘れました。

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「感激の奄美料理店“あきつ”」

2010年11月16日 | 「奄美災害体験報告」

    

 先に、奄美豪雨の災害に会った際、稀有な体験をしたと書きましたが、奄美滞在の最終23日の土曜、メッツ研究の佐藤、森田両所研究員と共に得難い経験をしました。その内の一つ!

 名瀬のホテルを10時にチェックアウト、一路奄美空港に向かいましたが、途中名瀬市郊外の和光トンネルを抜けた新興住宅地域とも言える「中勝」の奄美地場料理店「あきつ」を思い出し、同行のお二人に紹介方々寄って見ることにしました。

 しかし、このお店は南郷㈱沖縄ソフトセンター社長の奥様が自宅で予約顧客向けの言わば奥様の“趣味のお店”。このことを思い出し、慌てて沖縄常駐の南郷社長に電話で打診しお邪魔しました。

 事前予約原則のお店、我々3人だけの突然の訪問にも拘らず奥様は快く対応、歓迎頂きました。

当初“お茶だけなら”と言われ、私達3人もその覚悟でしたが、奥様はやがてお手伝いの人をお呼びになり、地元の源材料を調理、ほぼフルコースとも言えるメニューの歓待に感激しつつ満喫しました。その上「今回は急な手料理ですから!」となかなか御代を受け取ろうとなさらずこれまた恐縮しました。

私は以前にもお邪魔したことがありますが、この日初めての同行お二人は地場素材のメニューだけでなく、次々繰る出される器や宮大工様式の部屋デザインや各地から取り寄せた素材、装飾絵画に、豪雨災害を忘れるひと時でした。

        

       (同行・佐藤さん撮影の”あきつ”メニュー”)

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「本社移転のお知らせ」

2010年11月15日 | 「美ら島沖縄大使」便り

                     

お早うございます。

当社7月の3社合併以来、オフイスは従来どおりそれぞれ分散していましたが、今月末をもって、旧㈱日本アドバンストシステムの創業地・三田より移転、今日まで10年間操業して参りました五反田の「第一誠実ビル」を引き払い、下記の通り本社を一箇所・一棟ビル(上記掲載)に統合することになりました。

 これにより、合併新会社㈱CIJネクストとして経営資源の効率化と共に社員の一体感を高め、お取引様へのよりよいサービス向上に邁進致しますので引き続き、今後ともよろしくお願い申し上げます。

 移転先の神楽坂は江戸情調色濃く残る瀟洒な街並みです。お近くにお寄りの際はお気軽にお寄り下さい。 

                                           記

    移 転 日:平成22年11月27日(土)

    営業開始日:平成22年11月29日(月)

    新 住 所:〒162-0825東京都新宿区神楽坂4丁目8番地 神楽坂プラザビル

  ■ 経営企画室/管理本部 TEL03-5206-7131

 なお、沖縄、大阪、東海等の地方事業所は従来通りです。

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「忙中閑有!伝説の“天久テラス“へオペラ歌手!」

2010年11月14日 | 「美ら島沖縄大使」便り

              

 沖国大講演、新会社発足挨拶、高校創立100年パーティとイベント錯綜、慌しい沖縄出張スケジューを縫う“忙中閑有”一宵、八重山出身オペラ歌手さんを強引に知る人ぞ知る“幻の隠れイタリアンレストラン”「天久テラス」へ案内。その所以は沖縄出身初のオペラ演出家・故粟国安彦の取持つ縁?

 挙句の果ては店内備えのピアノで弾き語り強要!県内芸大講師の無償ボランティア一曲パフォーマンスに場内、一瞬息を呑み、美声終演と共に万雷の拍手!

 この迷路のようなアプローチ、伝説の“天久テラス”のオーナーにしてチーフの中村さん、沖縄出身ながら本土育ち、慶応大卒業後どういう経過で飲食業経営の道に入ったか、その詳細は知る由もありませんが、特有のカレー、天麩羅等々そのメニューに独特の拘りとフロソフィー持ち主。それに関心、興味がありそうなお客にはすかさずアプローチ、延々と調理、試食、味わいプロセスの講釈に料理とはまさに創作、自己表現の真髄であることを堪能します。

 実はこのお店、高校後輩の故湧川ふき子さんの紹介、生前度々案内されました。果たせるな、彼女が支部を立ち上げた地球女倶楽部“INANNAの会“でも何度か利用したとのことです。そういえば、このオペラ歌手さんも後輩の山田ちづ子さんの紹介でした。

         

 

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「早稲田大学Homecoming Day!」

2010年11月13日 | 「美ら島沖縄大使」便り

         

 16日土曜、那覇高100周年パーティを終え、最終便で帰京、翌17日・日曜、早大卒業45年目・Homecoming Dayに出席しました。臼井総長の沿革スピーチには大濱元総長の名前が2,3度登場しました。この総長、同窓会長の挨拶もさることながら、今年の目玉は岡田日本サッカー代表監督への“稲魂賞“授与とその答辞挨拶。

 内気、内向イメージの岡田監督、自らの政経学部不合格経験からこの日は、 “重力が筋肉を鍛えるようにプレッシャこそ人を鍛える”と自らの経験、本音を延々披瀝、形式雰囲気の会場を一転和らげ、沸かしました。

 式典後、新宿に場所を移し、本命の専攻同期会。北は仙台、南は福岡、沖縄?から同期卒業の4割、男女半々23名が参加しました。

 参加メンバーそれぞれ互いの顔を見合わせ、過日の名前思い出しに懸命、さらに介護、罹病、倒産、離別、外国漫遊とそれぞれ黄昏近況報告スピーチ。

 知らず知らずに前夜の高校同期と相比較、いずれも同期女性の元気が印象に残りました

     

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「母校那覇高創立100年に参加しました」

2010年11月11日 | 「美ら島沖縄大使」便り

                        

 沖縄国際大学での講義の翌々日の土曜、タイミング良く母校那覇高校の創立100周年式典が構内体育館で行われ、参加しました。旧制沖縄県立2中先輩同窓はじめ、優に1000名を超えた参加者。

 仲井真現知事に稲嶺前知事、翁長那覇市長と錚々たる同窓勢揃い。我が12期同期も20名近い参加者。東京からは私を含め2人。旧制2中と戦後の那覇高校卒業生からなる「関東城岳同窓会」からは20名近い参加。

 式後のパーティ会場では“この方も同窓だったか”と引きも切らせね知友方々との挨拶、交流でした。

 同期の経営する市内松山町の「クラブ」での同期有志との二次会カラオケ大会に旧交を温めました。

 翌日曜にはたまたま母校早稲田卒業45年目のHome Coming Day。この出席のため同期の引き留めを振り切り、後ろ髪惹かれつつ帰京最終便搭乗のため、空港に向かいました。

        

       

 

 

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「第45回関東沖縄経営者協会・講演会」

2010年11月10日 | 「美ら島沖縄大使」便り

                   

 例年に無い炎暑和らいだ先月、神保町の日本教育会館で第45回関東沖縄経営者協会の総会並びに講演会を開催しました。

 今回の総会で特筆すべき決議事項は仲村元日産ディーゼル工業㈱社長の理事就任と仲松㈱メディアワン社長・豊里おきなわ屋社長の副会長就任。さらに総務、広報、会員増強、次世代育成等の各部会設置とそれに伴う会則改定。若手県出身経営者の集まる関東沖縄IT協議会との連携強化。

 総会後の記念講演は副会長に復帰した豊里「おきなわ屋」社長の“失敗から学ぶ”。高校中退、10代で上京、最盛期40億を越す売上の建設会社を立上げた末、70億近い負債を背負い、倒産、その後雌伏10年以上、このたび沖縄居酒屋を立ち上げた“苦闘、体験談”に満場打たれました。講演後の質疑応答では“失敗の原因、追究、反省が少し足りないでは”等々ニューアンスの忌憚ないコメントに故郷を共有する者同士ならではの本音ベース、隔意無いムードを感じました。

             

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「沖国大での講義聴講有り難う御座いました」

2010年11月08日 | 「講演・セミナー」

        

 奄美訪問の前週、昨年に続き、沖縄国際大学で講演してきました。

これは産業情報学部学生の単位取得向けの何時もの授業とは別で、同大・産業研究所による一般社会人向けの「たれいだれい」(皆々お互い)・農商工連携プロジェクトの一環。私に課されたテーマは「仕事つくり、人づくり」。

 聴講・出席者はリタイヤ組、行政関係者,コンサル、自営業者の20代から60代、と幅広く、講演内容の焦点に迷いましたが“ままよ”と例の如し、私の“苦労、失敗談“の披瀝でした。現役の社会人向け70枚を越すスライドを表示しての講義は6時から9時まで、途中休憩があるとは言え、3時間立ちっぱなし、後半流石にバテて、呂律が廻らなくなりました。終盤30分近く、聴講者による感想、コメントQ&A.。

 プロジェクト登録受講者以外に私の知人の聴講も可とのことで、昨年同様同期、同業友人に声を掛け15名ほど参加、傍聴頂き、有り難う御座いました。

            

 

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高橋淳子著「ただ、誠を尽くして浮世を渡る」:日本出版社

2010年11月07日 | 「Weekly 読書感想」

             

 時折那覇から電話を頂く、久茂地の「抱瓶」高橋女将から先般の沖縄出張時寄贈され、帰路の機内で紐解く。聞き語りの様な平明な文章、“バキー、アッコン、アパテ、キ-ミドゥン”等々の八重山方言に微笑み読んでいる内に、後半の記述部門に衝撃、読み続けることが出来ず思わずページを閉じました。

 酒乱癖の父、9人弟妹の長女とし生まれ、16歳で石垣を出島、大阪、神戸、東京上野、新宿二丁目で「女中」「アルサロホステス」「雇われクラブママ」、ヤクザ対応閲歴、最初の夫と離婚、連れ子二人で再婚した夫の死と波乱万丈。ここまではかねてから聞いていましたが、その後の愛娘の不信自殺に錯乱、続くご自身の数度のリストカット自殺未遂、1週間後生還した布団の側に、後追心中の恋人青年の死体を見る衝撃。ここまで来て読み続けられず思わずページを閉じました。「おしん」ストリーなどものの数ではない凄まじいリアルな来歴。

 ここまで逆境、辛酸嘗め尽くすと普通、人は世を儚み、恨み、反社会的スタンスになっても不思議ではないが、私が高円寺「抱瓶」で初めてお会いした時の高橋さんは逆に謙虚、丁重、礼節厚く、気品さえ漂う将に“他に誠を尽くす”の印象。

こうした高橋さんの現在は何処から来るのだろか!「環境、処遇に挫けない志の保持」を見る思いですが、まだ、書かれていない要因があるのか?

極貧、酒乱癖のお父さんと書かれていますが、そのご尊父、実は北海道帝国大卒の獣医というから驚き。あの時代、石垣出身ながら旧帝大・北大進学というのも想像を絶します。

高橋さんを取材、書いた本はこれまでに何冊かありましたが、本書はご自身が語った最もリアルで衝撃度の強い書。とは言え、ご本人も言っておられましたが、まだまだ書かれていない苦労談や事実があるのでしょう。

高円寺に自社ビルを取得し複数店舗を展開、古希を迎え、思い出の故郷那覇久茂地の地に一戸建て民家を改修、店舗展開する一方、私も一度お招きを受けた那覇市街を眼下に見下ろす国際通沿の高層マンションに居住、二人の御子息さんに東京、沖縄とそれぞれ店舗経営委譲、後継作りに励む当年73歳の高橋さんには改めて沖縄先島女性の強さと共に同じ企業創業者としてつくづく頭が下がります。
 那覇「抱瓶」常連の大田元沖縄県知事も推薦メッセージを書かれています。

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朝吼夕嘆

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