見守りて幾歳月を過ごし母見守られるグループホームに今日移り住む
日曜日苅田の畦に彼岸花
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昨日は真夏だったが、今日は秋っぽい。そしてまた台風とは・・・
稲を刈った切り株を燃やす煙で、ニオイまでケムタイ野郎になった散歩道。
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昨日は真夏だったが、今日は秋っぽい。そしてまた台風とは・・・
稲を刈った切り株を燃やす煙で、ニオイまでケムタイ野郎になった散歩道。
寿司屋で寿司を食うのは、いまだに敷居が高い。
ところがスーパーや回転寿司屋で気軽に食えるので、近ごろはしょっちゅう食っている。
ガキの頃あこがれた夢の暮らしだ。
毎晩コンサートホールやライブハウスが自宅に出現する魔法のインターネット。安価なステレオにつないでもじゅうぶん満足な音質音量で楽しめる。
五島列島福江島でトランジスタラジオでFMにわくわくした、十代の頃の夢の暮らしが今ここにある。
「なかった」 からわかる 「ある」 ことの驚きとありがたさ。
ところがスーパーや回転寿司屋で気軽に食えるので、近ごろはしょっちゅう食っている。
ガキの頃あこがれた夢の暮らしだ。
毎晩コンサートホールやライブハウスが自宅に出現する魔法のインターネット。安価なステレオにつないでもじゅうぶん満足な音質音量で楽しめる。
五島列島福江島でトランジスタラジオでFMにわくわくした、十代の頃の夢の暮らしが今ここにある。
「なかった」 からわかる 「ある」 ことの驚きとありがたさ。
こうなったのは戦後の日本人が自然を大切にし守らなかった罰なのか、と沈み行く東京タワーから日本最後の日のラジオ放送でアナウンサーが語る。
自分が十歳くらいのころの映像作品である「日本沈没」(DVD9枚分)を見終わった。
「日本沈没」というSF仕立ての小松左京文学は重い問いかけだ。年内には原作を再読したい。
しかし田所博士に惚れたね。信念とは、愛国心とは、正義感とは、義侠心とは、誠実さとは、思いやりとは・・・いくつもの大切なものを教えてくれる作品だった。
自分が十歳くらいのころの映像作品である「日本沈没」(DVD9枚分)を見終わった。
「日本沈没」というSF仕立ての小松左京文学は重い問いかけだ。年内には原作を再読したい。
しかし田所博士に惚れたね。信念とは、愛国心とは、正義感とは、義侠心とは、誠実さとは、思いやりとは・・・いくつもの大切なものを教えてくれる作品だった。
自分が十歳くらいのころの映像作品である「日本沈没」(DVD9枚分)を見ているところです。
小松左京の原作を文庫で読んだのは中学生の頃。 物語の最後のほうで、実家から見える城下町福江のシンボルである鬼岳が噴火する姿が描かれるているのに親しみを覚えた。この作品は、小松左京の戦時体験のひとつの一億玉砕を唱える軍部への疑問を、SFに仮託して、もしこの国が滅ぶとしたら、をテーマにして、読者へ問いかけるものだったという。
自然災害多発の今日、思い出すべき作品だと思う。
近いうちに、原作を再読しようと思う。
小松左京の原作を文庫で読んだのは中学生の頃。 物語の最後のほうで、実家から見える城下町福江のシンボルである鬼岳が噴火する姿が描かれるているのに親しみを覚えた。この作品は、小松左京の戦時体験のひとつの一億玉砕を唱える軍部への疑問を、SFに仮託して、もしこの国が滅ぶとしたら、をテーマにして、読者へ問いかけるものだったという。
自然災害多発の今日、思い出すべき作品だと思う。
近いうちに、原作を再読しようと思う。
お彼岸までの向こう一週間も昼間は30度超えの予報にナンジャコリャ~とウナル彼岸花。
思考はまとまらず、ミソヒトモジにまとめられないのはともかく、むしょーに口にしたくなった奉職地の波佐見のご婦人が漬けた梅干を眺め口に含んで感動しきり。
毎日毎日、昼間は30度を越える台所の隅っこに置かれて、よくもまぁ、ネマラず(腐らずの我が方言)つやつやぴかぴかの姿をたもち、ズンダレタ(だらしなく気合が抜けたの我が方言)俺をしゃきっとさせてくれるのかと!
思考はまとまらず、ミソヒトモジにまとめられないのはともかく、むしょーに口にしたくなった奉職地の波佐見のご婦人が漬けた梅干を眺め口に含んで感動しきり。
毎日毎日、昼間は30度を越える台所の隅っこに置かれて、よくもまぁ、ネマラず(腐らずの我が方言)つやつやぴかぴかの姿をたもち、ズンダレタ(だらしなく気合が抜けたの我が方言)俺をしゃきっとさせてくれるのかと!
私の高祖父(曾々じいさん・ひいひいじいさん)である、奈留利右エ門帯刀(なるりえもんたてわき=写真)は当時の五島福江藩家老で長崎蔵屋敷に勤務しており、幕府や諸藩や産業界との交渉にあたっていたところ、河津伊豆守の退去により長崎奉行所の運営に参加することになった。
幕末最後の長崎奉行の河津伊豆守祐邦は、官軍の勝利を知ると、江戸城が無血開城したように、戦や混乱が起きないように奉行所を幕府以外の立場の人たちに託して江戸に戻った。
奉行所の業務は一時的に九州諸藩の長崎留守居に相当する藩士や長崎町役人たちにゆだねられた。
私の曽祖父にあたる梁瀬半六(日高は父が祖母の叔父の家を継いだ)は、廃藩置県直後に東京に移住を命じられた藩主と随従した家老たちにかわり藩政の残務運営の世話役を務めた。この業務は大幅に減った家禄予算を、藩政時代の家別の石高にかかわらず、ほぼ均等に藩士たちに分ける業務が主だったようで、つらい立場で日々を過ごしたろうと推察する。
日高の家の明治維新を経験した最後の五島家家中のIは、時代の変化になじめず、長崎に出て無気力な暮らしをするなかに跡継ぎもなく死んだという。
家名を残すことが重要な価値観であった当時に、祖母の叔父にあたることから、祖母は不本意だったらしいが祖父の一存で父が幼児のころに名前だけ継がせたという。
譲り受けたものは先祖の位牌や若干の仏具と江戸時代の初期からの戒名の書き継ぎや五島家に仕える以前の由来の文書と傷んだ差料ぐらいで財産に相当するものは何もなかった。逆に言えば、維新で失業しても、それだけは保持していたということか。
維新の名残を感じさせるものが、仏具の燭台に彫られた「家扶鬼塚献之」の文字。代々奉公してくれた鬼塚さんが、お別れに日高の家の仏壇に供えてくれたのだろう。
一家の遺事ではあるが、この燭台にとても強く維新期の雰囲気を感じる。
幕末最後の長崎奉行の河津伊豆守祐邦は、官軍の勝利を知ると、江戸城が無血開城したように、戦や混乱が起きないように奉行所を幕府以外の立場の人たちに託して江戸に戻った。
奉行所の業務は一時的に九州諸藩の長崎留守居に相当する藩士や長崎町役人たちにゆだねられた。
私の曽祖父にあたる梁瀬半六(日高は父が祖母の叔父の家を継いだ)は、廃藩置県直後に東京に移住を命じられた藩主と随従した家老たちにかわり藩政の残務運営の世話役を務めた。この業務は大幅に減った家禄予算を、藩政時代の家別の石高にかかわらず、ほぼ均等に藩士たちに分ける業務が主だったようで、つらい立場で日々を過ごしたろうと推察する。
日高の家の明治維新を経験した最後の五島家家中のIは、時代の変化になじめず、長崎に出て無気力な暮らしをするなかに跡継ぎもなく死んだという。
家名を残すことが重要な価値観であった当時に、祖母の叔父にあたることから、祖母は不本意だったらしいが祖父の一存で父が幼児のころに名前だけ継がせたという。
譲り受けたものは先祖の位牌や若干の仏具と江戸時代の初期からの戒名の書き継ぎや五島家に仕える以前の由来の文書と傷んだ差料ぐらいで財産に相当するものは何もなかった。逆に言えば、維新で失業しても、それだけは保持していたということか。
維新の名残を感じさせるものが、仏具の燭台に彫られた「家扶鬼塚献之」の文字。代々奉公してくれた鬼塚さんが、お別れに日高の家の仏壇に供えてくれたのだろう。
一家の遺事ではあるが、この燭台にとても強く維新期の雰囲気を感じる。
質実剛健の丸坊主、「命に危険」の炎天下に根性で大会を闘う強靭な精神を涵養する《高野連》が反日工作員に牛耳られているとはオソロシイことだ。セイセイドウドウとか選手宣誓で言ってなかったっけ?コソコソさせるな日本の代表に!・・・以下引用。
産経新聞のメルマガ「週刊正論」 令和元年8月28日号
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【日の丸隠しを球児に強要する高野連 “仲間”はほかにも】
公益財団法人日本高等学校野球連盟(高野連)は27日、韓国で30日から始まるU—18W杯に臨む高校日本代表に日の丸のロゴなどが入ったポロシャツを着用させず、無地のものに変更して、現地入りさせる方針を明らかにしました。国の代表としての誇りをどう思っているか、高野連の体質を示したといえます。
高野連の竹中雅彦事務局長は「(日の丸のロゴなどで韓国側を)刺激するのは得策ではない」と説明しました。これに対し、多くの人が抗議しています。登山家の野口健氏はツイッターで「果たして『日の丸を隠す行為』が韓国に対し配慮している行為なのだろうか?韓国からすれば『日の丸をつけていれば日本代表選手に危害を加える』と日本サイドに思われている事自体が『侮辱されている』と捉えるだろう。また日本を代表し戦う日本選手にコソコソさせるのは極めて失礼。大人達、情けない」と批判しました。
月刊「正論」9月号では、高野連を特集しました。作家でジャーナリストの門田隆将さんは、「『高野連』は万死に値する」のタイトルで、高野連の問題点を浮き彫りにしました。門田さんは「唯我独尊の運営を続けてきた高野連」の体質を追及してきた人物です。
取材のなかで、高野連は現在の体制について次のように説明しました。
「当連盟の職員数は、令和元年7月12日時点で正職員8名、嘱託職員2名です。当連盟の副会長のうち、朝日新聞出身が1名、毎日新聞出身が1名おります」
今回の「無地」着用に朝日、毎日出身の副会長はどのような主張をしたのでしょうか。
韓国に過度に配慮する人たちは「媚韓派」と呼ばれています。高野連の対応はまさに「媚韓」といえますが、こうした人たちはほかにもいます。
3人の日本の政治家の意見を紹介します。
「我が国が敗戦後、戦争責任と正面から向き合ってこなかったことが多くの問題の根底にあり、それが今日様々な形で表面化しているように思われます」
「今日の日韓関係悪化の根源は、安倍首相が、『村山談話』(95年)や『小渕・金大中共同宣言』(98年)の到達点すら無視して、『植民地支配への反省』を投げ棄てる態度を取っていることにある」
「徴用工に端を発した日韓の対立が最悪の展開となってきた。その原点は日本が朝鮮半島を植民地にして彼らに苦痛を与えたことにある。原点に立ち返り、早く友愛精神で関係修復すべきだ」
自民党の石破茂元幹事長のブログ、共産党の志位和夫委員長のツイッター、そして鳩山由紀夫元首相のツイッターの順番です。与野党を問わず多くの政治家が、文在寅政権による日韓の軍事情報包括保護協定(GSOMIA)破棄を批判するなかで、3人の主張は異色であり、日本に責任があると言わんばかりです。
情緒のような習慣のような。
意味あるのかと冷ややかに思うところもありながらも、盆の迎えと送りの窓辺の提灯。
故郷を後にしても、本家は本家。
俺で途絶える400年分の先祖さん、ま、ハイボールは口にあわんかもしれんけど、遠慮なくやってください。
意味あるのかと冷ややかに思うところもありながらも、盆の迎えと送りの窓辺の提灯。
故郷を後にしても、本家は本家。
俺で途絶える400年分の先祖さん、ま、ハイボールは口にあわんかもしれんけど、遠慮なくやってください。
因縁因果。できごとには必ず原因というかそうなった理由がある。
今日車を新しくしたが、まだまだ乗れる車を乗り換えたのには、この春以降のある環境や心の変化、そして「人生を語らず」を歌う拓郎が人生を語ったラジオを二年間聴いた事と未知のアルバムを含めてあらためて楽曲を聴いたこともきっかけになったと自分の心理を分析している。これから永く乗る車との出発を祝い、また安全を祈って、真っ先にかけた曲は「朝日がサン」・・・最初のステップ 気合のステップ 大事なステップ 踏み出す時が来た♪♪♪~
今日車を新しくしたが、まだまだ乗れる車を乗り換えたのには、この春以降のある環境や心の変化、そして「人生を語らず」を歌う拓郎が人生を語ったラジオを二年間聴いた事と未知のアルバムを含めてあらためて楽曲を聴いたこともきっかけになったと自分の心理を分析している。これから永く乗る車との出発を祝い、また安全を祈って、真っ先にかけた曲は「朝日がサン」・・・最初のステップ 気合のステップ 大事なステップ 踏み出す時が来た♪♪♪~
オリンピックという言葉が、空騒ぎの後の荒廃という想念につながるのだが、アマノジャク性神経症だろうか。
なんとかしんせんぐみという結社が冷えないわりに電気代が高くつく冷蔵庫という想念につながるのだが、アマノジャク性神経症だろうか。
なんとかしんせんぐみという結社が冷えないわりに電気代が高くつく冷蔵庫という想念につながるのだが、アマノジャク性神経症だろうか。
昨夜17日夜の話。
参議院の期日前投票から帰って郵便受けを開けると選挙公報が届いていた。もちろん行政当局から。
封筒には12日のスタンプ印が。たぶん封入作業をした日付だろう。
ところで期日前投票は公示翌日の5日からできたのでのではなかったろうか。コレが届くまえに投票を済ませた人には「やりなおし」が認められるのだろうか?
不思議不思議と首かしげつつ資源ごみへと分別した。
参議院の期日前投票から帰って郵便受けを開けると選挙公報が届いていた。もちろん行政当局から。
封筒には12日のスタンプ印が。たぶん封入作業をした日付だろう。
ところで期日前投票は公示翌日の5日からできたのでのではなかったろうか。コレが届くまえに投票を済ませた人には「やりなおし」が認められるのだろうか?
不思議不思議と首かしげつつ資源ごみへと分別した。
今日、嬉野の温泉ホテル入船荘で催された佐賀戦国史研究会の深川先生の講義がおもしろかった。
「忍者」をキーワードに古い文献を精査した研究から、情報収集と破壊工作の実務にあたった戦国から幕末にかけてのインテリジェンスの活動を知ることができた。
佐賀を舞台とした戦国乱世のありさまは、日本中のありさまで、関ヶ原に代表される大規模戦闘に至るまでの地方の零細領主たちの小規模戦闘の繰り返しをイメージできて収穫多い貴重な経験となった。
「忍者」をキーワードに古い文献を精査した研究から、情報収集と破壊工作の実務にあたった戦国から幕末にかけてのインテリジェンスの活動を知ることができた。
佐賀を舞台とした戦国乱世のありさまは、日本中のありさまで、関ヶ原に代表される大規模戦闘に至るまでの地方の零細領主たちの小規模戦闘の繰り返しをイメージできて収穫多い貴重な経験となった。














