日高茂和ブログ・のほほん書斎

つぶやきのような、ぼやきのような。

小松左京の「復活の日」

2020年03月28日 | のほほん所感
小松左京の「復活の日」を読んだのは中学か高校のころだった。映画化されたのを十代の終わり頃に劇場で見て、少しだけシーンを覚えていた。
去年「日本沈没」の映画作品を見たことからの刺激で、年の初めに「復活の日」を見た矢先にこのウイルス騒ぎに・・・
「復活の日は」人知が人類を滅ぼしそうになったのだが、新型コロナが人知ですみやかに消滅するのを祈るばかりだ。(以下ウィキペディアの「復活の日」より)
・・・・・
概要[編集]

殺人ウイルスと核ミサイルの脅威により人類死滅の危機が迫る中、南極基地で生き延びようとする人々のドラマを描いた作品。バイオテクノロジーによる破滅テーマの本格SFとしては日本ではこれが嚆矢(こうし)になった。執筆当時の香港かぜの流行、東昇の『ウイルス』、カミュの『ペスト』『戒厳令』、南極には風邪がないと記された[要出典]岩波新書の『南極越冬記』、また冷戦時代の緊張下で同じく人類滅亡を扱ったネビル・シュートの『渚にて』を下敷きとしている[1]。本作で地震について調べたことが、代表作『日本沈没』にもつながったという[2]。そして、福島正実の企画による早川書房の初の日本人SF作家による長編シリーズ「日本SFシリーズ」の第1巻となった[3][4]。

小松にとっては『日本アパッチ族』(光文社)に次ぐ長編第2作であり、ハードSFの書き下ろしとしては第1作といえる[5]。題名は当初は考えておらず[註 1]、掲載するに当たって急遽思いついたのだという。

SF作家の堀晃は、日本のSFのレベルを引き上げたと高く評価した[6]。評論家の石川喬司は、細菌兵器による終末テーマのSFの代表的な作品の一つとして扱っている[7]。

2009年には、新井リュウジ[註 2]による児童向けのリメイク作品として、『復活の日 人類滅亡の危機との闘い』がポプラ社から出版された(ISBN 978-4-591-11137-6)。時代を2009年以降の21世紀初頭に移しており、それに伴うものや児童向けを理由とする改変がされているが、大筋では原作のストーリーそのままである。新井は「児童向けの翻訳」であるとうたっている。

小説あらすじ[編集]

196X年2月、イギリス陸軍細菌戦研究所で試験中だった猛毒の新型ウイルス「MM-88」が職業スパイによって持ち出される。スパイの乗った小型飛行機は吹雪に遭ってアルプス山中に墜落し、ウイルス保管容器は砕け散る。春が訪れて気温が上昇するとMM-88は大気中で増殖を始め、全世界に広まった。当初は家畜の疫病や新型インフルエンザと思われたが、心臓発作による謎の突然死が相次ぎ、おびただしい犠牲者を出してなお病原体や対抗策は見つからず、人間社会は壊滅状態に陥る。半年後、夏の終わりには35億人の人類を含む地球上の爬虫類・両生類・魚類・円口類を除く脊椎動物が、ほとんど絶滅してしまう[註 3]。

生き残ったのは、南極大陸に滞在していた各国の観測隊員約1万人と、海中を航行していたために感染を免れた原子力潜水艦[註 4]ネーレイド号やT-232号の乗組員たちだけであった。過酷な極寒の世界がウイルスの活動を妨げ、そこに暮らす人々を護っていたのである。南極の人々は国家の壁を越えて結成した「南極連邦委員会」のもとで再建の道を模索し、種の存続のために女性隊員16名による妊娠・出産を義務化したほか、アマチュア無線で傍受した医学者の遺言からウイルスの正体を学び、ワクチンの研究を開始する。

4年後、日本観測隊の地質学者の吉住(よしずみ)は、旧アメリカアラスカ地域への巨大地震の襲来を予測する。その地震をホワイトハウスに備わるARS(自動報復装置)が敵国の核攻撃と誤認すると、旧ソ連全土を核弾頭内蔵ICBMが爆撃することや、それを受けた旧ソ連のARSも作動して南極も爆撃されることが判明する。吉住とカーター少佐はARSを停止するための決死隊としてワシントンへ向かい、ホワイトハウス地下の大統領危機管理センターへ侵入するが、到着寸前に地震が発生したためにARSを停止できず、その報復合戦で世界は2回目の死を迎える。しかし、幸いにも南極は標的とならなかったうえ、中性子爆弾の爆発によってMM-88から無害な変種が生まれ、皮肉にも南極の人々を救う結果となる。

6年後、南極の人々は南米大陸南端への上陸を開始し、小さな集落を構えて北上の機会を待っていた。そこに、服が千切れて髪や髭はボサボサという、衰弱した放浪者が現れる。それは、ワシントンから生き延びて徒歩で大陸縦断を敢行してきた吉住だった。精神を病みながらも仲間のもとへ帰ろうとする一念で生還した吉住を人々が歓呼で迎え、物語の幕は下りる。

用語[編集]
MM-88MMはMartian Murderer(マーシアン・マーダラー、「火星の殺人者」の意)の頭文字、88は継代改良した88代目の菌種を意味する。アメリカの人工衛星が宇宙空間から持ち帰った微生物をもとに、フォート・デトリック(メリーランド州フレデリックにある陸軍感染症医学研究所の通称)で生物兵器として使える可能性が研究されていた。その原種「RU-308」がイギリスへ持ち出され、ポーツマス近郊の英国細菌戦研究所にてグレゴール・カールスキィ教授が改良を行った。カールスキィは職業的倫理観や良心の咎め、MM-88が万が一にも外に漏れた場合の人類滅亡の可能性を思ううちにノイローゼとなり、MM-88株をチェコスロヴァキアのライザネウ教授に送り、東西合同で対抗薬品を研究・開発させることを思い立つ。しかし職業スパイに騙され、CIAへ横流しされそうになったところ、スパイたちの乗る連絡機がイタリアのアルプス山中に墜落し、MM-88菌は世界にばら撒かれる。絶対低温・絶対真空の宇宙空間に存在していたMM-88は、地球上の環境では強烈な増殖率を持つ。摂氏マイナス10度前後から萌芽状態にもかかわらず増殖し、マイナス3度以上で100倍以上、摂氏5度以上で毒性を持ち始めるが、その段階の増殖率は、マイナス10度段階の20億倍。増殖率・感染率・致死率が高すぎるため、弱毒化したうえでの実用化を目指していたが、MM-88はレガシーのMM-87比で2000倍の毒性を獲得していた。MM-88は増殖・感染する核酸のみの存在[註 5]で、ブドウ球菌に似た特定の球菌を媒介としてインフルエンザウイルスを含むミクソウイルス群に寄生し、宿主となるウイルスの増殖力・感染力を殺人的に増加することで、大規模な蔓延を引き起こす。体内に侵入すると神経細胞の染色体に取り付き、変異を起こした神経細胞は神経伝達物質の生成と伝達を阻害され、感染者は急性心筋梗塞のような発作を起こして死亡するか、急性全身マヒに陥って死亡する。発熱・咳・頭痛・関節の痛みといった諸症状から、世間では新型インフルエンザ「チベット風邪」の大流行と思われていた。しかし、細菌でもウイルスでもないMM-88にはワクチンも抗生物質も効果がなく、ウイルスに寄生するメカニズム、増殖・感染する核酸という理論すら知られないまま、防疫体制は崩壊する。フォート・デトリックでRU-300系列を研究していたマイヤー博士は、世界をMM-88の惨禍が襲う中でその正体がRU-308であることに気づいたが、世界の破滅を食い止めることはできなかった。唯一感染を免れた南極では、病原体の性質を突き止めたアメリカの医学者A・リンスキイがアマチュア無線で伝えた情報を元にMM-88の分離に成功し、それを記念してMM-88を「リンスキイ・バクテリオウィルス」と命名した。南極の科学ブレーンの一員であるド・ラ・トゥール博士により、半ば偶然に発見された唯一の対抗手段は、原子炉内での中性子線照射によって生まれた人体には無害な変異体[註 6]によって、MM-88の増殖を抑えることだけであった。しかし、ARSの存在によって、MM-88は予想外の運命を迎える。ARS(Automatic Reaction (Revenge) System)米国の狂信的な反共軍人・ガーランド中将(映画での階級は統合参謀本部議長)が反共主義のシルヴァーランド前大統領[註 7]と共に造り上げた「全自動報復(または「反応」)装置」。相互確証破壊戦略の確度を上げるため、軍の施設がソ連の攻撃を受けて破壊された場合、その施設と一定時間の通信を行い、応答が無い場合はソ連へ向けて報復の全面核攻撃を全自動で実行する。ホワイトハウス・イーストウイング内大統領危機管理センターにある切り替えスイッチにより作動する。反動政治家シルヴァーランドの時代は恐怖政治が猛威を振るい、米ソは全面戦争の一歩手前まで行っていたという[註 8]。そのため、対抗上ソ連側もまったく同じARSシステムを保有せざるを得なかった[註 9]。そしてシルヴァーランドは南極にも極秘で軍事基地を建設しており、これを知ったソ連側も南極を核ミサイルの射程に置かざるを得なかった。後任のリチャードソン大統領はARSシステムを廃棄しようとしたが、ガーランド以下軍内部の反共勢力の強硬な反対により果たせず、全面軍縮を実現させてからARSを無用の長物と化してしまおうと目論んでいた。その矢先に世界はMM-88によって滅亡したが、ガーランドはMM-88の蔓延をソ連の生物兵器による攻撃とかたくなに信じ込み、死の直前にシステムを起動させる。ワシントンを訪れた吉住とカーター少佐の目的は、起動している可能性のある[註 10]ARSが、大地震によるアラスカ方面の軍事施設の破壊を核攻撃と誤認して作動することを防ぐため、スイッチを切ることにあった。だが、2人が停止スイッチを押そうとした瞬間にARSは作動してしまい、無人のソ連本土へ全面核攻撃を始めてしまう。WA5PS病原体の性質を突き止めたアメリカの医学者A・リンスキイが使用する、アマチュア局のコールサイン。エンドレステープを使い、ウイルス解析のヒントを放送し続けた。この情報が南極を守ることとなり、これを記念してMM-88を媒介する球菌に「WA5PS」の名が付けられた。小松左京の没後、このコールサインが実際のアマチュア無線局として指定されていないことが判明し、小松左京事務所に許可を求めたうえで「小松左京記念局」として免許された[9]。2012年10月26日の夜より、WA5PS/KH0(メキシコ国境地域で免許され、マリアナへ移動している扱い)として運用されている。
映画[編集]


復活の日


監督
深作欣二

脚本
高田宏治
深作欣二[10]
グレゴリー・ナップ

原作
小松左京

製作
角川春樹

出演者
草刈正雄
ボー・スヴェンソン
オリヴィア・ハッセー
夏木勲
グレン・フォード
多岐川裕美
ロバート・ヴォーン
千葉真一
チャック・コナーズ
渡瀬恒彦
ジョージ・ケネディ
緒形拳

音楽
テオ・マセロ
羽田健太郎

主題歌
ジャニス・イアン
「You are love」

撮影
木村大作

編集
鈴木晄

製作会社
角川春樹事務所/TBS

配給
東宝

公開
日本の旗 1980年6月28日

上映時間
156分

製作国
日本の旗 日本

言語
日本語
英語
ドイツ語

配給収入
24億円[11]
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プロジェクト 映画

角川春樹事務所とTBSが共同製作し、東宝が配給した1980年の日本映画。アメリカ大陸縦断ロケや南極ロケを敢行し、総製作費は25億円とも32億円ともいわれたSF大作映画である[12][13]。本来は1980年の正月映画として封切り予定だったが、製作の遅れから公開に間に合わなくなり、『戦国自衛隊』が正月作品として取って代わり、本作は半年遅れで公開された[14]。

映画版あらすじ[編集]

1982年、米ソ冷戦は雪解けに向かいつつあり、タカ派のランキン大佐にとって面白くない。一方、細菌学者のマイヤー博士は自分が作成に携わったMM-88というウイルスが東側に渡ったという懸念に、頭を抱えていた。ランキンの来訪にマイヤーはMM-88を奪還できたかと問うが、CIAはまだ奪還できていなかった。MM-88は極低温下では活動を休止しているが、気温が上がると活発化して爆発的に増殖するモンスターウイルスだった。マイヤーは元々毒性がなかったMM-88にランキンが各大学で作らせた研究成果を合わせて耐性や毒性をつけ、BC兵器として完成させていたことを問い詰める。その事実をマイヤーが告発しようとしていることを知ったランキンは、軍の息のかかった精神病院にマイヤーを隔離する。

日本では南極観測隊に志願した地震予知学者の吉住が、恋人の則子から別れを切り出されていた。一方、東ドイツの科学者は米国から盗み出した研究中のMM-88の毒性と脅威を知り、CIAを通じてサンプルをウイルス学の権威に渡してワクチン開発を依頼しようとしていた。しかし、科学者がCIAだと信じてサンプルを渡した相手はマフィアであり、彼らはセスナ機で逃走中にMM-88ごとアルプス上空で墜落事故を起こした。その直後からカザフスタンでは放牧中の牛が大量死し、イタリアでは嬰児と幼児を中心に感染が広まっていく。かつてのスペイン風邪に倣って「イタリア風邪」と通称された疾患は全世界に広まりつつあり、米国大統領リチャードソンは事態を重く見て閣僚たちと対応策を練るが、爆発的な感染にワクチン精製が追いつかず、世界各国では暴動にまで発展する。この事態がBC兵器によるものではないかと指摘した上院議員バークレイに救出されたマイヤーは早速ワクチン精製に取りかかり、ランキンを拘束に追い込む。一方、タカ派のガーランド将軍は示威目的で自動報復システムの起動を進言するが、リチャードソンに拒絶される。

日本国内でも感染を拡大しつつある恐るべき致死率の「イタリア風邪」は、各国主要都市を次々に壊滅させていく。看護師として患者の対応に追われていた則子は疲労が祟り、吉住との子を流産してしまう。

「イタリア風邪」の猛威の状況は、南極にも知らされていた。隊長の中西は各国の観測所と連絡を取り合い、事態の把握に努める。家族を日本に残す隊員たちの動揺は増すばかりで、妻子持ちの辰野も焦りを隠せない。そんな中、ニューメキシコ州からとある少年の通信が昭和基地に届くが、無線機の扱いを知らない彼は父の銃で自殺する。辰野の動揺は頂点に達し、妻子の写真を抱えた彼は南極の大地に姿を消した。

ついにMM-88はソ連指導者をも死に至らしめ、リチャードソンの妻も命を落とす。リチャードソンは政敵バークレイと過去を語り合う中、南極にあるパーマー基地の存在を思い出す。基地の健在を知ったリチャードソンは最後の大統領令として、南極に残る各国基地の越冬隊だけが最後に残された人類であると語り、外出や侵入者を許すなと命令した。

新たに発足した南極政府の会議におもむくため、中西隊長と吉住はパーマー基地を目指す途中、ノルウェー基地で口論の果てに発生した銃撃戦から唯一まぬがれていた、臨月間近の女性隊員マリトを保護する。米軍のコンウェイ提督とソ連のボロジノフ博士は互いの遺恨を忘れて南極会議の中心に立ち、ノルウェー基地の吉住からは子供の無事誕生が伝えられた。子供はノルウェー語で「日の出」を意味する「Gry(グリー)」と名付けられた。

しかし、男性に対する女性の割合があまりにも少なすぎることからレイプ事件が起き、女性は貴重な資源として南極政府は性交渉を管理することとなる。さらにソ連の原子力潜水艦が救助を求めて寄港するが、船内に感染者を抱えていた。寄港を許可できないと退けるボロジノフ博士に対し、艦長のスミノルフ少尉は上陸を強行しようとする。その窮地に現れた英国の原子力潜水艦ネレイド号はソ連の原潜を撃沈し、感染者が出ていないことを確認されて入港を許可される。ネレイド号の乗員たちを新たに加えた南極政府は最初のクリスマスを迎え、マリトと再会した吉住は彼女への好意を意識するが、マリトはクジで選ばれた別の男性と一夜を過ごすのだった。

MM-88の脅威はなおも健在であり、ラトゥール博士がそのサンプルと向き合う中、吉住が新たな脅威の種を発見する。それは、まもなくワシントンD.C.の近郊で巨大地震が発生するというものだった。遠く離れた南極とは無関係と思われたが、自動報復装置が作動していた場合、核攻撃と誤認して報復用のICBMが発射される。マクラウドは自動報復装置の作動を確認しており、米ソは互いの南極基地をも照準していた。発射を阻止するための決死隊の人選が行われ、カーターはこんなものは馬鹿げていると志願し、吉住は自分が選ばれたと嘘をついて同行を申し入れる。カーターは吉住の理解しがたい行動に暴力をもって説得しようとするが、吉住の決意は変わらなかった。基地に帰った吉住は、仲間からの粋な計らいによりマリトと最後の一夜を過ごす。

万一の場合に備え、女性を中心とした一団は砕氷船で避難する。カーターと吉住はラトゥールからワクチンのサンプルを渡され、ネレイド号で大西洋からポトマック川をさかのぼってホワイトハウスに潜入するが、すでに前震は始まっており、地下にある自動報復装置を停止しようとする彼らの決死の行動もむなしく、核ミサイルは発射されてしまう。

世界は二度目の死を迎えるが、ワクチンは有効だった。ただ1人生き残った吉住は歩き出し、アメリカ大陸を徒歩で縦断していく。精神を病み死者の声を聞いても歩みを止めなかった吉住は、やがてチリ南端にある湖畔へたどり着く。そこは、核攻撃から避難していたマリトやラトゥールたちの作った集落だった。

キャスト[編集]

(括弧内=TBS放送時の吹替)
南極日本隊吉住周三:草刈正雄(本人吹替)
辰野保男:渡瀬恒彦(本人吹替)
中西隊長:夏木勲(本人吹替)
山内博士:千葉真一(本人吹替)
真沢隆司:森田健作
松尾明正:永島敏行
隊員:角川春樹、高月忠、畑中猛重、五野上力、幸英二
南極アメリカ隊コンウェイ提督:ジョージ・ケネディ(大宮悌二)
カーター少佐:ボー・スベンソン(羽佐間道夫)
サラ・ベーカー:ステファニー・フォークナー
女性隊員:ジュリー・カーナー、ダニエル・シュナイダー、ローラ・ペニングトン、ダイアン・ラスコウ、パット・レゴー
無線係:ニコラス・キャンベル(田中亮一)
南極ソ連隊ボロジノフ博士:クリス・ウィギンス(阪脩)
ネフスキー大佐:ジョン・エヴァンス(千田光男)
南極ノルウェイ隊マリト:オリビア・ハッセー(武藤礼子)
グリィ:ジョアン・ベルダム
各国南極観測隊ロペス大尉:エドワード・J・オルモス(谷口節)
ラトゥール博士:セシル・リンダー(滝口順平)
イルマ・オーリッチ博士:イブ・クロフォード(弥永和子)
チュロウイッツ博士:ジョン・グラニック
ギロン少佐:アラ・ホバネシアン
バーンズ博士:テッド・フォローズ
キング中佐:ジョン・べエイリス
エイハブ無戦士:ウィリアム・ロス
ネレイド号乗組員マクラウド艦長:チャック・コナーズ(大塚周夫)
ジョーンズ大尉:ケン・カメルウ
航海士:マット・ハーソン
無線係:ゴードン・トンプソン
水兵:ジョン・ルター、アルフレッド・ハンフリーズ、マイケル・トウー
T232号乗組員スミノルフ少尉:ジャン・ムジンスキー(玄田哲章)
電探係:チャールズ・ノースコート
日本本土浅見則子:多岐川裕美
辰野好子:丘みつ子
辰野旭:加瀬悦孝
土屋教授:緒形拳
田所助教授:木島一郎
助手:野口貴史
別の助手:小林稔侍
看護婦:日夏たより、伊藤慶子、五十嵐知子、佐藤幸子
母親:中原早苗
その子:渡辺有希子
アメリカリチャードソン大統領:グレン・フォード(田中信夫)
バークレイ上院議員:ロバート・ボーン(矢島正明)
ガーランド統参議長:ヘンリー・シルバ(小林清志)
リード国務長官:ダン・キピイ
モリソン国防長官:ラリイ・レイノルズ
ワット保健長官:デヴィット・ガードナー
シモンズ補佐官:ウィリアム・ビニイ
ランキン大佐:ジョージ・トウリアトス(緑川稔)
マイヤー博士:スチュアート・ギラード(和田啓)
ロジャース博士:ロン・ハートマン
看護夫:ロジャー・ペリアード、ポウル・マッカラム、ステファン・ロックウッド
ランキンの運転手:チャールズ・D・ジョージオ
スパイZ:コリン・フオックス
巨漢:ジェファーソン・マピン
小男:リチャード・アイレス
操縦士:ディック・グラント
ソ連少年牧夫:テイラー・ミラー
東ドイツクラウゼ博士:ケン・ポーグ
衛兵:マーチン・ドンレビィー
憲兵将校:ジム・ビーアデン
憲兵:ウオーリィー・ボンダレンコ

TVナレーター:ヘンリー・ラメール
ニューメキシコの少年(声):マルチェロ・クラコフ
スタントマン:ジョージ・ウィルバー、テリー・マーティン
その他吹替宮田光
加藤正之
村松康雄
峰恵研
鈴木れい子

スタッフ[編集]
製作:角川春樹
監督:深作欣二
原作:小松左京(角川文庫版)
プロデューサー:岡田裕、大橋隆
脚本:高田宏治、深作欣二、グレゴリー・ナップ
撮影:木村大作
撮影補佐:岸本正広
照明:望月英樹
美術:横尾嘉良
美術助手:小川富美夫
録音:紅谷愃一
編集:鈴木晄
記録:小山三樹子
演出補佐:高須準之助
制作担当:長岡功、スーザン・ルイス、天野勝正
助監督:藤山顕一郎、吉田一夫、手塚昌明、ジェシー西畑
音楽プロデューサー:テオ・マセロ(英語版)
音楽:羽田健太郎
音楽監督:鈴木清司(鈴木音楽事務所)
音楽監督補佐:高桑忠男(東映音楽出版)
主題歌:ジャニス・イアン「ユー・アー・ラブ(Toujours gai mon cher)」 作詞:ジャニス・イアン
作曲:テオ・マセロ

翻訳:清水俊二、戸田奈津子
現像:東洋現像所、フィルムハウス(トロント)
角川春樹事務所・東京放送提携作品
吹替版制作:東京放送、グロービジョン プロデューサー:熊谷国雄
演出:左近允洋
翻訳:額田やえ子

企画[編集]

本作より以前、1965年に映画化企画があがっていたが、合作でないと日本では無理との東宝の判断で英訳され、20世紀フォックスへ渡されている。その後、当時フォックスに出入りしていたマイケル・クライトンが4年後の1969年に類似テーマの『アンドロメダ病原体』を出版。ベストセラーとなり、映画化(邦題『アンドロメダ…』)もされ小松を驚嘆させた[15][16]。

1970年代、角川春樹が社長に就任した角川書店では角川文庫を古典中心からエンターテインメントに路線変更を図り、特に日本のSF小説に力を入れていた。本作も早川書房から刊行されていたものを、1975年に角川文庫から再刊した[15]。また当時、角川は映画製作事業も開始しており、いわゆる角川映画の一作として白羽の矢が立った。角川春樹は社長に就任するとすぐ小松に文庫化を依頼し、映画化の際には小松に「これを映画化するために会社を継いだ」と語ったという。角川春樹は自著でも「映画製作を行うようになったのは『復活の日』がきっかけ」[17][18][19]、「この作品を作ることができれば、映画作りを辞めてもいいと。それくらいの想いがありました」[20]と述べている。

企画開発は1974年に始まる。海外展開を視野に原作を英訳し、ジョン・フランケンハイマーやジョルジ・パン・コストマスらパニック映画の監督にシノプシスを送ったが関心を得られず[21]。角川春樹はヤクザ映画を多く撮ってきたからミスマッチという周囲の猛反対の声をおして、深作欣二を監督に起用[22]。撮影監督は東宝専属だった木村大作。小松左京の『日本沈没』を監督した森谷司郎も『復活の日』をやりたがっていたが、「監督は深作欣二か。大作と合うよ」と、『動乱』『漂流』で起用予定だった木村を送り出した[23]。その他、深作監督の下、日活と東宝と東映からなる日本人スタッフとカナダ人の混成チームが組まれた[24]。

キャスティングもジョージ・ケネディやオリヴィア・ハッセーら外国人俳優が共演したため、英語の台詞が多用された。

撮影[編集]

1978年冬に90日間、5千万円をかけたロケハンを敢行。撮影には1年以上をかけ、日本国外のロケに費やした日数は200日、移動距離14万km、撮影フィルム25万フィートを数えた。撮影隊はアメリカ大陸の北はアラスカから南はチリまで移動し、マチュ・ピチュ遺跡でも撮影を行った。

35mmムービーカメラで南極大陸を撮影したのはこの映画が世界初である。南極ロケについては40日をかけて、それだけで6億円の予算がかかった[10][25]。当初は、日本の北海道ロケで済まそうという話もあったが、木村大作はそれなら降りると主張し、深作欣二のこだわりもあって、南極ロケが実施された[13][26]。小松でさえ、映画化の話を聞いたときはアラスカかグリーンランドでロケをするのだろうと思っていたという[27]。

南極ロケではチリ海軍から本物の潜水艦シンプソンと哨戒艦ピロート・パルドをチャーターした[28]。1979年12月末、撮影スタッフや観光ツアー客の住まいとなった耐氷客船リンドブラッド・エクスプローラー号 (MV Explorer (1969)) が座礁・浸水し、チリ海軍に乗員が救出されるという事故が発生[28]。共同通信の記者が乗り込んでいたことから一般ニュースとして日本で報道され[29]、『ニューヨーク・タイムズ』の1面でも報じられるなど、話題には事欠かなかった[30][31]。世界各地の様子を知るために、昭和基地のアマチュア無線で情報収集をする様子が描かれている。

壮大なスケールの原作の映像化にふさわしく、当初14億円から15億円の予定だった製作費は、南極ロケの実施により18億円になり、最終的には25億円に達した[13]。

反響・評価[編集]

1980年の邦画興行成績では黒澤明監督作品『影武者』に次ぐ24億円の配給収入[32]を記録するヒット作となるものの、製作費が巨額だったため、宣伝費等を勘案すると赤字であったとされる。本作がきっかけとなって、角川映画は1970年代の大作志向から、1980年代は薬師丸ひろ子ら角川春樹事務所の所属俳優が主演するアイドル路線のプログラムピクチャーに転換した[33][34][35]。アメリカ人スタッフによる編集で海外版を制作したものの、海外セールスは好調とはいかなかったとされる。

角川春樹は「配収は自分が予想したよりも全然少なかった。それに海外マーケットが成立しませんでした」「自分の夢は一旦成立し、これで勝負は終わったんだと。ここから先は、利益を上げる映画作りへシフトしようと考え方を変えたんです」と振り返っている[36]。

これまでに『日本沈没』『エスパイ』などが映画化されている小松であるが、本作を非常に気に入っており、自作の映画化作品で一番好きだという[37][38]。深作ファンだった井筒和幸は作品の出来に落胆し[39]、押井守は「小松左京は『日本沈没』を除けば映画化に恵まれなかった」との感想を述べている[40]。

角川と共同製作したTBSは、1980年4月から放送した連続テレビドラマ『港町純情シネマ』の第10回「復活の日」(1980年6月27日放送)で、西田敏行演じる映写技師が本作の場面を流すタイアップを行なった。放送日は映画公開前日だった。

2011年3月16日と3月20日にV☆パラダイスで放送予定していたが、直前に起こった東日本大震災への考慮で放送中止となった。

2012年に「角川ブルーレイ・コレクション」の一作品としてブルーレイディスク化。2016年には木村大作の監修によるデジタル修復が4K解像度で行われ、2017年には4K Ultra-HD盤も発売された。

受賞歴等[編集]
キネマ旬報ベスト・テン 読者ベスト・テン 3位
ブルーリボン賞 ベストテン
優秀映画鑑賞会ベストテン 8位
シティロード 読者選出ベストテン
文化庁優秀映画製作奨励金交付作品
毎日映画コンクール 日本映画優秀賞
録音賞(紅谷愃一)

日本アカデミー賞 最優秀録音賞(紅谷愃一)

明治維新期の藩士の記録(五島列島・五島藩・福江藩・石田城・五島市・長崎奉行所)

2020年03月24日 | のほほん所感
私の高祖父(曾々じいさん・ひいひいじいさん)である、奈留利右エ門帯刀(なるりえもんたてわき=写真)は当時の五島福江藩家老のひとりで長崎蔵屋敷に勤務しており、幕府や諸藩や産業界との関係業務にあたっていたが、鳥羽伏見戦勃発から最後の長崎奉行の河津伊豆守の退去により長崎奉行所の運営に参加することになった。
幕末最後の長崎奉行の河津伊豆守祐邦は、官軍の勝利を知ると、江戸城が無血開城したように、幕府の施設を幕府から切り離し、官軍の攻撃の対象とならないように奉行所を幕府以外の立場の人たちに託して江戸に戻った。
奉行所の業務は一時的に九州諸藩の長崎留守居に相当する藩士や長崎町役人たちにゆだねられた。
私の曽祖父にあたる梁瀬半六(日高は父が祖母の叔父の家を継いだ)は、廃藩置県直後に東京に移住を命じられた藩主と随従した家老たちにかわり藩政の残務運営の世話役を務めた。この業務は大幅に減った家禄予算を、藩政時代の家別の石高にかかわらず、ほぼ均等に藩士たちに分ける業務が主だったようで、つらい立場で日々を過ごしたろうと推察する。
日高の家の明治維新を経験した最後の五島家家中のIは、時代の変化になじめず、長崎に出て無気力な暮らしをしていたという。その後、日高の後嗣が絶える状況になり、家名を残すことが士族道徳の重要な価値観であった当時に、祖母の叔父にあたることから、祖母は不本意だったらしいが祖父の一存で父が幼児のころに名前だけ継がせたという。
譲り受けたものは先祖の位牌や若干の仏具と江戸時代の初期からの戒名の書き継ぎや五島家に仕える以前の由来の文書と刀ぐらいで財産に相当するものは何もなかった。逆に言えば、維新で失業しても、それだけは保持していたということか。
維新の名残を感じさせるものが、仏具の燭台に彫られた「家扶鬼塚献之」の文字。代々奉公してくれた鬼塚さんが、お別れに日高の家の仏壇に供えてくれたのだろう。
一家の遺事ではあるが、この燭台にとても強く維新期の雰囲気を感じる。