”朝吼夕嘆・晴走雨読”

「美ら島沖縄大使」「WeeklyBook&Reviews」「マラソン挑戦」

「朝青龍と沖縄」

2010年09月30日 | 「美ら島沖縄大使」便り

          (表紙を飾る朝青龍)
 今週10月3日の土曜日、両国国技館で、朝青龍の断髪式が開催されるという。
このイベント、どういう縁か、何と女性スッタフの㈱オリエンタルのプロジェクトチームが実施するとのこと。由来、大相撲土俵は女人禁制の仕来り、大丈夫か!しかし、イベントスタッフは裏方、土俵に上がる訳でないでしょう。
 それはともかく表題、多少のこじ付けながら「朝青龍と沖縄」、琉球とモンゴルと大袈裟ではありません。実は大相撲界初の国立大卒・最高齢力士として先年引退した琉大卒の「一の矢」関が、その伝記「土曜に掛けた人生」(ダイヤモンド社)の中で、同じ高砂部屋の先輩として「朝青龍の出会い」を語っておられる。それによると20歳年長の「一の矢」は新弟子合格の朝青龍に挨拶の仕方から日本の歌、果てはパソコン操作の手解きもしたという。そのためか朝清龍は横綱昇進後も序二段の「一の矢」を“さん”付けで呼び、「一の矢」の引退断髪式と結婚披露宴にも参席しています。
 因みに「一の矢」(本名・松田)は物理学科卒、その所為もありITにも明るく高砂部屋のWEBマスターとしてホームページを立ち上げ、3日の断髪式もアップしています。
実は私も「一の矢」関の琉大同期の高宮城君から紹介され、琉大同窓会でも何度かお会いしています。3日の断髪式にも出席されることと思います。
 それはそれとして種々物議を醸した朝青龍が、今回のイベントスタッフに語ったという次の言葉は印象的。
“10月3日が相撲人生最後の日。運命の日。断髪の日。ほんとうはあと2年相撲をやりたかった。子供の頃からの憧れだった横綱。体も大きくないのに一生懸命やったんだ。俺はやってきたんだ。でも、わがままをやりすぎたかな。まだまだやりたい夢があったのに、後悔先に立たずの言葉が骨身にしみる。日本のみなさん、今まで騒がせてばかりでごめんなさい。だからもう、これが最後の日。ぜひ、見守ってください。日本のみなさん。ありがとう”

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「結い座」“命ぞ宝”観劇しました。

2010年09月29日 | 「美ら島沖縄大使」便り
 連休前の週末、赤坂区民ホールで劇団「結い座」(三枝万祐座長)による対馬丸撃沈悲劇を描いた「命(ぬち)ど命」公演を支援観劇しました。
 先にもアップしましたが、これは港区の文化芸術振興基金の助成を受け、区内小学校生が出演、戦争の悲劇と平和の尊さを身をもって体験する平和教育の側面を持つイベント。利に拘らない献身的な三枝さん、難破、海上放浪の模様を固定舞台上で表現する演出も大変だったと思います。
 対馬丸に乗船、両親、兄弟を失い、一家でただ一人生き残り、現在、記念館会長を務める我が同期・歯科医師の高良君、診療を終えたこの日土曜のフライトで上京一泊、翌日曜夜の便で帰沖の慌しさ。
 実は、この悲劇を後世に伝える対馬丸記念館建設の要請に応え、渋る国、行政機関の尻を叩き、当時の沖縄開発長官として予算獲得、完成に動いたのは先に収賄罪で収監された鈴木宗男とそれに連携する県選出の下地議員、そしてその背後には人一倍沖縄に政治的配慮をもった野中広務が居たことは関係者の良く知るところです。民衆の意向を汲み上げる活動と特定利害に動く政治的スタンスは表裏一体で、その賛否、可否判断は悩ましい。
 しかし、良くある話ですがこうした箱物建設で最も潤うのは請負業者で、完成後その運用維持に最も苦労するのは地元関係者。多くの支援、理解あるとは言え、対馬丸記念館も例外なく、その運営・維持に苦労しているのは高良会長はじめ遺族の方々。この悲劇の大きな被害者である同期・高良君の継続する苦労・奮闘を知るに付け、折々微力ながら協力に努めています。その意味でも今回、私からチケット購入、御協力頂いた30名近い方々、ここで改めて御礼申し上げます。
        
          (高良会長・三枝座長にご協力の山田「南風」館長と)
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「勝目部長、お疲れ!」

2010年09月28日 | 「美ら島沖縄大使」便り

 炎暑続いた先月末の新橋某所、企業誘致説明会を翌日に控え、上京中の勝目沖縄県観光商工部長を在京有志で慰労、激励。
 陪席は東京赴任中の照屋国際会議誘致担当官に奄美関係女性二人。お一人は大学在学中に偶然訪れた奄美の加計呂麻島に魅せられ、修士卒研に奄美移住Iターン課題研究論文、以後奄美IT振興委託研究に渾身、情熱を燃やす佐藤嬢にもうお一方はIT企業に従事、首都圏奄美関係者に幅広い人脈をもつ内倉嬢。
 予てから、いつかお二人をと思っていた矢先、この日の会合となりましたが、新婚ホヤホヤの上、美(熟)女二人に囲まれたこの日の部長、何時ものシリアス・リアリスティク、非妥協な論調から遠く浮遊、時代・宇宙を越えたスピリチャルな森羅万象、魑魅魍魎、博覧強記な口吻尽きる事無い。
 翌日、部長の誘致プレゼンテーション、何時にも増して明快、爽やかだったと聞き、前夜のイベント、最高の慰労提供と悦に入りました。奄美チュラムンお二人!ご苦労様でした。
 
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「華燭の宴、名古屋へ!」

2010年09月27日 | 「美ら島沖縄大使」便り
  先々週に続き、名古屋日帰り往復。前回は退社する事業所社員の対応でしたが、今回はOB社員の華燭の宴に招待受け、出席しました。
 八重山高校から首都圏大学に進学、5年前当社に入社した新婦。出向先で結ばれた新郎はわが国トップ企業のトヨタ本社のITメンバー。新郎来賓席にはトヨタ本社の上司、先輩社員がズラリと臨席。
 実はこの日の花嫁さんは私が大学卒業、就職、一年後輩として仕え、後に編集局長、副社長と栄進、現在沖縄を代表する文筆家として活躍する先輩の姪御さんという縁。
創業32年、社内婚を含め当社社員が取引先の社員と結ばれた例は20組に近い。その殆どが沖縄出身の新婦。逆に当社男子社員が顧客先女性と結ばれた例は一割2組しかない。如何に沖縄出身の女性が持てるということか。
 それはともかくとして、30組近い社内婚を含め、多くの若い人達へ人生の伴侶との出会いの場を提供したのは、創業のもう一つの社会貢献かと密やかな達成感、自己満足か!
 この日の新婦主賓スピーチは大学ゼミの恩師ながら、会場御挨拶に来られた新婦御母堂の再三の御要請により、予定外のスピーチ拝命となりました。
 いつもながら若い人達の新たな門出に立ち会うのは心洗われると共に自らを省みるきっかけを頂きます。
        
         (おめでとう!末永くお幸せに!)

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「岩政琉大学長講演」

2010年09月23日 | 「美ら島沖縄大使」便り

「ハートイン乃木坂」で開催された岩政琉球大学長講演の㈶沖縄協会定例会に出席しました。テーマーは創立60周年を迎えた琉球大学の沿革と今後の課題。
 岩政学長は歴代学長の中で二つの意味でユニークな存在。それは初の医学部出身にして、県外出身学長。 県外出身とは言え30年の沖縄在住歴。小学6年後期から琉大1年まで足掛け8年の沖縄在住の私に比べても、余程ウチナワチュ!
 講演内容は駐留米軍・USCARE(米国民政府)の意向を受けたミシガン大学のバックアップで発足した琉大創設経緯と日本復帰に伴う国立大への移行推移。今年60周年を記念した「江戸立」イベント。さらに年々歳々増加する県外本土出身学生と地域研究特徴としての琉大の目指す方向と国境、島嶼を越えた国際研究の今後の指向。中でも印象に残ったフレーズは研究開発における“専門馬鹿と重箱の隅を突く”ことの重要性強調。
 こうした今後の方向もさることながら、私には学長の専門研究分野である後半の医学、特にヘルペスウイルス分子疫学と華僑交易との関連コメント。失礼ながら、付け足しとも言うべき後半のこの分野にこそ学長の熱意を心持感じました。そう言えば南西奄美出身の私は定期的に口唇ヘルペス症状が出ますが、北陸出身の同居者は一切罹病感染しない。
 清成元法政大学長司会による現役国立大学長の講演に40名弱の例会出席者とはいかにも勿体無いながら、もともとこの協会初代会長は大浜元早大学長に2代目は茅元東大総長と気の遠くなるような顔触れ。
 それはともかく講演後、岩政学長を囲み嘉手川協会副会長(元沖縄開発庁局長)、座間味大阪芸術大教授(元沖縄NHK局長)、渡久山琉大同窓会関東支部長(元日教書記長)錚々たる異色の顔ぶれの中で身を縮めつつも、暫し時間を忘れた懇談、慰労会のひと時でした。 
         
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「CIJ本体の株主総会出席」

2010年09月21日 | 「美ら島沖縄大使」便り

 先週木曜日、横浜シャラトンホテルで開催された当社の本体である東証一部・CIJ社の第35期株主総会に300人を超す一般株主と共に出席しました。
 連結売上高はこの厳しい市場環境の影響を受け、対前期12%弱の170億強でしたが経常利益は対前期61%アップの7億2千3百万の減収増益決算でした。配当は一株当り9円と5%を越す性向でした。
 出席株主からは10件以上の質問がありましたが、審議案件は全て決議承認され、総会は大過なく終わりました。
 社長は今後の展望として、14社を超えるグループ会社の中で、本体に迫る規模を誇り、今後のグループ牽引パワーとして旧㈱日本構研システム、㈱CIJソフィア、㈱日本アドバンストシステム3社の合併による発足新会社の私共㈱CIJネクストの役割とシナジー効果に触れられ、グループ内に於ける今後のミッションに緊張しました。
 依然として厳しい市場環境ながら、今後とも株主、並びにお客様のご期待に沿うべく社員一同業務に邁進努力致す所存です。引き続きお引き立て、ご鞭撻のほどよろしくお願い申し上げます。

  
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「神田・クレスト店で放歌・ストレス発散!」

2010年09月07日 | 「美ら島沖縄大使」便り
 炎暑続く8月某夜、いつものように神田の㈱沖縄ツーリスト東京支店の会議室を拝借、関東沖縄経営者協会役員会開催。
 元日産ディーゼル工業社長・仲村巌さんと㈱オールビジネスリンクの新垣進さんを常任理事としてお迎えし、関東沖縄IT協議会との連携強化を図ることを確認しました。
 2次会、副会長の㈱沖縄屋の豊里社長と㈱メディアワンの仲松社長と神田の居酒屋・クレストに繰り出し、カラオケ放歌、憂さ晴らし炎上!カラオケ敬遠の仲村さん退散!
 この「クレスト」ショップ、仲松さんの系列子会社経営。値段サラリーマン自腹懐勘した合理的値頃。役員退任、交際費ゼロでこのところ銀座、赤坂敬遠のケチ・重田の懐にもマッチした贔屓ショップ。 
 教室形式カウンタ、スクリーン装備のこのクレスト店、近々月一土曜日に“次世代起業家育成の連続講座”開設を計画しています。
 詳細決まりましたら、お知らせしますので、御希望の方の参加お待ちしています。
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「山元先生の矍鑠に感嘆!」

2010年09月06日 | 「美ら島沖縄大使」便り
 先般の沖縄出張最中、琉大、地元マスコミ挨拶のスケジュールを縫って、介護センターに入院中の小学卒業時の恩師・山元芙美子先生をお見舞い訪問しました。
 昨年もお訪ねしたとは言え、何せ御高齢、その後が気になりましたが、こちらの心配、懸念吹き飛ばすように「あら重田君!元気ね!今日は出張?何時来たの?」と矢継ぎ早の質問。
 先般の泡盛お中元のお礼を申し上げたら「あれは娘に言いつけて貴方宛に送くらしたの」と。所在不明、親子断絶の昨今の高齢者問題を聞く度に沖縄のお年寄りへの思いやりと幸せを思います。
 95歳の先生、車椅子ながら今も県内地元2紙を枕元に置き、毎日精読する視力と聡明。
「先生、お幾つに成られました?」という当方の社交辞令問い掛けに、「あげ!何言っているの!前にも言ったでしょう。私は貴方のお父さんと同じ生年、大正4年。だから数えで95歳ですよ。大島から来た貴方を連れて、転校手続きに来た君のお父さんは印象に残っていますよ」と。
 
 自分のお年はともかく、60歳で逝去した私の亡父の生年を覚えているとは、ボケ初期の自分を振返り、痛打された思い。かって、恩師から「辰弥君は凄く偉くなるか、凄く悪い人になるかどっちかと思っていましたよ」と言われたを忘れられません。結果、どっち付かずの平々凡々ですが(^○^)先生、イチマデン、チャーガンジュなされ!
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「合併新会社初の幹部合宿」

2010年09月01日 | 「美ら島沖縄大使」便り
  3社合併新会社㈱CIJネクスト発足、2ヶ月経った先週末、酷暑の中、都内ホテルで役員および管理職30人による「中長期経営計画」討議、策定のために行われた合宿研修会に参加しました。
 私は正式招集のメンバーではなかったので宿泊はせず、開会冒頭の開会趣旨説明や二日目の部門総括発表会にオブザーブ参加でした。
旧㈱日本アドバンストシステム=新アドバンス事業部からは私以外に沖縄、大阪、静東海各事業部長8人が参加しました。
 参加者全体の共通認識は海外オフショア勢攻勢による競争激化と厳しさを増す市場環境。この中で単なる生き残りだけではなく、次なる新しい発展を目指し、コストダウンだけでなく、如何にコア・コンピタンスを確立するか論議が交わされました。
 何よりも効果があったのはこうした論議を通じ、新たな発展の基盤構築に不可欠なそれぞれ異なった歴史とカルチャーをもつ3社の幹部間の相互理解とコミュニケーション深化、危機感の共有がなされたことです。
 印象に残ったのは開会ゲストスピーカーとしてお招きした元NTT ソフトウェア研究所長で現在専門学校・HAL東京の鶴保校長の講演。阪大工学出身の生粋のエンジニア出身ながら、中長期的に会社で大切なのは“知識や技術より挨拶とコミュニケーション”という指摘でした。
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朝吼夕嘆

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